第6話「月森は忘れない。」

「去年の体育祭、何出たっけな……」


 ふと、西園寺がぼんやりとつぶやいた。教室の後ろで立ち話しながら、廊下の掲示を眺めていたときのことだ。


 校内ではすでに、次の行事に向けた準備が始まっていた。

 ポスター、注意事項、係決めの紙。

 そういうものが、ゆっくりと学校の空気を切り替えていく。


「俺、たぶん玉入れとリレーだったような。あと……パンくい競走?」


「へー、そんなに出てたんか。俺、記憶ほぼないわ」


 俺は思わず笑った。

 あれだけ大きな行事だったはずなのに、自分の出番がほとんど思い出せない。


「写真とか見たら思い出すかもな。体育倉庫の横で土煙吸い込んだ記憶だけはある」


「それ、競技じゃなくて被害者の記憶だろ」


「確かに、違いない」


 そんな感じの、ゆるいやりとり。

 でもそのときふと、“誰が何を覚えているのか”ってことが、少しだけ気になった。



 放課後。図書室。


 今日もいつもと変わらず、月森がいた。


「よっ」


「こんにちは、青空くん」


 定位置。定番の挨拶。表情は、もちろん変わらない。


 だけど今は、それが心地よくもある。


 貸出カードの記入作業を始めながら、昼の話を思い出した。


「月森ってさ、去年の体育祭のこと覚えてる?」


「覚えてるよ」


 即答だった。


「……ほんとに?」


「障害物競走と、玉入れと、リレー。三つ出た」


「え、まじで? 俺より覚えてるじゃん」


「青空くんは借り物競走で、変なこと言ってた」


「変なこと……?」


 俺が首をかしげると、月森は手を止めずに続ける。


「“カツラの人”って紙に書いてあったらどうすんだよって」


 思い出した。たしかに言った。


 自分の出番が終わったあと、帰ってきてちょっと笑いながら誰かに言ってた。

 くだらないひとこと。思い出話にもならないくらいの、小さな会話。


「……なんでそんなの覚えてんの」


「青空くん、声大きかったから」


「それだけ?」


「おもしろかったから」


 月森は、そう言って、また視線をカードに戻す。

 何もなかったかのように、いつもの速度で作業を進めていく。


 でも、俺の方はしばらく動けなかった。


 月森がそんなこと覚えてたなんて。聞いてないと思ってた。

 自分が言ったそんな些細なことなんて、記憶にも残ってないと思ってた。


 でも――ちゃんと、残ってた。



 帰り道。図書室を出たあと、空を見上げながら考えてた。


 月森は、あいかわらず無表情だし、リアクションも薄い。


 見えてないからって、届いてないわけじゃない。

 反応が薄くたって、記憶にちゃんと残ってることだってある。


 月森静は、忘れない。

 俺が覚えてないようなことも、ちゃんと覚えてくれてた。


 声にも、顔にも出さないけど。



 それって、たぶん――すごく、やさしいことだ。

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