第3話 大胆なリベンジ
① 大都会ラビリンス
電車が、ぐん、と揺れる。
昼下がり。人のまばらな車内で、
誰にも告げずに来た。居ても立ってもいられなかった。
けれど、ひとたび冷静になると、自分でもなぜこんな行動を取っているのかわからなくなる。
——どうしても気になるなら、神宮寺さんにでも聞いてみれば?
木曜の今日は、午後練がお休み。授業が終わるとすぐ、楓の足は駅伝部の寮ではなく、大学の最寄り駅へと向かっていた。
昼休みにジャスミン大学の所在地をスマホで調べていたときから、どうも気が急いてしまって仕方がない。
向かう先は、東京・渋谷。
岡山から出てきたばかりの楓にとって、この辺りの土地勘はまったくない。
幸い、元町・中華街駅から電車で一本。一時間弱。
立ち並ぶビルが陽射しを受けて、窓ごしにじろりじろりと睨むみたく通り過ぎていく。
(エリカさんって、普段こんなきんきらの都会で走っているんだ……)
それも、らしいといえば、らしい。目的地が近づくにつれ、そんなことを思った。
——さっきのレース、本当は誰が走っていたの?
あれから、五日。楓はまだ、あの問いに答えられずにいる。
アイリスのグラウンドでいくら走っても、予選の日に感じたような浮遊感は、ただの一度も戻ってこなかった。
本当に、エリカさんと走っていた、あの時間だけ。
レース前、どうしようもなく震えていたところに、声をかけてくれた。あれがどれだけ救いになったことか。
一緒に走って、知らなかった景色をいくつも見せてくれた。
こんなふうに走れるんだ、って。何もかもが新しくて、楽しくて、眩しかった。
その気持ちが、フットギアを加速させてくれた。——そうじゃなかったの?
電車が今度は逆向きに揺れる。
楓は確かめたい。
あれは、シルフィードの気まぐれなんかじゃなかったってことを。
無理を承知で、楓はこれからお願いをしに行く。
もう一度、もう一度だけ、一緒に走れたなら。何かわかる気がする。
あの感覚を、諦めきれない。
◇
現在地、地下5階。
案内板には、そう書かれている。
(私、そんな深いところにいたの……)
地上に出たい。ただそれだけなのに。とにかく人の流れがすごすぎて。
乗換口へ、ホームへ、出口へ。進む方向はバラバラなのに、見事なほどにぶつからない。それが不思議で仕方なかった。
早足の靴音。エスカレーターの軋み。地下構内に響くアナウンス。どれもこれもが、耳の奥をかき乱す。
頭の中に流れるのは、静かなバラードであってほしい。けれど今、この空間に響いているのは、三半規管を揺さぶる、けたたましいギターロックだった。
そうして、やっとの思いで改札口を抜けた。
(ここまでずっと「改札内」の話なのでした……)
大丈夫、落ち着いて。
こっちに来て、もう三ヶ月が経とうとしている。岡山だって、そこまで田舎じゃない。横浜にも慣れてきた。気後れすることなんてない。
そう思っていたのだが、東京はまた別格だった。さながら、地中に張り巡らされた蟻の巣だ。
地下となると、スマホのナビも沈黙。頼れるのは……、やたらカラフルな案内板だけ。乗換表示が一、二、三、四つ……いや、もっとある。数えるのも嫌になる。
違う違う。乗り換えたいんじゃない。地上に出たいの。
構内図を見つけたが、何が書いてあるのかさっぱりだ。何メートル先、通路いくつ先、ハチ公改札、南改札、中央改札、宮益坂改札……。
入学式で学科の名簿を初めて眺めたときくらい、全然頭に入ってこない。
(何か目印になるものがあればいいんだけど)
◇
ようやく、外気を感じた。
救われたような気がしたのも束の間。見上げれば、垂直にぐんと伸びた超高層建築の壁に四方八方を囲まれていた。
眼球を圧迫してくるような視界に、くらりとする。
(ここ、どこなの……?)
たまらずスマホを開いたのだが、ナビの提案するルートは、工事のフェンスでいきなり行き止まりだった。
とはいえ、今からまた地下に戻ってスイスイ回り道できる気もしない。
東京の人は皆、歩くのが速くて、道を尋ねることすらハードルが高い。
大音量の広告、車の音、工事の音。風のようにすれ違っていく通行人の話し声。すべてが空気中に溜まり、抜けていかない。
(なんか、息が苦しいな)
こんなにも広いのに、閉じている。
こんなにも人がいるのに、独りきり。
スマホの地図には、目的地のピンだけが刺さっている。しかし、そこまでの道が複雑に入り組んでいて、辿り着けない。まるでそれは、今の楓とエリカさんの関係そのもののように思えた。
(そんなに、甘くないよね……)
何もかもが、空回り。せっかくの午後練休みが、丸々つぶれてしまった。
(心理学のレポート、明日までだっけ。そうだ、夜は寮の掃除当番があった……)
しょうがない、今日はもう戻ろう。楓の肩が、すっと落ちた。そのときだった。
「……楓?」
名前が呼ばれた。聴き間違いかもしれない。この外国みたいな街で、まさか自分のことを呼ぶ人がいると思わない。
振り向くと、眼鏡をかけた女性が立っていた。
すぐには思い出せない。けれど、どこかで見た顔だ。
(えっ、この人、まさか……)
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