第15話「月森は譲らない。」

 作業用ファイルを開こうとして、ふと迷った。


 いつも通りの順番でいくか、それとも今日は、扱いやすい方から進めるか。


 手元の冊数はいつもより多い。俺は思案の末、「まあどっちでもいいか」と自分がやりやすい順でファイルを並べた。


 その瞬間、隣にいた月森の手が止まった。


 ほんの一拍の間を置いて、彼女は静かに言った。



「それ、順番、違う」


「ん?」


 俺は顔を上げる。


「いつもと順番が違う。……たぶん、返却棚のラベル順じゃない」


「まあ、どっちでもよくない? どうせ最後にまとめるんだし」


 俺がそう返すと、月森は一瞬だけ視線を泳がせてから、はっきりと言った。


「私は、こっちの順番の方がやりやすい」



 その声には、珍しく“反論”の色が含まれていた。


 怒ってるわけじゃない。でも、譲らない。

 そういう、いつもと少し違う月森の顔だった。



「……わかった。じゃあ、そっちでいこうか」


「……ありがとう」

 


 月森はまた作業に戻った。

 ペンを走らせる音が、いつもより早く響く気がした。





 しばらく無言で作業を続けながら、俺は月森の横顔をちらちらと見た。


 淡々としてるけど、内心は何かを気にしている。

 そういうのが、さっきのやりとりでなんとなく伝わってくる。



 記録カードを記入し終えたところで、口を開いた。


「意外と、順番とか気にするタイプなんだな」


「うん。……慣れてる順の方が、考えなくて済むから」


「なるほど」


「急に変わると、なんかやりにくい。……頭の中が、合わなくなる」



 月森はペンを止めることなく、ぽつぽつと話す。

 それだけで、彼女がこの“いつもの順”にどれだけ助けられてるか、なんとなくわかった。


「そういうの、大事だよな」


「うん。……たぶん、私、変化に強くない」


「わかる気がする」


 


 言ってから、自分にもそういうところがあるなと気づいた。


 例えば教室の席替えとか、靴箱の場所が変わったときとか。

 慣れるまでやけに時間がかかる自分を思い出す。


 

「じゃあ、これからも月森の順番でやるよ」


 

 自然にそう言ったら、月森は一瞬だけ動きを止めた。


 それからゆっくりと顔を上げて、こちらを見た。



「……ありがとう」


 

 さっきと同じ言葉なのに、今度の方が、ずっとやわらかく聞こえた。





 作業が終わって、ファイルを仕舞いながら、ふと気になっていたことを口にする。


「ていうかさ、たまにファイルの順番バラバラになってる時あるけど……そのときも気になってた? 俺も何回かやったことあるし......」


「うん」


「でも、何も言わなかったのは?」


「迷ってた。……言ってもいいのか、言わない方がいいのか」


「で、今日は言ったと」


「うん。今日は、言った」


 


 理由は聞かなかった。

 たぶん、月森の中で“言えるかもしれない”と思ったからだ。


 それがなんか、地味に嬉しかった。



 帰り道。

 夕焼けが静かに校舎を染めていた。


 昇降口の前で靴を履きながら、なんとなく口が開く。



「俺さ、月森ってもっと全部受け流すタイプだと思ってた」


「全部は、流せないよ」


「そっか」


「譲れないこと、ある」


「……なんか、かっこいいな」


 


 月森は何も言わなかった。


 でも、扉を押して歩き出すとき、ほんの少しだけ、口元がやわらいだような気がした。



 月森静は、譲らない。

 小さなことで、誰も気にしないようなことで。


 でも、そこに自分なりの形があって、それを崩したくないっていう強さがある。


 表には出さないけど、それでもちゃんと持ってる“芯”みたいなもの。



 それを言葉にしてくれたことが、今日の中でいちばん、まっすぐだった。

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