【重要】コール・ハイドランジア本編1
ロアナ・パティールが知り合いのコール・ハイドランジアを訪ねたのは昼すぎのことだった。
ちょうど彼は来客中で、家人に通されて居間で待っていると、別の部屋から声が聞こえてきた。
「それで。きみにはあす、護衛を手伝ってもらいたい」
「そうですか」
コールはにべもない。
「何度も言いましたけど、ぼくはあした、配達があるんです。体が一つしかないのに、息子のためにそんな危険は侵せませんよ。どうぞお引き取りください」
コールは立っていって部屋のドアを開けた。
男はあせりだした。
「わかった!燃料3日分でどうだ?」
「3日分?それだけですか?では、ぼくはあしたの仕事があるのでこれで。子どもを養わなくちゃいけないんです」
「ええいわかった!!7日分!!7日分でどうだ!!」
「もう一声!!」
「もってけ!!2週間分だ!!きみたちの衣食を2週間分保証しよう!!」
「手を打ちましょう!」
コールは男を見た。
「じゃあここに、サインをお願いします」
「わかった!」
男はさし出された紙とペンをひったくって、さっさと文字を書きなぐった。
「ありがとうございます!」
コールは営業スマイルを向けた。
「では、あした、お迎えにあがります」
「よろしく頼む!」
男は帰っていった。
「大丈夫なの?」
「うん。配送はポスト投函とボックス投函だけやっちゃえばいいし、先に。ぼくらには太陽は必要ないからね」
「えっ!?徹夜?」
「そうだね、そうなるかな。じゃあね、ロアナ。遅いから気をつけて」
「あ、ちょっと⋯⋯」
コールはすたすたと歩いていってしまった。
「機械って便利⋯⋯」
目を丸くしたまま、ロアナはぽつんとつぶやいた。
「おいしいー」
「よかったね」
「コールは食べないの?」
「ぼくは食べないよ。味覚がないからね。数値は測れるけど、君たちの言う甘さや辛さはよくわからない」
「そうなんだ⋯⋯」
「ティートはよく、そのアイスを食べたがるよ」
「そうなの?ティーくんが?」
「うん、むやみにおまけつきのアイスを食べたがるんだ、困っちゃって」
「おまけつきのアイス⋯⋯」
「ほら、あれだよ」
コールはふり返って後ろをさした。
紫の生地に書かれた《ナナプー》の文字と、大きな白いキャラクターのイラスト。
「ああ、ナナプー」
銀河体育大会の記念マスコットだ。
「7回目でナナプーだっけ?」
「今年で17回目らしいよ」
「そうなの!?知らなかった!!」
「いろんな銀河に遠征してるからね。僕らの銀河まではなかなかやってこないのさ。前身の団体を含めると35回以上やってるんだって」
「それはすごいのかな?」
「すごいんじゃない?これだけ広々としてる銀河の中で、それだけ開催できてるんなら。2年に1回は開催されてるはずだよ」
「へえー」
「網膜に映った情報を読んでるだけだけどね」
「なあんだ」
コールは探索機をオフにした。目の前の情報の文字列が消える。彼の場合は、腕に着けた通信機器から駆体に情報を送る仕組みをとっている。瞳がスクリーンがわりだ。
「それって、ダウンロードできないの?脳にしまっておくとか」
「できないね、ぼくの場合は。データをとりいれている駆体もいるけれど。ぼくの場合はそれはできないんだ」
「そっか……簡単にダウンロードしていけるのかと思ったよ。そこは人間と同じなんだね」
「そうかもしれないね」
少し間があいた。
「ぼくの感覚と君らの感覚が同じとはかぎらないから。きみは、データをそのまま脳につっこんで、自分のものにできるかって訊きたいんだろう?」
「そう、たぶんそう。うん、そう」
ロアナは考えながらうなずいた。
「そういう意味なら、答えはノーだよ。情報を読み上げることはできるけど、僕には一度、読んだだけでその意味がすべて理解できてるわけじゃない。そのためには勉強をしないと」
「そこは人間と同じなんだあ……」
「学習の時間は必要だからね」
「コールは勉強好き?」
「勉強はあんまり。でも、新しいことを知ることは好きだよ。興味のないことはあまり気が向かないけど、興味が引かれれば学ぶ気になる」
