第16話「月森は答えない。」
「もしさ」
ふと、ペンを置いて俺は言った。
「月森が誰かと付き合うなら、どんなタイプがいいと思う?」
図書室の空気が、わずかに静まる。
もともと十分に静かな場所だけど、今のは――確かに、ちょっと聞き方が軽かったかもしれない。
月森はファイルに視線を落としたまま、ぴくりとも動かない。
無視、じゃない。何かを考えているような、でもそれを表に出す気はないような。
そんな沈黙。
「……怒った?」
俺が気まずそうに声をかけると、月森はゆっくりと首を横に振った。
「別に」
「じゃあ、なんで無言?」
月森はしばらく言葉を選んでから、小さく答えた。
「……答えることでもないと思っただけ」
言い方は静かだけど、そこには明確な拒絶が含まれていた。
強い感情じゃない。ただ、月森なりの線引き。
「……そっか。ごめん。変なこと聞いた」
謝ると、月森は小さくうなずいた。
そのあと、また元通りに記録カードを整え始めた。
いつもと同じようで、どこかぎこちない時間が流れた。
⸻
気まずい、というほどではない。
でも、“何かが引っかかってる感覚”だけが、ずっと残る。
作業を進めながら、俺は何度か月森の方を見た。
表情は相変わらず変わらない。手の動きも丁寧で正確で、いつも通り。
だけど――やっぱり、なにかが違う。
この沈黙は、たぶん「気まずさ」じゃなくて、「余韻」だ。
月森は、きっと本当に考えたんだと思う。
どう答えるか。あるいは、そもそも答えるべきなのか。
でも結果として、選んだのは「答えない」という選択。
それが、月森らしい気がした。
⸻
「……なあ」
沈黙を破ったのは俺の方だった。
「じゃあ逆にさ、俺が誰かと付き合うなら、どんなタイプだと思う?」
問いを反らすみたいに。けれど、どこか挑むように。
月森は、その言葉にすぐ反応したわけではなかった。
ページをめくる手を止めず、ただ目だけが俺の方に流れる。
そして――また、何も言わなかった。
「……それも答えないんだ」
俺が苦笑混じりに言うと、月森はその手を止めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「うん。でも、考えてないわけじゃない」
静かなその言葉に、心が少しだけ揺れた。
“考えてるけど言わない”と、“何も考えてない”は、全然ちがう。
その違いが、こんなに大きく感じるとは思わなかった。
⸻
帰り道、月森と並んで歩く。
今日の空は曇っていて、赤くも青くもない。
でも風が少しだけ涼しくて、ふたりで歩くにはちょうどいい気温だった。
「なんかさ」
俺がポツリとこぼす。
「いろいろ聞きたくなるんだよな、月森のこと」
月森は特に反応を返さない。
「無表情だし、余計なこと言わないし。だけど、なんか気になってさ。……もっと知りたくなる」
やっとそのとき、月森が少しだけ足を止めた。
俺も立ち止まる。
そして月森は、静かに言った。
「……全部、答えられるわけじゃないよ」
それは、拒絶じゃなかった。
言い訳でも、逃げでもない。
ただ、月森の本音だ。
「知ってる。別に、全部聞きたいわけじゃないし」
そう言ってから、俺はゆっくり歩き出す。
月森も、わずかに遅れて歩き出した。
並んで歩くその距離が、さっきよりほんの少し近づいた気がした。
月森静は、答えない。
でもそれは、何も考えてないからじゃない。
答えなくても、ちゃんと考えていて、答えないことを、ちゃんと伝えようとしてくれてる。
それが、なんだか月森らしくて――ちょっとだけ、うれしかった。
月森静は笑わない。 雨凪 @ao_coffee
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