第2話 11番 2
しばらくはハルア氏には会わなかった。
茶色と黄土色の大柄なチェックで作ったツイードの衿付きの上下を11番は見かけることなく2週間が過ぎた。
11番はどちらかといえば孤独を好むほうで、街に足を踏み入れたことは一度もなかったし、不思議とこの公園の魅力にひかれていた。
だから、仲間うちで話すことはほぼなかったし、つるむことも少なかった。
たいして必要性を感じなかったからだ。
『学校』で教わるのは、国語や数学、理科、社会、詰めこまれるのは彼らのいる惑星アーシェルの知識と学科のみだけで、他は特に必要とはされない。
彼らを『使用』しようと考えている人間たちには、最低限のコミュニケーション能力と大人なみの判断能力と知識、頭脳さえあれば、あとは運動についてはみな横ならびで問題なかったし、芸術や音楽といった知識は生産品には不要だったからだ。
『人形』たちの中には、街へ行って音楽や芸術の良さに目覚めたものもいる。
工場の人間はそれについて特に何も言わない。
一つだけ、彼らが警戒することーー、それは、反体制組織とその思想について、『人形』たちが知識を仕入れてしまうことだけだった。
しかし、『知識を得た』だけでは、特に何事も起こらない。
ごく一部の富裕層が極端なまでに決定権を持ち、国を動かすこの国では、その体制に不満を持ち、搾取を否とする反体制勢力の国民が生まれるのはごく自然なことだったからだ。
実際のところ、『思考人形』工場は権力者と富裕層が賛同して作られた工場であり、堂々と作られたその工場について、まことしやかに噂が流れ、不平不満を述べるものは少なからず現れた。
最大の問題は、工場ができる前から、一部の反体制勢力の力が高まり、国民による街頭デモが頻発したことと、その機運の高まりの中、デモ活動を行っていた先導者の青年が一人、行方不明になったことだった。
青年は未だに仲間たちから身柄を探されている身であり、奇妙なことに、青年の消えたあと、しばらくして開始された工場では、
その青年によく似た『思考人形』が生産されるようになったのだった。
これは、国の当局によるある種の意趣返しだと言えた。
しかし、青年の仲間はまだこの工場の存在を知らない。
そして、青年の顔はごくわずかな側近にしか知らされていなかったため、彼によく似た『思考人形』たちが、郊外や街を歩いても、だれにも見向きもされずにとけこんていたのだった。
11番たち、生産された機械たちはもちろん、そのことを知らされていない。
彼らは自らの顔の成り立ちなど知る由もなかった。
惑星アーシェルはたしかに文明が発達しており、電子技術の発達で、街にはつねに明かりがともり、エネルギーは豊富で街は快適な気温に保たれ、巨万の富とともに豊富な食料や水、生活を味わうことができたが、それはごく限られた富裕層に搾取された権利で、9割の国民が高い税金を払って国が軍事費としてたくわえ、海を越えた隣国との戦争に備えているありさまだった。
工場はその富裕層の住む大都会からは少し離れた、国の一拠点と言える都市にある。
この街にはわすかな富裕層と9割以上の祖霊界の国民とが同居していたが、他の街に比べて、反政府運動は比較的少ない地域だった。
これは、ほとんどの街の住人は富裕層の立てた会社で働く労働者階級だったためである。
中には国営の11番たちの生産工場に勤めている人間もいる。
そんな工場のおひざ元で、政府や使用者である富裕層への反対運動など起ころうはずもなかった。
惑星アーシェルはこのとある銀河の中で、いちばん発展したゆたかな星であったが、3つの姉妹星の中でいちばん貧富の差が激しく、国同士の内乱や戦争、武力衝突が多かった。
11番が生まれたのは、それらの戦争や政情不安が落ち着いて、20年ほど経った『凪の時代』だったのである。
国同士の戦争は停戦となり、激しい軍事衝突がなくなってから数年のときが経過していた、そんなころだ。
それで、量産のためには物資不足で機械たちの身長を削らなければいけなかったのである。
11番は平穏を満喫していた。