「それはなんか、わかる気がするなあー……」
「ロアナはなにか学びたいことがあるの?」
「最近はあんまり。仕事のほうが忙しくなっちゃったからなあ、うーん……」
「タイムマシンて知ってる?」
「えっ?」
「ぼくはそれに、ちょっと興味があるな。時空を超えるマシン。どんな機械なんだろうと思うと、ちょっとわくわくしない?」
「タイムマシンていうと、あの、時間を行き来したりできる機械ってこと?ーーいわゆる、時間旅行みたいな」
「そう」
「コールはどこか、行きたい時間とかあるの?」
「そうだな、この先の時代に行ってみたいね。これから先、技術がどう発展していくかに興味があるんだ」
「なるほど」
「ロアナはそういうのないの?」
「えっ?私?うーん……未来も気になるけど、はるか昔の生物とか見たら、小説のネタ作りに役立つかも!!子どものときの自分に会いにいくのもおもしろそうだし、うーん、意外とあるかも」
「そう」
「うん」
「きみはしあわせだね、行きたいところがあるならーー」
ピーピー音が鳴って、コールは下を向くと体を触って警告音を止めた。胸と腹の間にスイッチがあるらしい。
「おっと、そろそろ充電しないとだ」
「私もついてっていい?」
「べつにかまわないよ」
二人は連れ立って歩くことにした。
「残量、大丈夫なの?」
「まだ動けるからね。スタンドは近いし。50%はある」
エネルギースタンドは町のあちこちに点在していて、さまざまな動力源を機械たちに提供している。ことに、コールのような思考機械たちにとっては、給電中の時間がひとときの交流の時間であり、サロン(社交場)としての時間も提供している。
エネルギースタンドの中には自分で補給するためのセルフ型の簡素なものから、案内係がいるスタンド、もっと高級なものになると、駆体のメンテナンスと社交場を兼ねた高級サロン型があり、もっといくと会員制のものや秘密クラブなどがあり、会員からの紹介のみの一見お断りクラブ、人間の立ち入りお断りのクラブなど様々な業態が展開している。
コールは一般的な案内係のいるスタンドか、自分で補給する自立式のスタンドをよく用いている。会員型の高級クラブは彼には高嶺の花だ。そもそも、コールはそこまでの秘密の必要性をスタンドに対して抱いていない。会員制高級サロンはもはや、給油がおまけのようなものだ。
オークルの中には少数で結託して議論を戦わせるものがいる。それはそれで放っておけばいいとコールは思っている。何を話し、考えるかは個々の自由であり、彼がしたいのは補給であるから、コールにとっては補給さえすませられればそれで充分なのだ。人間で例えるなら、車を運転するときのガソリンスタンドのようなものだ。必要だが高級性は必ずしも必要がないと彼は考えている。
ロアナにはあまり立ち入ることがない場所だからか、ものめずらしく、興味を引くらしい。
この娘の好奇心はコールにとってはなかなかにおもしろかった。彼にとってはあたりまえのことでも、ロアナにはなんでも新鮮なのだ。コールは思考機械の中ではかなり年配の部類に入ったから、ロアナの動向はまるで、人にとっての孫娘のように見えて、ときに彼の若い頃をもほうふつとさせるのだった。
ーーぼくも昔はものめずらしいことばっかだったなあ……
オークルの知能の成長速度は人間の7倍である。単純に1年で7年分の成長を遂げることになる。出荷の時点では彼らは人間年齢で14歳程度の知能を得ている。そこから、学校と呼ばれる養成施設で学び、メンター(世話役)のもとで半年から1年、社会経験を積んでから、一人前のオークル(思考機械)として世に出ていくのだ。彼らの多くは成人型の機械としてさまざまな職に就き、己を動かすための動力を得るために賃金を得る。ここでは人も機械も関係なく、自分を動かすための衣食住のために対価を得て働くのだ。
コールとロアナはとある店の前に着いた。コールが木の枠にはまったガラスの扉を開けると、とたんに、
「よう、コール!!」
と中から声が上がった。
奥の席に4人ほどたむろしている一角がある。
コールは店内を見回してから、奥のその席へ向かって歩き出した。
