第5話「月森は怒らない。」
月森って、ほんとに感情あるのかな――。
なんてことを、教室で何気なく口にしたのは、たぶん昼休みのことだった。
「なあ、月森ってさ、もし怒ったらどうなるんだろうな。眉毛動くとか?」
俺が笑いながらそんなことを言った瞬間、隣に居た西園寺が「お前死ぬぞ」と真顔で返してきた。
「いやいや、べつに悪口とかじゃないって。気にならない? 月森の怒った顔、誰も見たことなくね?」
「それはそうだけどよ……本人に聞こえても知らんぞ?」
「月森ってそういうの気にするタイプじゃないだろ、たぶん」
……なんて、軽口を叩いていたわけだが。
そのとき――本当にほんの一瞬だけ、ふと目が合った気がした。
こっちを見ていた。……ような気がした。
でもすぐに視線を外された。
……え?
今のって、聞こえてた?
いやいや、偶然だよね? たぶん。きっと。偶然に決まってる。
⸻
午後の授業が終わって、図書室に行くと、月森はいつも通りそこにいた。
椅子に静かに腰かけて、本を整理している。
変わった様子は――ない。ように見える。
「よっ」
「こんにちは、青空くん」
返事も、テンションも、いつも通り。
俺の中で、なんとなくほっとした。
さっきのことは気にしてなかった、よな。うん、そうだよな。
……そう、自分がそう思いたかった。
⸻
今日の作業は、貸出記録のデータ入力。
机に並べた本の山を、ひとつずつ処理していく単純作業。
俺はちょこちょこ話をふってみたけど、どうも反応が薄い。
「なんかさ、図書室って、ずっといると落ち着くよなー。住めそうじゃね?」
「……そうかな」
「本に囲まれて暮らすの、悪くないかも。Wi-Fiさえあればいける」
「……」
あれ? なんか今日、すげぇ静かじゃない?
いや、もともと静かなのはいつもだけど、なんだろう……
いつもより会話が続かない、気がする。
沈黙の感じも、ちょっとだけ違う。
「ていうかさ、月森ってほんと感情バグってるよな。どんな話しても表情動かないし」
……言った瞬間、自分でも「やった」と思った。
やらかした。
自分でわかる。それ今じゃないやつ。勢いのままに、流れのままに言ってしまった。なんで今ぶっ込んだんだ、俺。
月森は、何も言わなかった。
ただ、本を静かにページの途中で閉じて、次の本に手を伸ばした。
顔色も変わらない。声も出さない。
でも、妙に手元の動きが機械的だった。
あー……これは、完全にやらかした。
⸻
作業が終わるころになっても、空気は“いつも通り”には戻っていなかった。
俺は最後の勇気を振り絞って、帰り支度をしながら小さく声をかける。
「……あのさ、さっき……なんか、変なこと言っちゃってごめん」
返事はすぐには返ってこなかった。
だけど、しばらくして、月森が言った。
「……別に。怒ってないよ」
それだけだった。
だけど、不思議なことに――
その「怒ってない」という言葉に、ちゃんと感情があるのがわかった。
月森は、たしかに怒ってなかった。
でもきっと、何かは感じていた。
それを、俺が見落としていただけなんだ。
⸻
帰り道。
いつもより重たいカバンと、いつもより静かな心。
あの時、俺が冗談で言った言葉も、
きっとどこかに、少しだけ、刺さってたのかもしれない。
月森静は怒らない。
でもそれは、何も感じてないからじゃない。
ちゃんと、受け止めてる。
……今日、それに気づくのが、ちょっと遅すぎただけだった。
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