第3話 11番 3

 名前。

 自身の意味。

 目的。

 そんなことを考えながら、11番は日々を過ごした。

 老紳士・ハルア氏の問い。

 そこから意識をふりほどくように、11番は日々を過ごし、『学校』の放課後は宿舎に帰って過ごした。

 『あつかましい』とか『わずらわしい』とか、彼の中に絡みついてくる感情は、いわばその類のものだったのだが、11番はそこに行きつけない。

 ただ深いと疑問だけがあった。

 そして、日々がつまらなくなった。

 『学校』で過ごすことが、彼にとっては退屈で疑問に感じられはじめた。

 もっとも、そんなことは彼の前からすでに、他の機械たちにも生じていた。

 だからこそ、彼らは街へ出かけるのだ。楽しみを求めに。

 11番は初めて、まともに街に出かけてみることにした。

 他の連中をまねて、宿舎で服を借りると、長袖のシャツで識別番号がかくれた。

 そして、腕の識別番号がなければ、11番はまったく人間と同じ外見で、見分けがつかなかった。

 彼は一人の青年であり、14歳の好奇心を持った少年であった。

 2番と4番が街にくわしいというので、11番は二人とつるんで出かけることにした。

「おまえはこれをかぶれよ」

 14番が言った。

 黒いキャップを11番は受けとってかぶった。

「おれたちは顔が同じだからな。こうやってかくすのさ」

 2番がつけ加えた。2番はマフラーにニット帽をかぶってまゆの上までをかくしている。

「こないだなんかさ、おれ、13番と間違えられたんだぜ?こまるよなあ、こんなにそっくりじゃ」

 同じ顔の駆体がいくつも存在するのだ。

 工場を見に来る人がもしもいたら、その異様さと不気味さに目を回すだろう。

 2番と4番は古株だから、11番よりはずっと知能の成長速度も速く、『学校』でも11番より先のクラスに進んでいた。11番にとっての先輩にあたる。

 3人は街へ行っていろいろなものを見た。

 ガラス張りのパン屋のウインドーやひらめく街灯の近くの色とりどりの旗、光り輝くブティック、茶色い石畳……

 11番が目にしたのはそれくらいだったが、街には人がにぎわっていた。

 これほどたくさんの人が存在したのだと11番は初めて知った。

 2番と4番は慣れた足なみで街中を目抜き通りに向かって進んでいくが、11番は歩道でこちらへ向かってくる通行人を避けるために、よけようとして三度、人とぶつかってしまった。

「なにやってんだよ、のろいなあ」

 先に行った2番が引き返してきて11番に言った。

 11番は人の多さと街のにぎやかさ、きらびやかさに驚いて帰ってきたが、それらの見学はたいして彼に感動を与えなかった。

 2番と4番はなじみの店の女の子の気を引きに行くのだと言ったが、11番は断ってすごすご帰ってきた。

 やはり、彼には公園の自然と静けさが恋しく思われた。

 なにより、2番と4番に先輩風を吹かされたのが少しく気に食わなかったのだ。

 すべての機械たちをよく知っているわけてはないが、同じ知能を持って作られても、成長の過程で性格や思考の変化は現れた。仲間同士、つるんで遊ぶものもいれば、成績のよいもの・悪いもの、11番のように一人を好むもの、それぞれがいる。

 11番は仲間たちにもさしたる興味はなかった。

 彼らの中身は多少の差はあれど、もともとは彼と同じだったから。

ーーそのたくさんの駆体と自分との違いはなんだろう?

 そもそも、違いなんてあるのか?

 今日の講義は愛についてだった。

 人間には愛が必要らしい。

 幼児が成人するまでの情緒的な働きについて学んだ。

 人間は周りの人々によって育てられていく。

 ただそれだけの話だった。

 11番は考える。

ーーぼくには関係のない話だ。

 人間たちはこれから自分ちを利用しようとしている。そのためにこの知識は必要なのだろうか?