「やあ」
「いいとこへ来た!耳よりな話なんだけどよ」
「またかい?きみの耳よりはあまりあてになったことがないけど」
「聞けって!大ニュースだぜ、永久機関がついに遺跡で見つかったって話だ」
「どこの遺跡?あの永久機関が?」
「おうよ。南の遺跡でだ。出たんだってよ、くそでっかい玉が」
「ほんとかなあー?」
「疑うなよ、玉が出たのはマジだぜ!バカでかい黒い鉄球が南の砂漠から発見されたらしい。こーんなでっかいんだとよ!」
相手は思いきり腕を指先までのばしてばんざいをしてみせた。ばんざいの姿勢から空を描くように半円を描いて両腕を下げる。
「それがどうして永久機関だと?」
「そりゃあもちろん、砂漠から発見されたからだよ!ロストテクノロジー(失われた技術)に決まってる!きっと触ったらすぐに充電ができるんだあ……」
相手は上を向いて口角を上げた。想像にひたっているらしい。コールは横にいたロアナと目が合った。
「永久機関ってなに?」
「永遠に尽きない幻のエネルギー源さ。まだだれも到達したことがない」
「それがあるとどうなるの?」
「いつでもどこでも充電できるから、働かなくてもお金がなくても動力が得られることになる。ぼくらにとっては夢の装置さ。壊れさえしなければ一生を保証されるからね」
「それってすごいことなのかしら?やっぱり」
ロアナにはすごいものなのだろうとは思われるのだが、どうにもぴんとこない。
「エネルギーが無限だからね。人間にとっても悪い話じゃないよ。なにしろ、尽きないエネルギーが得られるわけだから、町は明るいしいつでも快適な生活が送れるね。暖房代、払わなくてすむよ」
「それはすごいかも!!」
「もちろん、冷房代も」
「なるほど、人間にとっても損じゃない話だ!!ほしいなあ、それ」
「よせよせ、しょせんは都市伝説だよ。お嬢ちゃん、まともに受け取ってちゃ、ばかをみるぜ」
隣のハンチング帽をかぶったオークルが口を出した。
「遺跡から出てきたんだ、きっと古代の石碑とか祭壇の一部かなんかだろうよ」
「ちぇっ、ルークは夢がないな」
「おまえが夢見がちすぎるんだよ」
ハンチング帽のルークが反論する。
「カールはなにかと夢想ぎみなんだ」
コールが注釈を加えた。遺跡と永久機関について熱弁を振るっているオークルのことらしい。
「夢がなきゃやってらんねえよう、おれ、遺跡の玉を手に入れたら、世界旅行するんだ!!」
「気がはええな。まだそうかはわかんないだろう?」とルーク。
「絶対そうだって!今度こそかけてもいい!!」
カールははりきっている。
「ところでめずらしいな、コールが一人じゃないなんて。息子元気か?」
「元気だよ」
「友達?」とカールが訊く。
「そう、友達なの」
ロアナが答える。
「未来の小説家だよ」とコール。
「へえ!なにか書いてるの?」
「まあね、もうすぐ1本書きおわるところなの」
「すごいな、今度見せてよ!」
「えーっと、機会があったらね」
ロアナはちょっともじもじした。
「照れ屋さんなんだよ」とコール。
「そういうわけじゃなくて、私の作品って、すっごく人を選ぶから、どうかなあって」
「どんなの書くの?」
「ホラーとかパニックとか、怖い話」
「そんなにあぶないの?」
「うーん……あまり大勢の前で読むものではないかも……」
「変わったもの書くんだねえ、おれは平気だけど」とルーク。
「うーん、前向きに考えます」
「よろしくね!!」
カールはにこにこしている。
「ほんとうは謎解きものを書きたいんだけど、どうにもうまくいかないの。……その、もし、その永久機関っていうのを物語に組みこめたら、おもしろい冒険ものがえがけるかも!!」
ロアナが話に夢中になっているあいだに、コールは燃料の補給を注文した。がらがらと音を立てて機材一式と点滴台が運ばれてくる。
「あの、……見ててもいい?」
「いいよ」
ロアナは興味深そうにその様子を眺めていた。
案内係がてきぱきと、服を上げたコールの胸に管を差しこんでいく。燃料が管を降りてコールの体内へつづいていく。
あとはこの液がなくなるまで待つだけである。
