第4話
「鏡餅の形状にはとぐろを巻いた蛇の暗示もありますが、刃物にしても鈍器にしても害することに変わりないのでは?」
「あら、言うわね。でも『鏡でも蛇でも的でもある』なんて贅沢なことは考えなくていいのよ。鏡だから割る。簡単なこと」
それまでもコップ酒を数杯、山盛りの煮卵にグリル盛り合わせを胃へ収めているというのに、巳の仙人は丼一杯の雑煮を難なく呑み込んでいく。所作そのものはお淑やかだが、食べ方は呑食というギャップにも彼女の妙な魅力の源があるような気がする。
やがて、丼を持ち上げて全てを飲み干した巳の仙人は、丼を下ろしながら豪快に息をついた。そしてコップに残った酒を空けながら立ち上がる。
「大将、お勘定ね」
巳の仙人は大将が差し出した会計トレーへぱさりと紙幣の束を載せた。数えるのも失礼だが、ざっと見ても私のいつもの払いの数倍はある。大将は大将で載せられた紙幣を数えることもなく、カウンターから出てきて見送りの準備をしていた。
ドレスがそっくり隠れるコートを羽織った巳の仙人は、いかにも満足そうな表情を浮かべて大将に手を振り、歩いていったが、店を出ようという間際に私の方を振り返った。
「食われたいならいつでもおいで」
巳の仙人はハートでも飛びそうな流し目を私にくれながら、改めて店を去っていった。
私は大将の方を振り返りつつ「あのひと、どこで働いて」と言いかけて、私の席に置かれた彼女の店の名刺に気付く。いつの間に置かれたのかは分からない。まじまじとそれを見ると、表通りのビルの最上階にある高級クラブのものだと分かった。
「行くんですか?」
「うーん、いちおう仕事先は見ておきたいというか」
「行くなら止めないですが、いや、止めたほうがいいのかな。真面目に尻の毛まで抜かれますよ」
大将いわく、客の高級酒をラッパ飲みで空にしたとか、アフターで行った寿司屋をネタ切れにさせたとか、派手なエピソードが多く、また彼女のそういうところに惚れ込んだお大尽がしょっちゅう指名している人気者らしい。
ド平民な給料でやりくりする私が行くのは、ちょっとやめておいた方が良さそうだ。
私は顔を振ると、名刺を脇に置きつつ大将の顔を見た。
「せっかくなので、私も雑煮をいただけますか? 餅は少なめで」
「はい、ただいま」
そう言って厨房へ向かった大将だったが、すぐに何も持たず引き返してきた。
「ちょっと問題がありまして」
「どうしました?」
「雑煮の内容が大幅に変わってしまいます。恐らくは巳の仙人さまの仕業で」
私はちょっと悩むふりをしたが、最初から腹は決まっていた。
「構いません。お願いします」
そして私の前に供されたのは、大振りに切り分けられた煮豚、普通の粗挽きソーセージ、茹で卵、そしてタガネもちの雑煮だった。流石に丼ではなくお椀だが、はみ出すように盛られた具材がそのボリュームを感じさせる。
「これはメッセージ性がありますねえ」
「どんなです?」
「初志貫徹、ですよ」
思い返してみれば、巳の仙人へ出された料理は卵、肉、肉、肉、そして餅だ。餅は彼女の依頼なので良いとして、問題は雑煮に入れられた野菜類だろう。竜頭蛇尾とでもいうか、とにかく肉好きの彼女は最後まで肉料理で通してほしかったのかもしれない。
「野菜も食べるべきだと思うんですけどねえ」
大将も自分用に雑煮をよそい、しみじみと感じ入りながら椀の中を食べている。
確かに、干支仙人は仙人であるといっても身体は人間に近かった。バランスの取れた食生活をしなければ体調を崩すこともあるかもしれない。
「しかしまたガッツリな〆ですね。おいしいはおいしいんでしょうが、食べ切れるかな……」
「体力つけろっていうメッセージかもしれませんよ?」
試しに煮豚に口をつけてみた私は、思ったよりするすると喉を通ることに気付く。巳の仙人に絡まれ通しだった私は、思えばほとんど何も食べておらず、いまや完全に空腹であった。
奇しくも手元に残ったビールは盛られた肉類と好相性だ。いや、もしかするとこれも想定のうちだろうか?
「まあ、ゆっくりしていってください」
しんみり雑煮を啜る大将と、空きっ腹に肉を詰め込む私。どこか脂っぽい店内の空気の中で、今日も夜は更けていくのだった。
神仙グルメ『乙巳』 青王我 @seiouga
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