 11番には分からない。そして興味もなかった。

 人間との接点はほぼないまま、時が過ぎていった。

 生産工場ではさらに多くの駆体が毎日運ばれている。

 11番のあとにできたものも当然いる。

 ついに役割を得たものが本出荷の時を迎えた。


 11番はなつかしの公園へ久々に出かけた。3か月は経ったころだ。

 それから、あの老紳士に出くわした。

 ハルア氏は園内を歩いていたが、

「ああ、久しぶりだね」と彼に言った。

 11番は会釈をして通り過ぎた。

 それからしばらくは園内にいても話をしなかった。

 距離を保ち、一人で行き過ぎることが多かった。

 しかし、お互いの存在は認識する。そんな日々が続いた。

 ハルア氏はいつもベンチに座っていた。

 11番はそれをノイズだと思うようにすらなっていた。

 自分の中に踏みこまれた。そんな気がしていたからだ。

 しかし一方で、自分の存在意義がわからなくなっていた。

 くり返される毎日にも嫌気がさしていて、ついに11番は老紳士に話しかけた。

「こんにちは」

 ベンチの老紳士は今日は目を開けていた。

 一瞬、虚を突かれたように11番を見上げたが、すぐに穏やかなゆっくりとした口調に戻る。

「おお、こんにちは」

「座っていいですか?」

「どうぞ」

 11番は老人が席を空けるのを待った。しかし、すぐにはそこにかけなかった。

 ハルア氏は体を横にずらしてから、顔を上げて11番の顔を見た。

 11番はなぜだか、

ーーそこに座ったら負け

のような気がした。

 しかし、単調な毎日へのいらだちと反発が、ついに彼をそこに座らせた。

 しかし、その前に彼には確認しておくことかあった。

「あなたはいつもここでなにをしてるんですか?」

ーーやりかえした。

 彼はそう思った。

 頭の中の不快を、相手と同じことをやり返して消そうとしたのだ。

 ハルア氏はにっこりほほえんだ。

「そうだな、きみのようにここへ来てのんびりして、花を眺めてはゆっくりして、家に帰るかな。ここへ来るとふしぎと気分が落ち着くんだ」

ーー見られていたのか。

 11番はますますわずらわしい気持ちを抱えた。

ーー見られていたなんて!!

「どうして知っているんですか?」

「なにをだね?」

「ぼくがここに来てしていることを」

「そりゃあわかるさ。よく来ているもの。自然と目に入れば、何度か見て覚える。人は人に興味を持ってしまうものだからね」

 『人は人に興味を持ってしまうもの』ーー

11番はその言葉をうらめしく思った。

 自分の一挙手一投足を眺めているものかいるとは、彼は思いもよらなかった。

 彼は思考を整理するために空いた席にかけた。

「私はきみにふみこみすぎてしまったかな?」

 ハルア氏は言った。

「少しく」

 11番は答えた。前を向いたまま。

「すまない。申し訳なかった。ぶしつけだったと後で反省したよ。だれにでも急にするものじゃなかった。人にはだれにでも、とどめてほしい距離感がある。ーー私はつい、人と話したものだから、うれしくてまいあがってしまったんだ。どうか私の非礼を許してほしい。ほんとうにすまなかった」

 11番は考えあぐねた。

「もうきみについて詮索はしない。同じ時間を過ごす者同士だ。おたがいに気分よく過ごせるように配慮しよう」

 ハルア氏は少し興奮ぎみに言った。

 11番は様子を見ることにした。

 ノイズが消えてゆく。彼の頭の中から。

「ぼくは、ここにいます」

 11番は前を見たまま言った。目の前には水を吹く噴水が見える。

「ここが好きだから。ぼくはここにいます」

「そうか」

ハルア氏はうなずいた。

「私もそうなんだ。ここの噴水が好きでね、眺めに来るのさ。ばらもきれいだしね。一日いてもあきないよ」

 11番はたくさんの心を抱えていたが、それをどうしたらいいのか、心をもてあましていた。

 とりあえず、彼は黙っておくことにした。

 噴水はしぶきをあげて、カーブを描きながら右に左に落ちる。

 ときおり、一層高く舞い上がって、三本の線が空に向けて吹き出る。

 高さは強弱があって、リズムがある。

 11番とハルア氏はその様子をじっと眺めていた。

 11番は噴水を見ているうちに、自分の中のとらえきれないつかえがとうでもよくなってきた。

 今、ここ、自分、それ以外になにもない。

 くり返しの単調な『学校』での毎日と、自分に対する自問を、吹きあふれる水はみごとに忘れさせてくれた。

 そうすると、ハルア氏に対しても寛容になれる気がした。

「水はきれいですね」

「そうだね、あんなにすきとおったものが、こんこんとわきいでる。私たちは水に感謝しなくてはいけない。それをこのような形で享受できることにも」

 ハルア氏はしみじみと言った。

「『享受』ってなんですか?」

「もらえるという意味かな。恵みをもらう。そんな意味で使った」

「そうですか」

「水には形がない。しかし、だれかがこうして噴水を作り、発案し、工事をして我々の目を楽しませてくれる。その平和と平穏を、私たちはよくよくかみしめなければいけない。先人たちのことを忘れないように」

 11番には意味がわからなかった。

「水は芸術ですね」

「ああ、そうだね」

ハルア氏はうなずいた。

「この眺めを母にも見せたかった」

 11番はハルア氏の顔を見た。その目尻にはひとつぶの涙が溜まっているのを見た。

 11番は何も言わずに、ふたたび水を眺めた。

 噴水の水は今、左右にアーチを描いてから、円形の白い受け皿へ向けて、滝のように落ちていくところだった。

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