他のオークルたちもみな、同じものをつけて席に座っていた。中にはもう措置がおわっているものもいる。この店は彼らにとって、ちょっとした喫茶店がわりなのだ。ついでにコールは駆体内の汚れ洗浄コースも頼むことにした。こちらは水のホースを差しこんで、駆体内を一周させるものだ。終わったら液体を全部流して、新しい水をさして完了する。
ロアナはしげしげとコールにつながっている燃料の点滴を見上げている。琥珀色の液体がときおり、ぽこぽこと泡を立ててかすかに揺れている。
「これって、ガソリン?」
「いや、油ではあるけど、引火性はそれほど高くないよ。ぼくらはオイルって呼んでるけど」
「やっぱり、家庭用の油とかじゃだめなんだよね?」
「そりゃあね。それは無理だね。ぼくらを動かすことは別ものだから。」
「まあ、いざとなったら動くかもしれねえけどなあ」
手前の席に座っていたオークルが初めてしゃべった。
「ライノスなら動けるんじゃないの?」
「そうかもしれんなあ、がはは!!」
作業着を着たオークルは名前をライノスという。ずんぐりむっくりした男の駆体をしている。
「あたしはパンジー。登録名はメグ」
手前の左側に座っていたオークルがロアナに向け、手を伸ばしてくる。
「よろしく、ロアナです」
ロアナは声をかけると、相手の手をとって握手をした。
「どっちで呼べばいいのかな?名前」
「どっちでも」
パンジーでありメグは言った。
「覚えやすいほうでいいんじゃない?」
「どっちも覚えやすいなあ」
「あたしはべつに、どちらかにこだわりってないよ。でも人間は、出荷番号だと覚えられないんでしょ?」
「うん、それは思う」
出荷番号は各個体に刻まれた製造番号のことだ。数字や文字の行列だから、人間には覚えにくい。そこで、便宜上、登録名と識別名をつけておくことが多いのだ。
登録名は植物の名で、識別名は人間にも理解しやすい名詞をつけておくことが多い。どちらも自分の名前なので、本人たちにとっては正しくひもづいていれば特に問題はないということになる。
名前についてはこだわる者もいればとんとむとんちゃくな者もいる。
「きみはメグって呼ばれることのほうが多いよね」
「まあそうかも。どうかなー、いちいち数えないから」
「コールは登録名?」とカール。
「登録名だね。ぼくはプランターコードで呼ばれることないかも」
プランターコード(植物票)は駆体の識別名のことで、植木鉢につける名札にあたるものということでこう呼ばれている。各駆体に一つ、必ずこのプランターコードが設定されており、その名前を冠した小さい人工衛星が打ち上げられている。
打ち上げられた人工衛星はサテライトと呼ばれ、地上にいるオークルの体調管理を行い、万が一の事故や破損時にはこの人工衛星(サテライト)に救援信号が発信され、惑星の軌道上にある衛星に建てられたサテライトセンターが異常を検知して地上にいる人員を派遣して救助・対応や補償手続きを行うようになっている。
めったにないことだが、オークルは燃料切れを起こすと自力では動けなくなるので補給が必要になる。人間でいう死とまではいかないものの、仮死状態として扱われる。サテライト(個別人工衛星システム)は彼らの日常生活には欠かせないものだ。
当然、サテライトは持ち主の動向を補足しているから、その情報の集約されたサテライトセンターは厳重な秘密保護のもとで成り立っている。そのデータが流出すれば、すべての行動情報が明らかになってしまうからだ。
行動記録はすべてが逐一記録されている場合とそうでない場合がある。
定期的に何時間かに1回、何日かに1回、など、自身の状況を送る回数は自由に設定でき、一日中、追尾を頼むこともあれば、頻度をかなり減らすこともできる。
その点は、オークルのための個別責任法というのがあって、月1回以上の通信が確保されていれば、あとは任意で回数を決めることができる。個別責任法はオークルが自らを律して自己と他者に損害をもたらさないように補修・保全と自己管理の最低限の必要事項を定めた法律であり、必ず年に1回は点検・検査を受けることが、オークルが市民として生活する条件だと定められている。もしこの法律に違反したときは直ちに是正が求められ、従わないときはオークルとしての身分を剥奪されることになる。
