第六話:塩の魔法と、兵士たちの驚き
夕暮れ時、大和猛はゴルンに言われた通り、砦の中央にある兵士食堂へと向かった。遠くからでも、人のざわめきや、皿のぶつかる音が聞こえてくる。重い木製の扉を開けると、そこは熱気と喧騒に満ちた大空間だった。
煤けた壁には粗末な松明がぶら下がり、中央には大きな木製のテーブルがいくつも並べられている。全身に汗と土をまとった兵士たちが、大きな声で談笑しながら食事をかき込んでいる。彼らの体から放たれる汗の匂いと、油臭い料理の匂いが混じり合い、食堂独特の強烈な臭気が立ち込めていた。
猛は、指定された場所へ向かうと、他の兵士たちに倣って、配給される食事を受け取った。金属製の皿に乗せられていたのは、ドロドロとした灰色のシチューと、手のひらサイズの固い黒パン。そして、濁った水が入った木製のカップ。見た目からして食欲をそそるものではない。
ゴルンも同じテーブルに座っており、無言でシチューを口に運んでいた。猛は、疲れた体でスプーンを手に取り、恐る恐るシチューを一口すくって口に運んだ。
「……っ」
思わず、顔をしかめてしまう。温かいのは確かだが、味がしない。いや、正確には、得体の知れない煮込みの匂いと、水っぽいような、土臭いような、とにかく風味に乏しい味しかしないのだ。肉片も野菜も煮崩れており、食感も単調だ。元の世界で食べていた、あの豊かな味付けが恋しくなる。
他の兵士たちは、何の感情も見せることなく、黙々と食事を続けている。彼らにとって、これが「当たり前」の食事なのだろう。猛は周りを見回した。テーブルの上には、水以外に何か調味料のようなものは一切置かれていない。
その時、猛の視線が、食堂の隅にある水桶のそばに釘付けになった。そこには、食器を洗うためだろうか、白い結晶状の粉が山と積まれている。その粉は、どこか見覚えのある、そしてどこか懐かしい形をしていた。
(あれ……もしかして……)
猛は心の中で、あの「スキルツリー」の『スキル』を呼び起こした。以前、ヴァレリウス隊長の前で「言語理解」のスキルを発動させた時の感覚を思い出し、意識を集中する。まるで、透明なレンズ越しにその白い粉を見るかのように、その物体に焦点を合わせた。すると、視界に再び例の半透明なウィンドウが浮かび上がった。
『不明な物質を検知しました。鑑定しますか? はい/いいえ』
迷うことなく、心の中で「はい」と念じる。
瞬間、ウィンドウの表示が切り替わった。
『粗塩(清掃用) ――天然の結晶。水溶性。清掃、保存、および特定の魔術的な儀式に用いられる』
「塩……!」
猛は、思わず声を漏らしそうになったが、寸前で飲み込んだ。間違いない。これは塩だ! 食塩の概念がないのか、それとも貴重すぎて清掃にしか使えないのか。いずれにせよ、この世界では「調味料」として認識されていないらしい。
猛は、周囲に悟られないように、そっと立ち上がった。テーブルの端に座っていたゴルンが、不審そうに猛を見上げた。
「どうした? 食わねぇのか? 食い残しは許されねぇぞ」
「い、いえ。少し、確認したいことが……」
猛は曖昧に答えると、白い粉の元へと向かう。ゴルンは怪訝な顔をしたが、特に止めはしなかった。
猛は、清掃用の塩が置かれた場所まで行くと、手で軽く掬い、自分の皿に戻った。ゴルンが、その奇妙な行動をじっと見つめている。周囲の兵士たちも、何をしているのかとばかりに、チラチラと猛に視線を送ってくる。
「おい、何をやってやがる? それは食器を洗うための粉だぞ。食えるわけねぇだろうが!」
ゴルンが、呆れたような声で言った。他の兵士たちも、クスクスと笑い出す。
「ハハッ、なんだ? 新入りは食い物に困って、そんなものまで食おうってのか?」
「馬鹿なやつだ。そんなもの食ったら腹を壊すに決まっている!」
嘲笑と軽蔑の視線が、猛に突き刺さる。しかし、猛はそれに動じることなく、静かにスプーンでシチューをかき混ぜ、その塩を少しだけ加えた。そして、皆の視線が集中する中、もう一口、シチューを口に運んだ。
次の瞬間、猛の目が見開かれた。
水っぽく、単調だったシチューに、確かな「味」が生まれたのだ。塩味が、煮崩れた肉と野菜の旨味を、驚くほど引き出している。決して高級な味ではないが、元の世界の普通の食事に、遥かに近いものになっていた。温かさと、塩味が、疲れた体にじんわりと染み渡っていく。
「……うまい」
猛が、思わず呟いた。その小さな声は、食堂の喧騒にかき消されることなく、ゴルンの耳にも届いたようだ。ゴルンは訝しげな顔で、猛の皿を覗き込んだ。
「何がうまいんだ? そんな汚い粉を入れて……」
ゴルンはそう言いながらも、好奇心に抗えなかったのか、猛の皿から少しだけシチューをすくって、自分の口に運んだ。その瞬間、ゴルンの顔が大きく歪んだ。だが、それは苦い顔ではなく、驚きに満ちた表情だった。
「なっ……!?」
ゴルンは、自分の口に運んだスプーンを凝視した。そのシチューは、彼が何年も食べ慣れてきた、あの無味乾燥なシチューとは全く別のものになっていたのだ。ほんの少しの塩が加わっただけで、これほど味が変わるなど、彼には想像もできなかった。
周りの兵士たちも、ゴルンの奇妙な反応を見て、騒ぎ出した。彼らもまた、半信半疑の表情で、猛の皿や、白い粉を見つめていた。おとなしい高校生、大和猛が、異世界で最初に見せた「魔法」は、剣や炎の魔法ではなく、たった一つの「調味料」だった。この小さな発見が、彼の異世界での立ち位置を、大きく変えていくことになるのかもしれない。
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