第二頁 血

 ハダリーは甲板に上がって間もなくのしのし歩き、梯子のような階段を上っていった。それにミヒオも着いて行ったため、少女たちも自動的に着いて行くことになった。辿り着いた部屋で、ミヒオは肩に担いでいた籠をひっくり返し、収穫した宝石たちを床にぶちまけた。

 ジルビの後ろから合流したもう一人の青みがかった黒髪の青年と一緒に、ハダリーとミヒオは散らばった宝石を仕分けし始めた。

「腐り、新鮮、新鮮、腐り、新鮮、未熟、腐り、新鮮……」

 ハダリーが黙々と呟く中、ミヒオがそれらを籠に入れ直し、もう一人の誰かが記録をする。

 腐り、と呼ばれたものたちの籠をミヒオが階下の十九人に渡すのを見ながら、所在無げに立っていたアビルが口を開いた。

「あの……私、たち、何か手伝わなくて――」

「ああ、いいのいいの。むしろ何もすんな。あんたらは、血の通った人間なんだから」

 ハダリーは優しい声音で突き放した。

「っつって、俺も血の通った方の人間なんっすけどね~」

 ミヒオが明るい声でそう言って笑い、追加の『腐り』を三つ、ぶん、と放り投げた。階下の船員はそれを受け取り、宝石を潰す作業を再開する。

「仕方ないだろ、人手足りてねえし」

「ま、それだけ信頼して頂けてるってことっすかねー」

「そうそう。そういうこと」

「軽いなぁ~」

「……あれ、何してるの?」

 こそこそ話をするように、ジルビはもう一人の黒髪さんに聞いてみる。

「…………ジャム」

 長い沈黙の後、彼はぼそっとそう答える。かすれ声に近く、声と形容していいのかもわからない、風のうねった音のようなものだった。

「ジャム? 作ってるの? 宝石で?」

「……食糧」

「腐ってるのに?」

「……食べ、られる」

「ふうん……ところで血の通った人間って何?」

「おい、喋りすぎだぞ、【水曜日】」

 ハダリーがたしなめてきたが、特段怒っているような雰囲気でもなかった。

「えっ、喋ってたんですか!?」

 ミヒオが驚く。

「あの、教えてもらわなくちゃ、困ります。何もわからないままなのは」

 アビルが話を戻すように、控えめに続ける。ジルビは姉の言葉にそうだそうだと深く頷いてハダリーを見上げた。一方アビルは、得体のしれない人に気安く話しかける妹に気後れしていた。妹がまるで懐いたみたいに傍にいる青年の方は、名前もわからないし、濃紺のフードの奥に見える暗い眼差しが、耳に光る青い宝石の妖しさと相まって不気味に感じられたのだ。

「おい、宝石にあんまり近寄るなよ、おチビちゃん。発病しても知らないぞ」

「はつびょう?」

「病気になっちゃうってことだよ、おチビちゃん」

「おチビじゃないわ、ジルビよ」

「ジルビはいい子だから言うことが聞けるかな? 一応あんたらの身を案じて気にしてやってんだぞ。あの鮫みたいになってもいいのか?」

 ジルビが片眉を上げながら黙り込むと、アビルが口を開いた。

「あなたたちは、触っても大丈夫なんですか……?」

「大丈夫なもんか。もうとっくにオレたちゃ感染して、発病してるんでね。ここら一体、生き物みーんな花に寄生されちまってる。見た限りじゃ、血がちゃんと流れてんのはミヒオとあんたら二人くらいだね」

「つまり、その……感染したら、どうなるんですか? 身体に花が咲くの……?」

「うーん、花が咲くっていうか、花が流れるっていうか……?」

 ミヒオがそう答えて、手に持っていた緑色の宝石を左手で軽く宙に投げ、掴み直してから籠の中に入れた。

「感染した生き物の体内では、花びらがすごい速さで体中を巡ってるんっすよ。だからね、首の血管切るでしょ。そしたら血飛沫じゃなくて、花吹雪が舞うんすよ。アビルさんも見たでしょ? あの人食い鮫とおんなじ。あ、血飛沫見たことあります?」

