第14話「月森は気をゆるさない。」

 図書室の扉を開けたとき、カウンター前に見慣れない男子が立っていた。

 見慣れないと言っても、クラスは同じ。名前も顔もわかる。


 井口。たまに教室で隣になることもあるやつだ。


 

「こんにちは」


 月森が静かに言う。


「ん、どうも」


 井口がやや軽い調子で返す。

 雰囲気は悪くないけど、なんとなく噛み合っていないように見えた。



「また借りると思うんで、よろしく」


「はい」


 短いやりとりのあと、井口は本を小脇に抱えて出ていった。


 


「よっ」


 入れ替わるようにカウンターに入った俺が、いつも通り手を軽く上げる。


「こんにちは、青空くん」


 月森がこちらに向き直る。その目が一瞬だけ和らいだように見えた――気がした。



 いつも通り、作業を始める。


 今日も特に難しい作業はなく、返却カードの記録と整理。

 静かな時間が続く。


 


「さっきの、井口だよな?」


「うん。同じクラス」


「……知り合い?」


「知り合い、ってほどじゃないけど。教室で話すくらい」


 


 月森の声色に変化はない。


 でもどこか、井口と話していた時よりも、今の方が自然に見える。


 特に言葉に出すようなことでもないけど、なんとなくそう感じた。


 


「……ああいうの、話しにくくない?」


 思い切って聞いてみる。


「別に。必要なときは話す」


「そうなんだ」


「図書室だから」


 


 それだけ言って、月森はまた手元の紙に目を戻す。


 話すべきことを話す。

 それ以上でもそれ以下でもない。


 たぶん、それが月森の基本の姿勢。


 


 だけど俺と話すときは――なんというか、それよりは少しだけ柔らかい気がする。


 明確な違いじゃない。

 ほんの少しだけ、受け答えが軽くなるというか、空気がまろやかになるというか。


 


 気のせいかもしれない。

 でも、井口とのやりとりを見て、そんなふうに思ったのは確かだった。


 


 作業を終えてファイルを閉じる。


 ふと、思いついたことをそのまま口にした。


 


「俺のときって、ちょっと違ったりする?」


 


 月森は、ほんの少しだけ手を止めて、視線を横に流す。


 まるで、言うか言わないかを考えているような沈黙があった。


 


「……図書委員だから」


 それは、想定していた返答。


「それだけ?」


 そう重ねると、今度はすぐには返ってこなかった。


 


 短い沈黙のあと、月森がほんのわずかに口元を緩める。


「……それだけじゃないかも」


 


 そのひと言が、心に妙に残った。


 言い切らなかったことで、むしろはっきり伝わった気がした。



 


 図書室を出ると、すこしだけ空が赤く染まりかけていた。


 並んで歩く月森は、相変わらず表情を変えない。

 けれど、その無表情の奥に何かが宿っている気がした。



 月森静は、気をゆるさない。

 誰にでも同じように見えて、ほんの少し、違う気がする。


 あの時の返事とか、目線とか。


 他の人には見せない、何かがあるような――

 そんな気がしただけかもしれない。


 でも、

 ほんの少しだけでも、そうだとしたら。



 それって、ちょっと……うれしい。

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