第三話:言語の壁と、覚醒の兆し
重く、軋む音を立てて開かれた扉の先は、地下牢の通路とは打って変わって、わずかながらも整然とした空間だった。石造りの壁には、大きな紋章のようなものが彫られており、通路の松明よりも明るい光を放つ大きな燭台がいくつも置かれている。しかし、華美な装飾はなく、質実剛健といった雰囲気だ。ここは、砦か、あるいは城塞の一室なのだろうか。
部屋の中央には、年代物の木材で作られた大きな机が一つ。その向こうには、威厳ある雰囲気を纏った男が一人座っていた。男は、革製の簡素な鎧を身につけ、その上に濃紺のマントを羽織っている。顔には深い皺が刻まれ、鋭い眼光が猛を射抜いた。その視線に、猛の背筋が凍る。牢番の男よりも、はるかに上位の人物であることは一目で分かった。
牢番の男は、猛を机の前に乱暴に突き出すと、座っている男に向かって何かを捲し立てるように話し始めた。やはり、先ほどと同じ、猛には一切理解できない言葉だ。猛はただ俯き、彼らの会話を聞くしかない。早くここから逃げ出したい。元の世界に戻りたい。だが、どうすればいいのか、何一つ分からない。記憶のない自分は、あまりにも無力だ。
座っていた男は、牢番の報告を一通り聞くと、冷たい視線を猛に向けた。そして、ゆっくりと口を開く。
「フム……。ナルホド、カクカクシカジカ……」
男は、やはり猛には理解できない言葉で、いくつか質問を投げかけているようだった。その声には、命令のような響きがあり、猛は恐怖で全身が硬直する。しかし、言葉が分からない以上、答えることなどできるはずもない。猛は首を横に振ることでしか、自分の状況を伝えることができなかった。
男の表情に、苛立ちの色が浮かんだ。彼は机を軽く叩き、再び矢継ぎ早に言葉を続ける。その言葉は、猛の理解を超えたまま、ただ耳障りな音として響いた。威圧感が猛の全身を包み込み、まるで呼吸さえも奪われるような感覚に陥る。
「くっ……!」
このままでは埒が明かない。何も答えられないまま、どうなってしまうのだろう。処刑か? それとも、一生この異世界で囚われの身となるのか? 絶望が胸に広がり、心臓が激しく脈打つ。
その時だった。猛の視界に、再びあの半透明なウィンドウが、今度はハッキリと、まるで彼を助けようとするかのように浮かび上がった。
『スキルツリーが開放されました』 の表示は消え、代わりに別の情報が表示されている。
『ステータス:表示中』
『スキル:表示中』
『インベントリ:表示中』
そして、その中の一番上の項目が、まるで彼の困惑を察したかのように、わずかに光を放っている。
『スキル』 の項目にカーソルが合っているように見えた。猛は、意識を集中してみる。すると、『スキル』の項目がパッと広がり、いくつかのカテゴリが表示された。
『身体能力』
『戦闘技術』
『生産』
『魔法』
『その他』
そして、その**『その他』**のカテゴリの下に、ひときわ目を引く項目があった。
『言語理解(未習得)』
「これだ……!」
猛の心臓が大きく跳ねた。自分がこの男の言葉を理解できないことに、このシステムが反応しているのだろうか? まだ未習得とあるが、これを使えば、この状況を打開できるかもしれない。微かな希望が、絶望に支配されかけていた猛の心を照らした。
男が、ますます声を荒げて何かを言っている。牢番の男が、男の指示に従うように、再び猛の肩に手を伸ばしてきた。このままでは、また荒々しく扱われるだろう。
猛は、意識を集中させ、まるで念じるかのように『言語理解(未習得)』の項目へと意識を向けた。すると、ウィンドウがわずかに揺らぎ、その項目の隣に、小さく『習得しますか? はい/いいえ』のような表示が出たように見えた。
男の顔が、さらに険しくなる。猛は、迷うことなく心の中で「はい」と強く念じた。
直後、彼の頭の中に、まるで古びた書物が一気に開かれたかのような、大量の情報が流れ込んできた。それは言葉、文法、そしてこの世界の文化の断片。一瞬、激しい頭痛が猛を襲い、視界が歪む。
「ぐっ……!」
しかし、それはすぐに治まった。男の声が、再び猛の耳に届く。
「……貴様、何故返事をせぬ? どこから来た? なぜこのような場所に現れたのだ!」
男の言葉が、今度ははっきりと、日本語として猛の脳裏に響いた。まるで魔法がかかったかのように、彼が話す異世界の言葉が、自分の知る日本語に変換されている。
「……え?」
猛は、驚きに目を見開いた。この、言葉が通じるという事実。そして、自分の意思で『スキル』を発動させたという、信じられない体験。
「ようやく理解できたか、異邦人め。さあ、答えるがいい!」
男の鋭い声が、猛の耳に響き渡る。言葉を理解できるようになった喜びと、依然として囚われの身であるという現実。猛は、この一連の出来事のあまりの衝撃に、しばし呆然と立ち尽くしていた。しかし、彼の胸には、あの『スキルツリー』が、この世界で生き抜くための、唯一の希望として確かに存在していることを感じ始めていた。
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