もっとも、ほとんどは、忙しかったとかお金がなかったとかそんな理由でついうっかり検査を怠ったり期限を延ばし延ばしにしているものが多いから、身分剥奪にまでいたることはそうそうない。
機械または人に対して著しい敵対行動をとった、また、犠牲を負わせた者も、この資格の剥奪対象になる。この場合は惑星からの追放もありえる。
オークルは現在、自浄装置として彼ら自らが他者への敵対的行動をとる者を取り締まっているが、過激な論調を唱えるものがなきにしもあらずの状況ではある。
思想の自由については保証されているため、過激な言動をとった場合でも、公共の福祉に反しないかぎりは放置される。
行きすぎた言動に関してはただちに査問委員会が開かれ、評議委員による会議が行われて処分が決定される。
どのような思想や主義も自由である一方、彼らは自浄作用を非常に重視している。他者を害するものを彼らはけっして許さないのだ。それによって、彼ら、オークルという種族への信頼が担保されているのだから。
「それで、永久機関の話だけどさ」
カールが言った。
「今度、見に行こうと思うんだよね、その発掘現場」
「カールさんは」
「カールでいいよ」
「おれも、ルークでいい」
「サイラス」
ほか二人も自己紹介をした。
「ありがとう。ーーカールはそんなにその、永久機関がほしいの?」
「そりゃね!!あったらすごいらくな暮らしができるよ!!サテライトに頼らなくてすむだろうしーー壊れたり漏電したりしないかぎりは」
「マキシナでそういうことってあるの?」
「あるさ!こないだも仕事中に居眠り運転のトラックが突っこんできた!!そいつは人間だったんだが、その前はガス欠のオークルが倒れたまま運転席に乗ってて、ぞおっとしたね。ーーあんたらと同じさ、おれたちも人間も、ミスをするやつは重大なミスをやらかす。お互いに気をつけないとな」
ルークは話しながら帽子のつばを持ってハンチング帽を深くかぶりなおした。
「そういえば、交差点の事故はニュースで見た記憶があるなあ」
「だろう?マキシナはのどかだし交通の要所だが、裏側じゃその交通網を維持するためにとんでもないむちゃがおこなわれているのさ!!ぜひ気をつけてもらいたいもんだねったって、歯車として組みこまれちまえば、全員、時間に追われるもんさ。こればっかりはどうにもなりゃしねえからね」
「ははあ……」
「あんたは普段は何をしているの?」
「私はパン屋さんで働いているの。お菓子とか、ケーキとかを売ってるの。もちろん、パンも」
「どこのパン屋?」
「花園町2丁目のところ」
「へえ、今度探してみよう。おれはガス屋なんだ。そろそろ行くよ。じゃあな」
ルークは席を立ち上がった。
「さよなら」
がらがらと点滴台を引いてルークが去っていく後ろ姿を一同は見送った。
「おおーい、遺跡を見にいくのを忘れるなよー!!」
カールが声をかけると、ルークは前を向いたまま、右手を上げてひらひらと振ってみせた。
「あたしたちもそろそろ行かなくちゃ」
メグとサイラスもしたくをはじめた。カールも立ち上がる。3人はたまたま今日、向かう方向がいっしょらしい。
席にはコールとロアナだけが残された。
「そんなにすごいものなの?永久機関って?」
ロアナはあらためてコールに訊くことにした。
「だいたいは彼らの説明通りだね。あればすべてのエネルギーを永久に持続できる、特別製のエネルギーのかたまり」
「規模が大きすぎて実感がわかないなあ」
「ははは、この町一つくらいはいくらでも持つだろうからね、規模にもよるけど」
「安全な夢のエネルギーだったらすごいだろうね」
「うん、でも……」
「?」
「それをめぐって争うのが世界の歴史っていうものさ」
「……???」
「ぼくらはその戒めとして、かぎられた資源をもとにして生きているのかもしれないよ」
「なんだか謎めいていて、よくわからないんですけど」
コールはときどき、まぶしいように目を細めるしぐさをする。