 アビルはごくりと喉を鳴らした。拳を握りしめて、小さく体を震わせた。

「それくらい……知っている。私の家族も友達も、みんな血まみれにされたのだから」

「それが、この砂海上では珍しいことなんだなあ」

 ハダリーは刀で宝石を三つ串刺し、その柄を人差し指だけで支えてくるくると回転させた。

「それで、血が廻った各臓器には花の実が成る。それがこいつ――。まぁ、熟しすぎるとずぶずぶになるけど。どうせ感染してるし、キラキラ綺麗なんで、オレらはこれをお宝にして飾り付けてるってわけ」

「アビルさんたち、これのこと知らないなんてほんとに珍しいっすよね。どこから来たんすか? どこの国があったところ? どこの大陸?」

「し、らない……」

 矢継ぎ早の質問に、アビルは俯いた。

「私たちの村は私たちの村しかなくて、山の下には怖い人がいるって……でも、本当にその通りだった。まさか殺されるなんて思ってなくて――」

「まあ、赤道近くよりは極寄りかね? 二人とも色素薄いし。スラヴとかアングロサクソン系かな」

「あんぐろ……?」

 ハダリーの言葉は聞きなれず、ジルビは首を傾げた。ハダリーは立ち上がって、串刺しにした六つの宝石を振り落とす様にぶん、と短刀を振った。潰れたような形で六つの宝石が放物線を描き、階下に落ちていく。

「んじゃ、オレからも質問だけどさ、赤毛のお嬢さんがた」

 ハダリーは溜め息まじりに服の袖で刃についた汁を拭った。白いシャツに色とりどりの水彩絵の具のような染みが広がっていった。混じりあったところは濃い茶色になっていた。

「あんたら、言葉は何語? 本当は英語とかも知らないんじゃねえの?」

「えいご?」

 姉妹の言葉が重なる。

「ほらね。あんたらは多分ね、独自の言語を話してんだなあ。でもあんたらはオレたちと違和感なく話せてる。それ、不思議に思わなかった? 思う暇もなかったか。急なことでびっくりしたもんなあ」

「なにを……」

 戸惑いを顔に浮かべるアビルに、ハダリーはぐっと顔を寄せてにっと笑った。

「オレの一番最初の質問、覚えてる?」

 アビルは瞬きをした。頭の中で、にやりと笑ったハダリーの顔が浮かんでくる――その顔が逆光に照らされて怖かったのをアビルは思い出して、俯いた。

 ――『お名前は? 言葉、わかる?』

「名前と……言葉がわかるか、と言ったわ。あなたは」

「そう。それでな、あんたらがどういう状態にあるのか図ろうとしたんだ。もし言葉が通じないなら、オレらと会話できないような二人だったら、そのまま見殺しにするつもりだった」

「な、なんで……!」

 アビルは顔をさっと青くして両腕で肩を抱いた。ハダリーは素知らぬ顔で、人差し指と中指で短刀を水平にくるくると回していた。

「あ、あんなところもう嫌よ! わ、私たち、どれだけ心細かったか……貴方たちが現れて、怖くて、でも、助かるかもしれないって、嬉しくて――」

「あんたらがさ、血の通った人間だってことはすぐ分かったんだよ。だってあんたの顔は真っ青だったし、妹――何だっけ? ジビル? ジルビ?」

「ジルビ」

 フードを被った黒髪さん――【水曜日】が答える。

「ああ、そうそうジルビね。そのジルビさんはあんたと逆で真っ赤な顔してた。ちゃんと赤い血液が流れてる人間じゃねえと染まらない肌の色だよ、それはな。しかもあんたらは肌が白いからわかりやすかったなあ。腕見たら、青い血管も浮きあがってやがる」

