第20話 嵐の前の朝焼け

まだ、ぼんやりとした輪郭の朝焼け空は、胸の高鳴りを乗せて今日を告げる。


早く起きすぎたかな?

そう思えるくらいに早すぎる朝。どうやら僕は思っていたより楽しみだったみたいだ。


もう一眠りしたって罪にはならない。そんな時間に、なんだか寝るのが勿体無くて外へ出てみる。

昨日は一日作業場に篭っていたからか、ささやかな開放感を感じる。微かに熱を帯びた朝日を肌に浴びて、澄んだ空気は肺いっぱいに広がった。


「始夏の朝露を独り占めなんて贅沢ね。」


風に乗る軽やかな声が背後から吹き抜けた。


---ネルだな。


彼女は僕の背後から回り込み、目の前にちょこんと腰を据える。二股の尻尾はゆらゆらと不規則に揺れる。そんな姿は大変愛らしい。

だが、僕はこの性悪な猫もどきの性格は多少なりとも把握している。


「貴方はどうしたいの?」


唐突にかけられた彼女の言葉に一瞬思考が停止した。

僕は今、何を問われているんだろう。


瑞々しい静寂が僕たちを包む。

ネルの尾は相変わらずゆらゆらと空を切って遊んでいる。


僕はここでどうしたいのだろう。

ふと、そんな疑問が浮かんだ。

ここにきて二日。分からないまま流されるには十分過ぎる時間なのかもしれない。


僕はこの問いを無意識に避けていた気がする。僕自身を知らないこの世界は存外楽しかった。

だって、ここにいる瞬間だけは誰も僕へ悲壮の目を向けなかったから。


「なあ、ネル。


---なんで僕なんだろう。」


僕がここにきてからずっと。無意識に、抱えた疑問。なぜ僕はここに来たのか。なんで僕なのか。僕はなんのためにここにいるのか。

なんだか、ネルなら知っている気がした。


「貴方は誰かの理由の上で生きているのかしら。

それが事実なら、大層ご立派ね。」


きっと、彼女は僕の知らない本質に気づいている。

誰かのために生きることは、大層素晴らしい。

けれど、僕が空虚になっていくそんな不安に、彼女は本当の答えを知っているんだ。


「じゃあ、僕はどうしたらいいんだよ。」


なんだか、無性に。

突き放された気がして、思いの外、棘を含んだ語気にネルはふわりと笑う。


「誰かのために貴方がいるなんて思い上がらないことね。貴方は貴方を勝手に生きるのよ。

それが分からぬうちは死んでも無意味ね。」


勝手に生きる。

それが、真実なら残された人の思いはどうなるのだろう。


勝手に死なれた人の思いはどこに向かうんだ。

そんな身勝手な死に方があってたまるものか。


行き場のない怒りが静かな朝焼けに反射する。

見えもしない僕の顔は苦悶の色を浮かべているだろう。


「---この先風の流れが変わるわ。流れに乗るも抗うも貴方次第。

貴方はどちらを選ぶのかしらね。」


ネルはくるりと踵を返して、家へ向かう。


「春の嵐が目を覚ましたみたいよ。」


ネルは僕へ顔だけ向けると、まるで悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。


あの旅が、僕を大きな嵐へと連れ出すなんて--今の僕には、想像すらできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る