ロアナには、コールにはこの場にはないなにかが見えているように感じられた。オカルトでもなんでもなく、彼はそれを知っている、先見の明があるのだ。
「それが善意の、安全な力であったとしても、置かれる場所によっては呪われた力になるんだ」
「使う人の、ーー使う者しだいってこと?」
「そ」
「コールはそれを危惧してるんだ?」
「うん。ぼくらはまだ、そんなに利口じゃないからね。きみらもだけど。ーーよっぽど、不断の努力というやつをしなければ、平和は保たれない。それができる者はごくわずかだ」
コールは窓の外を眺めた。表の通りを行きかう人々が見える。人間もオークルも変わりなく、流れが動いていく。
「大きな力には必ず、不穏がともなうもんさ」
ロアナもつられて、往来を眺めていた。
「ねえ、コールってさ、」
「うん?」
「人、信じてないよね。人というか、他人、他者すべて」
「そうだね、そうかもしれない。全部ではないけどね」
「私、コールといると安心するの。自分といっしょだなって思うから」
「パン屋さんなのに?」
「パン屋さんは関係ないよ」
「あるさ。接客業だろ?」
「そうだけど。仕事は仕事だから。やりすごしていればそれでいいから。お客さんが悪いってわけじゃないし、べつに、いやなお客さんが来ていやになることもあれば、いいお客さんが来てくれてうれしくなることもあるし、どっちもあるけど」
「ああ、わかるなあ、それ。ぼくも、いろいろなお客さんがいるから。荷物を何度も持ってこさせるのにいなかったり、怒鳴ったり、自分で外に置けと言ったのに、盗まれたから弁償しろと言ってきたりね」
ロアナはコールを見た。
「そんなことってあるんだ」
「あるさ、いろんな人がいるよ、ほんとうに」
コールもロアナを見た。そして深くうなずく。
「でも、いつも感謝してありがとうと言ってくれる人もいる。ごくろうさまですと言ってくれる人もいる。それはすごくうれしくなる。そんなもんだと思うよ、たぶん、だれでも、いいことと悪いことがあるのさ」
それからコールはまた窓の外を向いて、
「ひょっとしたらぼくは、悪いものを見すぎたのかもしれない」
と言った。
ロアナは話題を変えることにした。
「ねえ、この点滴してるときって、どんな感じなの?『すごい元気!!』って感じになるの?急に、しゃきん!!としたりとか」
「はは、そんなことはないよ。特に普段とは変わりがないけど、ときどきぽこぽこと水の音が聞こえる感じ。今は清掃もやってもらってるからね」
「そっか。じゃあ、清掃のないときは?給油だけしてるとき」
「補給だけしてるときは、ものすごい元気になるとか急になにかが変わるってことはないな。油が体にしみてるってこともわからないくらいだし。そもそも、ぼくの思考回路には影響しない部分だからね」
「なんだ、そんなに普段と変わりはないのかあ」
「残念そうだね」
「うん、だって、注射とかするとき、針が入るのとか、血が絞られる感じとか、感覚がわかるから、私。そういうのがコールにもあるのかと思った。点滴はやったことないけど」
「人間も一気に元気になるわけじゃないんだろ?」
「あー、でも、ご飯食べたときは、生き返ったなあって感じになるよ」
「ふうん、そうなの」
「うん。そこらへんは顕著かも」
そうこうしているうちに30分が経っていた。コールの清掃と給油の時間がおわる。
「遺跡に行くの?」
「行ってみようと思うの。コールも行く?」
「そうだな……南の砂漠ね……どれ……」
コールは検索をかけて画像を網膜に映した。
「行ってみてもいいかもしれない。でも、この時期は暑いんだろうなあ……」
日は真昼の高さから少し降りて、午後の陽へ陰りつつあった。
「まだ決まらないの?」
「ちょっと待って、あとカメラに、やっぱりあれとこれと……」
コールは今、ロアナの部屋に来ている。家主のロアナはせっせとかばんに持ちものをつめている。取材用に大きなカメラやメモや本をつめこもうとしているようだ。
「一度行ってみて、行きたけりゃまた行けばいいじゃないの。こんなにいらないよ」
コールはついに苦言を呈した。