花園公園に咲き乱れる花は彼の心を落ち着かせ、わずかに心をくすぐるいやしの楽園だった。
彼は『学校』で学びながら、工場の思惑通り、彼の知能が成長するまでの日々を送っていた。
2週間が経ったとき、11番はベンチを見て、そこに座っていた老紳士のことを思い出したが、実際に彼にまた出会ったのはそれからさらに4日後のことだった。
『学校』のあとの自由時間、11番は公園へと向かう。
園内の花を眺めながら歩いていると、噴水広場に出る。
ベンチに人がかけているのが見える。
11番はいつものように噴水の横を歩いていく。
先日、彼が杖を拾った、あの老紳士がベンチにかけている。
老紳士は閉じていた目を開けた。
「やあ」
「こんにちは」
11番は初めて人にあいさつをした。工場以外の人に。
彼にとって、この老人との邂逅が、工場の外の人間との初めてのつながりだったのだ。
「座るかね?」
老紳士は場所をゆずった。11番はまた、彼の左に座った。
「ここはいい。静かで……とにかく静かだ」
老紳士はまた目を閉じた。11番は黙ってその隣に座っている。
そんなことがいくたびも起きた。
11番は会釈をして、公園を通るたびに老紳士がいると、時折、言葉をかわすようになった。
つねにいっしょだというわけではない。
11番にも見たい眺めがあったから、そんなとき、彼は会釈だけして老紳士に合図すると、咲きみだれる暖色の花園を眺めに行った。
11番はだれがいようと、一人で噴水広場のベンチに座ることもあった。
彼は好きなときに老紳士と関わるか否かを自分で決められた。
たいてい、彼らは言葉をかわさずに別れた。
「それじゃあ」とどちらかが言って立ち去る。
ただそれだけの関係だった。11番が杖をつく老人を見送ることもあれば、老人が11番を見送ることもあった。
あるとき、彼らはまた出会った。
「やあ、こんにちは」
この頃にははじめに出会ってから数か月が経過していて、老紳士は多少、親密な調子で11番に話しかけてくるようになっていた。その声が少し、はずんでいる。
「こんにちは」
11番は言った。
「いい天気だね、きのうはずっとぐずついていたから」
「天気ですか?晴れていますね」
「このところ、ずっと雨かくもりばかりだったろう?どうもいけない。花や草にはうれしいだろうが、天気が悪いと弱ってしまってね、心が」
「そうなんですか?」
「ああ。私は日差しが見えないと不安になってしまうよ」
「ぼくにはよくわかりません」
11番は晴れた空を見上げた。
日差しが明るく、太陽はくっきりと空に中座している。
「あれが見えないかどうかで変わるものがあるんですか?」
「心がね。雨やくもりだとどうしても気がめいるもんさ」
老紳士は空を見上げ、目を細めた。
「しかし、日差しが差したらそれはそれで、暑いもんだね」
老紳士は苦笑して、片手を顔の前にかざすと、11番を見た。
「きみ、暑くはないかい?席を移ろうか」
「いいえ、ぼくには暑さがわからないので。温度をはかることはできますが」
「暑さがわからない?」
「ええ」
「ふむ。それでは、私は暑いから、日差しを避けるために席を移動してもいいかね?」
「どうぞ」
ーー変わったことを言うな、と老紳士は思って、それは少し彼の顔に出ていた。
11番は老紳士の靴先に向けて、ともに歩いた。
噴水を挟んで向かいの少し離れたベンチへ移動する。こちらは今の時間、日の傾き加減で木陰になっていた。
「そういえば、きみの名前はなんていうんだい?」
さくさく砂を踏んで歩きながら、老人が訊く。
「ありません」
11番は答える。
「ない?名前がかい?そんなことはないだろう」
老紳士は笑う。
「ほんとうにないんです」
11番は言った。
「識別番号ならありますけど、僕には名前がありません」
「きみは、なにものなのかね?」
「わかりません」
老紳士は不安そうな顔を浮かべた。
「人の事情に口出しする気はないが……言いたくないことは言わなくていいんだよ、すまない」
「いいえ」