 ハダリーはアビルの腕を、青い血管をなぞるように撫で、アビルはびくりと肩を揺らした。金色に染まったハダリーの爪は、きらりと瞬いた。宝石のように。

「もしも言葉が通じなかったら、あんたらがまだ花に寄生されてねえってことだ。正真正銘の人間様ってことさ。だったらそのまま、死なせてやるのが幸せってもんだろう? 人間様の尊厳を保ったまま、死んだ方がいい。オレはそう思う」

「何を……言っているの?」

「オレらみんな、本当は、共通言語なんかひとっつもしゃべっちゃいねえ。それなのに会話が成り立つのは、オレらの身体の髄にまで根を張った花がな、オレらの脳に錯覚を起こさせてるからさぁ。自動翻訳機って言うのかな。あー……だからさ、わかりやすく言うとな」

 ハダリーはアビルから顔を離して、へらりと笑った。

「花に寄生されてないんなら、オレらと言葉が通じるはずがないんだ」

 アビルは何も言えないまま、ぎこちなく首を回して、隣で船壁に寄りかかるミヒオを見た。ミヒオは静かに笑った。

「ん? 俺もそうっすよ? ただまあ、俺はまだ花が体の中で咲いてないんす。船長が助けてくれたから……二人もきっと同じだ」

 ミヒオはアビルの手をとって、何かを握らせた。アビルが手を広げると、それはアビルの目によく似た淡い緑色の二つの宝石だった。耳に留める金具までついている。

「それ、はめとくといいっすよ。花の中枢は特に脳に寄生してるみたいで、脳に近いところに未熟な宝石ぶら下げてるとね、花の成長が抑制されるんすよ。俺も、ずっとそうして血が通ったままでいられてる」

「これ、は……ジルビに……あげて」

 アビルは回らない頭で辛うじて、震える声でそう言った。

「二人分用意するに決まってんだろうがよ」

 ハダリーは鼻で笑った。アビルは言われた言葉を理解した後、へなへなと座り込んだ。

 仕分けが終わり、【水曜日】は新鮮と呼ばれた宝石の籠を抱えて階段を下りていった。ハダリーも後に続いて階下に消える。ジルビはぱたぱたと足音を立てながら姉の元へ駆け寄った。

 ジルビは既に、鮮やかな赤紫色の小さな宝石を耳朶にぶら下げていた。

「お姉さん」とジルビの唇が動く。

「さっきのお兄さんから宝石もらった」

「そう……」

 アビルは妹をぎゅっと抱きしめた。アビルの頭の中で、言葉にならない想いが渦を巻く。アビルはジルビの顔を自分の腹部に押さえつけて、自分はぎゅっと目と口を閉じ、やがてぼろぼろと涙を流した。ミヒオはその間、何も言わずに隣にいて、潮風に耳を澄ましていた。ミヒオはアビルの細い腕を見つめた。赤いかさぶたが幾つもついた肌だった。この姉妹がどれほどの怖い思いをして、あの人食い鮫の腹の中で息を潜めていたのか、ミヒオには想像しかできない。それでもその気持ちは、ハダリーに見つけてもらった――ある船の倉庫に監禁されていた時代の自分と、案外似たようなものなんじゃないか、なんて勝手に想像した。

 ミヒオはハダリーが率いる海賊のことを、家族だと思っている。そして姉妹に出会い、胸の内にまた別の気持ちが湧き起こったのを自覚していた。自分の半身を見つけたような心地だ。まるで本当の家族を見つけたみたい――肌の色も、髪や眼の色だって、全然違うのに。

「二人のことは、俺が絶対守るっすからね!」

 泣き止んだアビルに、ミヒオはにっと八重歯を覗かせ笑いかけた。

「二人の、人間としての尊厳は俺が守るっす! 命に代えても!」

 ほっとしたのか、アビルの眉尻が下がる。

 そんな二人を見上げて、ジルビが少しだけ悲しげに目を細めたことに、二人は気づかない。


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