第11話「月森は知らない。」

「最近、見かけないんだよなあ……」


 俺がそうつぶやいたのは、図書室の作業中だった。


 声をかけたつもりはなかった。完全な独り言だ。


 でも、それに返事が返ってくる可能性も、少しだけ期待していた。


 


 何が? と、月森が聞き返してくれる――なんて展開は当然なくて。


 彼女はいつも通り、淡々と返却カードの記録を整理していた。


 俺はすぐに口を閉じて、目の前のファイルに目を戻す。


 


 さっき呟いたのは、近所の自販機で最近ぜんぜん見かけない、期間限定のピーチティーの話だった。

 甘すぎず、でも香りがよくて、妙にクセになるやつ。


 俺は地味に好きで、前は見つけるたびに買ってた。

 でもここ最近は、どこ行っても売ってなくて、完全に諦めかけていた。


 


「……よし、終わりっと」


 俺がファイルを閉じると、月森もタイミングを合わせたように書き終えた。


「じゃあ、返却棚、運んでおく」


「ありがとう」


 今日の作業は、それだけで静かに終わった。 



 帰り道、昇降口を出たところの自販機が目に入る。


 なんとなく、いつも通り前を通りすぎようとしたとき――


 ふと、目が止まった。


 


「……ある」


 


 そのピーチティーが、そこにあった。


 しかも真ん中の段に、ちゃんとラベルが見えている。


 反射的に財布を出して、ボタンを押す。


 カコン、と軽い音がして、ペットボトルが落ちてくる。


 


「おー……久々に見た。やっぱこれだな」


 思わず笑みがこぼれる。


 そのとき、ふと背後から気配を感じて、振り向く。


 


 月森が、少しだけ離れたところに立っていた。


 特に何か言うわけでもなく、ただ俺が買った缶をちらりと見ている。


 


「これ、前に好きだったやつ。最近全然見なくてさ」


 説明するように言うと、月森は小さくうなずいた。


「へえ」


「……知ってた?」


「知らない」


 即答。


 だけどその後、ほんのわずかに間を置いて、月森がぽつりと続けた。


「でも、見つかってよかったね」


 


 その言い方が、やけにやさしかった。



 そのまま、俺たちは並んで歩き出す。


 いつも通りの下校ルート。


 何かが特別に変わったわけじゃない。


 でも、今日の“よかったね”は、いつもと違って聞こえた。


 


 ――あれ?


 そういえば、俺、前に図書室でこぼしてたっけ。


 「最近見かけないんだよな」って。


 月森、あのとき聞いてたのかな。


 


 聞いてたから、今日も後ろから見てた?

 それとも、ただ偶然だった?


 ……いや、たぶん偶然。


 月森は、そういうタイプだ。


 


 でも。


 もし、ほんのちょっとでも覚えてくれてたなら――


 今日の「よかったね」は、きっと、もっと特別だった。



 月森静は、知らない。


 俺がこのピーチティーをずっと探してたことも。

 見つけたとき、ほんの少し嬉しかったことも。


 でも、そばにいて、見ててくれて、

 「よかったね」って言ってくれた。



 それだけで。

 それだけでなんだか、今日がちょっとだけ、いい日になった。

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