第9話「月森はついてこない。」

 作業が終わって、図書室を出ようとしたときだった。


「あ、やべ……」


 思わず小さく声が出た。

 カバンの中を探っても、入っているはずのノートが見当たらない。


 今日の授業で使っていたやつだ。たぶん、教室に置いてきた。


「ごめん、ちょっと教室に戻ってくる」


 カウンターの脇で靴を履いていた月森に声をかけると、彼女はそっとこちらを見た。


「うん」


「先に帰ってていいよ。すぐ追いつくから」


 そう言いながら扉の外へ出ると、薄い夕焼けの光が廊下に差し込んでいた。


 


 職員室の前を通って教室に戻る。

 ノートは机の中にあった。ホッとしつつ、足早に来た道を引き返す。


 図書室の扉の前まで戻ったとき、そこで少しだけ、足が止まった。


 


 月森がまだいた。


 靴を履いたまま、廊下の端、掲示板の前に立っている。

 何かを読んでいるようで、でもそれほど熱心にも見えない。


 俺の気配に気づいたのか、月森は軽くこちらを振り向いた。


「あれ、帰ったんじゃ……」


 声をかけると、月森は小さく首を横に振った。


「すぐ戻るって言ってたから」


「……じゃあ、待っててくれたの?」


「別に。掲示、見てただけ」


 淡々とした返事。

 表情は相変わらず読めないけど、嘘をついてる感じでもなかった。


 


 俺たちは並んで歩き出す。


 部活の掛け声やら、誰かの笑い声やらが校舎の奥から聞こえる中、二人きりで歩く廊下は少しだけ静かだった。


 


「無理して待ってたなら、悪かったな」


「してないよ」


 それだけ言って、また少しだけ歩く。

 階段を下りながら、ふと思い出す。


 


「……月森、同じ方向だったんだよな。帰り道」


「うん。たぶん、途中までは」


「そういや、最近は一緒に出ること多いかもな」


「青空くんが、委員で図書館に来るから」


「まあ、そうなんだけど」


 会話は続くような、そこで止まるような、不思議な余白があった。


 


 靴箱の前で並んで履き替える。


 今日もまた、特別なことは何もなかった。


 月森はいつも通り。

 言葉は少なくて、表情も変わらなくて。


 でも――


 それでも、ちょっとだけ、うれしかった。



 校門を出ると、風がやわらかく吹いていた。

 ほんの少しだけ、夕焼けの色が淡くなり始めている。


 歩幅は合わせていないのに、なぜかぴったりと揃っていた。


 別に、会話が続くわけでもない。

 笑い合ったり、特別な間柄でもない。


 でも、こうして帰るのは、嫌じゃなかった。



 月森静は、ついてこない。

 誰かの歩幅に、無理に合わせたりはしない。


 でも、気づけば、ちゃんと隣にいた。



 そのやさしさに、

 ⸻今日、ちょっとだけ気づけた気がした。

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