第3話

「普段仕入れない材料ですから、入手と保管と、何より調理が大変でしたよ」

「それでこそ馳走ってものよ、大将」


 言葉以上に大変そうな工程が伺えるが、その声色は落ち着いたものだ。いまや最後の一本になったソーセージを旨そうに丸呑みする巳の仙人を見る大将の目には、苦労して拵えた料理を喜んで食べてくれる彼女への嬉しさが垣間見える気がした。


 プレートへ最後に残った料理は、一見してハンバーグのように見える。しかし巳の仙人がフォークを突き刺そうとすると、それは思ったより柔らかく、一度に持ち上げるのは難しそうだ。

 よく見るとハンバーグと呼ぶには刻み方が荒く、更にまとまりが弱い所を片栗粉か何かで無理やりまとめてあるだけのように見える。


「もうっ、大将ったら意地悪ね」


 なんとか大きな塊で持ち上げようとフォーク片手に苦闘していた巳の仙人だったが、諦めた様子でフォークに乗る分だけを口へ運んだ。

 断面を見るに、少なくとも真っ当な挽肉でないことは確かだった。白やら赤やら黒やら灰やら、肉片ごとに色が異なるのは当然のごとく、形も筒状だったり網状だったり、何が入っているのか見当もつかない。


 フォークを口に運んだ巳の仙人からは、ザクザク、コリコリと、およそハンバーグからは聞こえてこない音が鈍く聞こえてくる。

 呑み込むことを諦めたのか、はたまたいっときの気紛れか、彼女は顎を動かして口内の肉を噛みしめていた。


「噛むのも良いもんでしょう?」

「ああ、ホント、意地悪だわ。丸呑みではちゃんと味わえないなんて」


 後で大将に聞いた話では、巳の仙人が食べていたのは様々な内臓の詰め合わせだったようだ。いわゆる普通の肉である精肉は一切含まず、肺やら腎やらを荒く刻んでまとめたものだということだ。コリコリした食感は大動脈だというから念がいっている。


 ふと、店の奥から出汁の香りが漂ってきた。さっきまでの濃厚な出汁や脂の香りではない、恐らく単一の、魚の出汁だ。

 まったく他の香りが混ざらない出汁の香りというのは、少なくともこの店では珍しいと思う。たいていは一緒に煮ている素材の香りがつくはずだからだ。

 タケノコやら、サバやら、エビやら、出汁と煮られてあいまった香りはそれだけで食欲をそそる。しかしながら、いまこの店に漂っている出汁の香りは混ざり物のない、透き通るような魚のものだけだ。


 隣に座る巳の仙人は、私がその香りを嗅ぎつけたより前から香りに気付いていたようだ。ゴリゴリと、歯応えによる音を小さく聞こえさせながら、顔を厨房の方へ向けていた。


「雑煮をいただける? 餅入りでね」

「はい、ただいま」


 大将はほとんど自分から語らないが、料理で語りかけてくるような雰囲気がある。本来なら遥かに立場が異なる巳の仙人に対しても伍して譲らないのは、大将の人柄なのか何なのか。


「はい、おまたせしました」


 大将が巳の仙人へ差し出したのは、どんぶりサイズの雑煮だった。雑煮といえば、正月に何杯か食べる以外には生活に現れない、時節の塊のような料理だ。余った餅は翌年に使ったり、捨てたり、忘れた頃に焼き餅にしたりと不遇な立ち位置に居る気がする。

 大将が差し出した雑煮は、限りなく透明だった。そこにシイタケ、ヒラタケ、ダイコン、ゴボウと、見るからによく煮込まれた野菜が一口大にされて沈んでいる。

 なにより目立つのは、中央に鎮座する餅だろう。丼の中央でこれ見よがしに鎮座するのは、平たく丸い餅だ。俗に関西は丸餅、関東は角餅とは言うが、巳の仙人の丼に入っているのは切り分けていない鏡餅そのもののように見える。


「やっぱり餅はこうじゃないとね」


 雑煮の中の餅は、箸で摘まれると抵抗なく延びた。よく煮込まれているのか、あるいはつきたてだろうか? 巳の仙人は細く引き延ばされた餅の端に口を付けると、するすると飲むように食べていく。その途中で私の視線に気付いた彼女は、餅から口を離した。


「あ、そうそう、鏡餅は刃物を入れちゃダメよ? 金槌で割るか、ふやかしてちぎること」

「どうしてです?」


 大将が合いの手のように口を挟んだ。


「鏡餅は鏡だからね。鏡は割るものでしょ?」

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