第2話

 巳の仙人はようやく私から離れてシャンと身を正した。

 グリルにはフォークだけが添えられて、ナイフは無い。それは彼女が一品目にフォークを刺したことで理由が明らかになる。グリルの一品目はステーキだったが、それは既に一口大に切り揃えられていた。つまるところサイコロステーキだ。

 フォークに刺さった一片が持ち上げられると、表面こそ焼目が付いているものの、中身は全く生のレアだということが分かる。それでいて霜降りに乗った脂がはらはらと滴っていた。


「うぅん、最高ォ」


 巳の仙人が肉片を口へ放り込むと、彼女の表情がほろりと解ける。

 間髪を容れず大将が彼女の空いたコップへ日本酒を注いだ。ちらりと見れば、それが店には置いていないやたら高価な、それも一升瓶の品だと分かる。首に『巳』と書かれた札が掛かっている所を見るに、彼女のキープボトルなのだろう。恐らくは持ち込みの。


「このひと丸呑みグセがあるんで、一枚丸ごとだと命に関わるんですよね」

「やだわ。流石にステーキの丸呑みはしなくってよ?」


 そう言いつつ二、三個をまとめて放り込み、ほとんど噛みもせず呑み込んでしまう彼女を見ていると、割と冗談でもないのかもしれないと思わせる。

 本物の蛇のように牙しか生えていないのでは、などと空想を働かせるも、流石にそんなことはないようだ。むしろきれいに揃った白い歯が、整った巳の仙人の美貌を更に引き立てているように見えた。


 二品目に控えるのはソーセージだ。一般的な大きさのものを半分に切ったその姿だけを見れば、それこそ一般的なソーセージといえる。問題は色だろう。毒々しいほどに赤黒いその断面は、どんな着色がされたものかちょっと思い付かない。


「一本丸ごとがいいのにね」

「ソーセージは閉じ込められた肉汁ありきですから、噛まないならせめて切らせて貰うだけでも」


 口ではぶつくさ言っているが、口に運ぶフォークの動きは衰えていない。

 結局ソーセージは丸呑みされてしまうが、それでも巳の仙人の口内にはソーセージの旨味が残ったようだ。呑み込み終えた彼女はひとつ深呼吸して香りを楽しんでいる。


「ご要望通りハーブやスパイスは入れてないですが、本当に大丈夫です?」


 心配そうに見つめる大将に対し、巳の仙人は満面の笑みを浮かべて空になったコップを差し出した。大将は若干ホッとした様子で彼女のグラスに酒を満たす。


「結局、それ、何なんですか?」


 疑問に耐えきれなくなった私は、ついソーセージの正体を聞いてしまう。


「やっぱり気になるわよねえ?」


 巳の仙人はソーセージのひとつにフォークを突き刺すと、そのまま私へ向けた。そして大変にこやかに「はい、あーんして?」などと可愛らしく催促する。

 赤面こそしないものの、ほぼ他人から給餌されるのは正直言ってこそばゆい。それを見てか、彼女は少し挑戦的な声色になって私に囁きかけてきた。


「さあ、どうするのかしら? 羞恥を取るのか、それとも興味を取るのか……」


 とは言うものの、私の選択は最初からひとつだった。そもそも興味がなければ絡み性の彼女に聞いたりなどしない。何より、悩むだけせっかくの料理が冷めてしまう。

 意を決した私は、巳の仙人が差し出したソーセージに口を差し出した。羞恥半分で目をつぶった私の舌へ、まあまあ冷めつつあるソーセージが優しく載せられる。


 噛み取った最初の感覚は歯触りだった。焼いた動物の腸のぶつりとした歯切れ、それからゼリーと餅の合いの子のような歯応え。腸はともかく、中身は今まで食べたことのない食感だ。

 すぐに、鼻腔をソーセージの香りが打つ。いや『香り』というには生易しい、匂い、あるいは臭さだ。

 思わずえづきそうになった私は、慌てて咀嚼すると口の中の代物をビールで流し込んだ。後味に残るのは鉄の匂いと独特の生臭さ。


「もしかして、血液ですか?」

「ええ、そうです。血のソーセージ、大陸では『血腸』の名で知られていますね。今回は新鮮な豚の血をもち米と合わせて腸に詰め込み、下茹でしてから鉄板で焼いています。私はハーブ類を加えるべきだと思うんですが――」

「そうすると血の鮮やかな味が損なわれるのよね」


 確かに後味に残る血の味は、ハーブやスパイスが入っていないぶん鮮烈に感じられる。しかしもともと血を食事に利用する文化がない私には、血の味は奇異なものだ。

 一度だけ蛇の血を酒とジュースで割ったものを飲んだことはあるが、それにしたって血の味を楽しむようなものではない。

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