「急がないと、発掘現場からその玉が除去されちゃうかもよ」
「それは困る!!」
ロアナは手を急がせた。
「よしっ!!カメラ!!メモにペン!!オッケ!!行きまっしょい!!」
「急に元気が出たな」
「さ、行こ!!早く!!」
「遺跡は逃げないよ。けがしないでね」
コールはロアナに同行することになった。
砂、砂、砂、砂……どこを向いても砂色の砂がはらはら舞っている。
風はさほど強くないが、マスクをしていないと口に砂が入るし、顔にも砂が当たる。
南の砂漠は広い。小さな島に砂漠があるのはめずらしいかもしれない。
その砂漠のやや南東よりに、古代遺跡の発掘現場がある。遺跡は石のような成分の素材でできているらしく、壁が掘り出されて以来、さらに地層を下へ掘り進める作業がつづけられている。
ほかには砂漠の民が住んでいるらしい。
らしいというのは彼らは砂漠のどまんなかに住んでいるので、わざわざそこまで行って砂漠の住人に会いに行く者がほとんどいないからだ。彼らは砂漠にしか育たない植物を育ててオアシスのほとりで暮らしているのだという。踊りの民族と言われるくらいに歌と踊りを好み、祝祭や祝宴を行うのが好きらしい。コールは町で働いているので、ついぞ見たことがない。ロアナも同じ事情だった。
祭りと歌の民。踊りの民。
いったい、どんな光景なのだろうとコールは考えた。
勇んで発掘現場近くまで車で来たものの、肝心の大きな玉とやらは遺跡からすでに運び出されてしまったらしい。砂に覆われた壁の一部が砂地に露出していて、ベージュの服を着て周りに丸くつばの付いた帽子をかぶった作業員がせっせと出てきてはなにかを運び出していく。砂を猫車に入れて運ぶものもあれば、発掘物らしき古ぼけた木片やら、なにかの資材やらを何人かで砂の外へ運んでいったりする。地下はずいぶん深そうだ。コールたちは遺跡を遠巻きに見ていたが、そこからでは、わらわらと作業員が出入りするところしかのぞめなかった。ロアナは双眼鏡を使って熱心に遺跡の壁を眺めている。
「あ!あれ!!」
ロアナが叫んだ。
コールも視界のズームをオンにして画像を拡大して見る。
クレーン車が1台あるのだが、そこから吊り下げられた太いロープのようなものに、なにかが吊り上げられて出てくるようだ。
彼らは、ゆっくりとカメの歩みのように上がってくるそれを、根気よく見守っていた。
「あっ!!あれじゃない!?大きな玉!!玉!!うわあー!!」
ロアナが早口に言う。
コール・ハイドランジアは固まっていた。彼らが遺跡と呼ぶそこから出てきたのが、なんなのかわかったから。
たしかにまんまるい大きな玉、鉄球としかいいようのないそれが、幾重にもロープで包まれて上がってきた。
「これってすごい、大発見なんじゃないの!?」
コールはなんにも答えずに、ただそれを見つめていた。
彼の視界には黒ぐろとした鉄球というべき物体が目に入っている。
やがて彼は、その玉の側面に刻まれた傷を眺めた。
ーー識別番号?
彼ははっとして、その傷跡を分析しようと試みた。ほぼかすれているようだが、あれは文字だ。彼には読める。
ーーフォロス、ではない、……
全長2メートルはある大きな玉だ。砂や土で汚れてはいるが、はっきりとわかる。
「あれは永久機関じゃないよ」
「え?」
ロアナが双眼鏡から目を離してコールを見る。
「過去の遺物さ」
沈黙。
「……だってここ、遺跡じゃん」
「……そうだったね」
コールはうなずいた。
「変なコール」
ロアナが首をかしげる。
「どうかしたの?」
「いや、べつに」
「ほんと?」
「なにもないよ」
「そう。……まさか、機材ってことないよね?あれ?ーー撮っとこう」
ロアナは地面に置いていたかばんの上からカメラを手にとる。
「機材だったらおもしろいね」
「もう!!」
ロアナは両手でカメラをかまえ、シャッターを切る。
「なんだろう、なんに使うんだろうね、あれ?ロマンを感じるなあー」
コールは複雑な気持ちでそれを聞いた。
あれは、兵器だ。兵器となり果てた、彼の同志だ。おそらくはーー
ーーフォロスと、同じーー
でもおかしい。ここは、違う星のはず。なぜ?
