第17話 月の女神の涙



朝食も終わり、僕とトージは作業場に来ていた。

彼は神具職人という仕事らしく、作業場には沢山の専用の道具や、見慣れない形の作品が並んでいる。

こんなに沢山のものがあるにも関わらず、作業場は無駄なく、整っている。



「・・・綺麗だ」



ポツリとつぶやいた。それは、自分でも驚くほど自然に溢れた言葉だった。


目が幾つあっても足りないくらいに、一つ一つの作品に目を奪われてしまう。

心の底からすごいと思ったのは、初めてかもしれない。


「これ、月ですか?」


その中で、一際僕の目を引く神具。スリガラスのような質感で銀色の月がモチーフになったアミュレット。それは淡く発光していて、幻想的な余韻を残す。シンプルなのに繊細なデザインが僕の心を掴んで離さない。


「それは、月の女神。ツキナのこぼした涙だ。」


トージはそれを丁寧に取ると、僕の手の上に置いてくれた。


「ーーー月の女神。」


こんな時、僕の脳裏に浮かぶのは月夜の海へ消えた父の姿だった。

どうしてすぐにこんな感傷に浸ってしまうのだろう。

もう思い出したくもない父が、不意を突いて現れることに酷く辟易する。



トージはそんな僕を心配そうに見つめていた。

「なにかあったのか?」なんて、まだ会って間もない僕を心底気遣う彼は本当に優しい気質なのだろう。


「ーーー大丈夫です。


こっちの月神は女性なんだなぁって」


「ホダカの世界では、違うのか。」


僕のいい終わるのと同時に、トージは少し興味深そうに問いを投げてきた。


「あ、はい。


月読命って名前で、記録上男性の神様だったと思います。」


トージは短く「・・・そうか。」と溢して、僕の手の上にあったアミュレットを元の場所に戻す。その最中、アミュレットを優しく撫でる姿は、まるで子の頭を撫でる父親のようだった。

どこか、生き生きした表情から、もしかしたらトージは異文化に触れるのを楽しんでいるのかも知れない。なんて、顔色を読んでみる。もしそうなら、僕としても嬉しい限りだ。


「神具って色々あるんですね。」


そう言いながら、辺りを少し見渡した。

どれをとっても繊細な神具達。その奥に明らかに異質で、それでいて手入れのされた大剣に目が止まった。


「ーーーあれも神具、ですか?」


トージは僕の指差した方向へ目をやると、「ああ、あれか。」と微かに微笑んだ。


「俺は神具職人になる前は、騎士をしていたんだ。」


驚きはあるものの、それでいて納得もできてしまう。その告白は、彼にとっては少し気恥ずかしそうで。僕はここで、トージに対する警戒心がゆるやかに解けるのを感じた。

ーーーだって。こんな顔で、愛おしそうに過去を見つめる人が、怖いはずなんてない。


僕なんかとは、大違いだ。

トージの記憶に残れる誰かは、きっと。幸せに違いない。そう、思えてしまう。


「ーーーどんな。騎士だったの?」


僕の問いに、トージの眉が微かに動いた。

先程とさして表情は変わらないはず、なのに。

彼の瞳に悲しみを感じる。


「情けない騎士だったよ。


たった1人の主人も守れない、軟弱者だ。」


僕にはかける言葉が見当たらなくて。

ーーーそれに。何も知らない他人に、勝手に慰められる屈辱を、僕は痛いほど知っていたから。口を噤むしかできなかった。


「ーーーすまない。遠い昔の話だ。」


そう言って僕の頭をポンと撫でる。ゴツゴツした大きな手。それなのに思いやりに満たされた彼の手が僕にはくすぐったい。



なのに、気づいてしまう。誤魔化されたんだと。これ以上聞いてほしくないから。


きっと彼は僕と同じだ。

守りたかったものを守れなかった無力さも。

そを抱えて生きる苦しみも。

そして、残される残酷さも。その身に全部背負っている。


この時、僕は知ったつもりでいたんだ。傲慢にも、彼の心の闇を勝手に理解したつもりになっていた。


彼の生きる世界が、どんな地獄よりも残酷なことを今の僕はまだ知らない。



「ーーーさぁ。


仕事の時間だ。」


「ーーーはい!


よろしくお願いします!」


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