「しかし、名前がないというのは不便だ。それでは私はきみのことをなんと呼べばいいのかね?」
「それって、必要ですか?名前というのは」
「とても大事なことだよ。ああ、名前というのは」
老紳士は言った。
「私にはハルアという名前がある。生まれてからずっとその名前だし、これからもその名前を名乗って死ぬまで過ごすだろう。まわりもみな、ハルとかハルアとか呼ぶ」
11番にはその概念がぴんとこない。彼はただ、製造番号でしか呼ばれたことがないから。
11番は自身の左腕を見た。OCa11(オーシーエーいちいち)。己の製造番号の刻まれた左腕を。
「なんだ、書いてあるじゃないか、オコールくん」
11番は老人を見た。ハルア氏はにっこりしている。
「きみにさしつかえがなければ、そう呼ばせてもらってもいいかな?」
11番は黙っていた。とまどっていたのだ。
名前。
人間は妙なことに興味を持つ。
これは識別番号で、と話そうかと思ったが、彼の脳内で思考プログラムがそれを避けた。
この頃には彼は、自身が国家の極秘プロジェクトによって作られた量産型の機体であることを、重々、理解していたから、その文字の意味を言う必要はないと判断した。
老人がそう思いたいのならそう思わせておけばいい。
「どうぞ。かまいません」
名前など彼にはどうだってよかった。記号にすぎなかったから。
「それでは、」
と老紳士ーーハルア氏は言った。
「ここならちょうどよさそうだ。午後の日光浴といこう」
11番は老人の隣にかけながら、
ーーなぜ、人間は他の者の、『名前』なんてものに興味を持つのだろう?
と考えていた。
日陰のほどよい気候のベンチで、ほどよくさえぎられた日差しの加減は老紳士の日光浴にはもってこいらしかった。
11番はなぜだか不快な気がして立ち上がった。
彼は人から詮索を受けたのはこれが初めてだった。
なぜそんなつまらないことにこだわるのか?意味を求めるのか?
そんないらだちと同時に、
ーーでは、自分とはなんなのだろう?
という疑問が生まれた。
これは彼にとっては初めての疑問だった。
『学校』へ行き、そこで知識を学び、公園へ来て午後の時を過ごす。そして夜になれば寄宿舎で電源を切る。
ーーそのくり返しになんの意味があるのだろう?
ぼくはだれなんだろう?
11番は混乱していた。
名前。そしてあの老人。ハルア。
11番は激しく混乱していた。
ーーなまえ、なまえなまえ、
それはそんなに意味のあることなのか?
少なくとも、人間にとっては識別するうえで意味があるらしい。
では、識別番号でいいのでは?
おかしな勘違いだ。
老人は読み間違えたのだ。
あれは識別番号であって、名前などではない。読みもめちゃめちゃだ。
ーー人間はなんて勝手な生き物なのだろう?
勝手に意味をつけて納得している。
11番は考えた。
ーー自分以外に自分の情報を漏らすべきではない。
では、その、『自分』とはなんなのだ?
11番は混乱していた。そこで彼は思わぬ、
『自分とはなんなのか?』『他者の目と興味』そして、
『なぜ自分は『学校』で学び、そして、生まれたのか?』
そんな根元的な問題に突き当たっていた。
ーーなぜぼくはあすこへ帰るのだろう?なにをしているのだろう?
なぜぼくはこの日々をくり返しているのか?
とめどなくわきいでる疑問の数々。
ーー調整を受けよう、と11番は思った。
工場ではノイズが出た場合、出荷前の『製品』に、そうしている。
望めばどのような記憶も消すことができる。
しかし、あの咲きみだれた庭園の記憶を消すのはしゃくだった。
11番はあの公園で過ごす時間を愛していたから。
本人は言葉にできずとも、彼が足しげく公園に足を運ぶのは、なによりも彼自身がそこでの時間を好んだからだった。
11番は宿舎に帰った。
ーーしばらくはあそこにいくのはやめておこう。
彼はそう思った。
そしていつものように、縦に置かれた台座に身をまかせ、人工知能の起動をオフにしたのだった。
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