16

今日は大学の特色BGMがない。


それだけで彼は少し肩の力が抜けた。

自覚はなかったが、想像以上に体に力が入っていたらしい。


久しぶりにゆっくりと夕食を食べ終わると、彼はうーんと大きく伸びをした。

風呂に入り、髪を適当に乾かし、台所でお気に入りの炭酸飲料をコップについで二階の自室へと向かう。

机にコップを置き、椅子に座ったところで彼はノートを鞄から取り出した。

勉強の方ではない。

白黒の世界、黒に塗りつぶされた世界、真っ白な世界、真っ白にひかれた少しの世界。

目を閉じれば、きらきらと水の中で光が反射し、肺呼吸であるはずの彼は大きく息を吸った。

魚が泳ぐ。

動物が気だるげに寝ている。

クラゲが舞う。


そして。


女性が笑い、手を差し出す。


彼はゆっくりと紙にシャーペンを走らせた。

わくわくがどきどきが止まらない。

描きたいものが決まっているわけではない。

ある意味、スケッチなのかもしれない。

頭に浮かんだものをひたすら描きだしていく。


魚、カフェラテ、鳥、アイスティー、水族館のチケット・・・。

今日という日を忘れないように、無意識にそう思っていた。

彼は夢中でシャーペンを走らせた。

そのとき、ふと、どうして彼は白黒の世界しか描かなかったのかを思い出した。

昔の彼の絵は色であふれていた。

色の常識をすっ飛ばし、葉っぱが深海のような青色だったり、人が水色だったり。

頭の中の世界を楽しく描いていた。


しかし、それは突然、壊された。


小学校中学年。

休み時間に絵を描いていたときだった。

同じクラスの名前も忘れた少年が、ピンク色を使うなんて女々しくて女みたいだなと大声で叫んだ。

ただ、それだけだ。

今にして思えば、大したことではない。

しかし、当時の彼はそれを恥ずかしいことだと認識してしまった。

彼の絵からピンクが消えた。


中学美術部。

そう、進路を相談した顧問に入部当初に言われたのだ。

「君は色の使い方が下手で何を描いているのかいまいち伝わらないね。白黒で描いてみたらどうだい?」

その日からだった。

彼の頭の中の色は姿を消し、代わりに精密な白黒の世界が見えるようになった。

「今にして思えば顧問やばいやつだよなー」

そう苦笑すると、彼は机の引き出しを開けた。

色とりどりの色鉛筆。

彼は色鉛筆が好きだった。

すっかり忘れていた。

「別に何色で塗ろうが俺の勝手だろ」

誰に言うわけでもない呟き。

それでも彼の口元は自然と緩んでいた。


彼はピンクの色鉛筆を取り出すと、カフェラテを塗り始めた。

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