3日目 後半
悲しみに暮れて泣き叫ぶのは日曜日まで、と決めていた。
つまり、明日まで。
未だに骨壺のひやりとした感触に涙し、姿を探しては『ちび』と呼んでしまう。
なんだか頭の中がずっともやもやとしていて、記憶が途切れる。
自分がなぜキッチンに立ったまま呆けているのかわからない。
キッチンにきてどれほど時間が経ったのかもわからない。
何をしにきたんだっけ。何かをとりにきたんだったっけ。
ああ、『ちび』のおやつだ。違う、『ちび』はもういないんだった。
『ちび』はどこにいっちゃったの、戻って、もどって、返して、かえして。
ずっとそんな調子だ。
心の均衡が崩れているという自覚はあるが、特効薬はない。
ただひたすら、血がとまって、傷口が乾いて、塞がって、
瘡蓋になるのをじっと痛みに耐えて待っている。
人間というのは不思議なもので、そんな状態でも
日常的にやってきたことだけは機械的にこなせるんだな、と思った。
水を飲み、他の子にごはんを与え、掃除をし、食器を洗い、お風呂に入った。
今はこうしてパソコンに向かい、文字を打ち込んでいる。
頭と身体が完全に分離して動いているみたいだ。
頭はエラーが多発してまともに機能していないのに、
身体は自動で生きるためのシステムを遂行し続けているような感覚。
私は昔から、記憶や感情を整理するために文章を書いていた。
大切な存在を亡くした直後によく文章など書けるな、と思われるかもしれない。
昔観た海外ドラマで、とある数学者が娘を亡くした直後、
大きな黒板に数式を延々と書き続けていて、それをみた刑事が
「娘さんは亡くなったのですよ」と咎めるシーンがあった。
普通の人は娘を抱きしめたり、悲しみに暮れて泣いたりするけれど
数学者の彼は、数式で娘の人生を表現することによって
受けとめきれないほどの深い悲しみを、どうにか処理しようとしていた。
そして、娘が確かに存在していたことを数式で残そうとしていた。
彼にとっての数式が、私にとっての文章のように思う。
家の中には『ちび』との記憶が多すぎて、今も記憶の洪水に溺れている。
やせ細った最期の『ちび』の姿を思い出しては、
口から「ごめんね」が溢れ出してとまらない。
今日は雨だった。庭では紫陽花とツツジが綺麗に咲いている。
風は相変わらず強くて、実りはじめたブルーベリーの実が落ちてしまわないか心配になった。
あのモンシロチョウは、この雨を避けられているだろうか。
無事だとうれしい。
この前、雀の親子が庭へ遊びにきていた。
土の上をつついたり、松の枝にとまって葉を啄んだりしていた。
色の薄い子が一生懸命、翼をせわしなく動かして、親にごはんをねだっていた。
『ちび』をだっこして、その様子を窓ガラスにぴったり張りついて一緒に眺めた。
『ちび』は、カカカカッと上手にクラッキングしていた。
大きく広げたビー玉みたいな若葉色の目。窓ガラスに押し付けたちいさなおてて。
「鳥さんがいるね、かわいいね」というと、私を見上げて目を細めた。
微笑んでいるみたいだった。『ちび』は本当にそういう表情をする子だった。
あの雀の親子も、雨に濡れてはいないだろうか。大丈夫だろうか。
また遊びにきてくれるだろうか。『ちび』と一緒にもう一度みたかった。
綺麗に咲いた紫陽花も見せたかった。
苦しみや痛みをすべて代わってあげたかった。
もっともっと、美しいものや楽しいことを共有したかった。
もっとずっとたくさん、『ちび』をしあわせにしたかった。
いつだってしあわせにしてもらっていたのは、私だった。私ばかりだった。
3日目が、もうすぐ終わる。
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