あたまに疑問が浮かんだ。
ーーなぜ?なぜあれが?
なぜ、あれがここに?
似すぎている。記憶の中のあれと。
彼は軽く混乱していた。
もう逃れたはずなのに、過去の記憶が彼を縛った。
「どう?少しは満足できたかい?」
「うーん……謎……謎だね……」
「まだ言ってる」
さっきからロアナは謎だとか、えー、なんで、だとか、ぶつぶつひとりごとを発している。
コールにとっては謎でもなんでもなかった。しかし、彼はそれを今ここで語るわけにはいかなかった。
予測はつく。
あれは兵器なのだ。兵器の抜け殻だ。だから危険はない。
あの中には大量の重火器がこめられていて、人工知能が判断して兵士たちに武器を配給することができた。彼は同じものをかつて見たことがある。フォロスという仲間だった。フォロスは運び屋という意味だ。フォロスは兵士への武器の補給というその役目を嫌がっていた。彼は平和主義だったのだ。そして、はじめから武器庫の鉄球用として生まれたわけではないようだった。人間たちによって捕まって、鉄の玉に意識を入れ替えられたのだ。
そして、コールには彼から武器を手にとって、戦っていた歴史があった。もう、ずっと前のことだ。
この星に来てからはだれにも話したことがない。
まさかこの星にも同じものが配備されていたとは……
彼は考える。
ーーなぜ?なぜあれが、あれと同じものが、ここに?
それだけ彼のいた惑星・アーシェルの支配域が遠くへ及んだのか。その星の実効支配域の広さまでは彼はよく知らなかった。知っているのは3つの惑星。
とある銀河にある、第1惑星から第3惑星までの世界までのみ。
彼は第1惑星にいた。
そこから銀河の外へ向かうに従い、
第2惑星エンナ、
第3惑星ランゴとつづく。
彼のいた銀河にある人が住める星はこの3つしかなく、銀河の外へ向かうほど治安が悪く、貧しいと言われていた。
彼はわけあってこのうちの2つの星をめぐったことがある。
彼の生まれは惑星アーシェル。特権階級に支配された最先端の技術と文明が栄えた星。そして、最後は人間が生み出した武器によって支配層も民もろとも滅びた死の星だった。
「さ、そろそろ行くよ」
「えー?もう?」
「ティートを迎えに行かなくっちゃ。シッターさん、4時までだから」
「わかった。行こう」
コールの息子・ティートはベビーシッターに預けてある。
コールとロアナはコールの仕事用のバンに乗りこんだ。今日は休日なので荷台は空になっている。
「わざわざありがとうね」
「どういたしまして」
話しながら2人して、シートベルトを締める。コールはなめらかに車を発進させた。このあたりは道がないから、舗装されていない土の上を行くことになる。さいわい、晴れているので、みちがところどころぼこぼこしている以外はぬかるみなどはない。ところどころ、乾いた砂地に草が生え、背の低い灌木が生えている。
「あ、あれ」
「ん?」
「収穫作業かな?」
「砂漠で?」
「うん。木の実をとってる。木の実というか、果実?」
オレンジ色の大ぶりな丸い果実を、人々が樹木からもいでいる。もいだ果実は四角いかごの中に入れられ、収穫する人の後を、四角いかごを乗せたキャタピラ型の機械が連れ添って後を追いかけている。
コールはハンドルを握ったまま、横目で見るとそちらを一瞬だけ見た。
「平和な光景だね」
彼にはそのほうがよかった。
「うん」
ロアナはまだ車窓を眺めている。
「なにかインスピレーションは浮かびそうかい?」
「うん、なんか、なんかいいかも!」
「そう、そりゃよかった」
ロアナはひざの上の大きなかばんを抱きしめて、やる気に満ちあふれている様子だった。
それから30分ばかり車で走り、マキシナの路上でロアナを降ろすと、コールは息子のティートを迎えに行った。今日は急な依頼なので、ベビーシッターの自宅で預かってもらうことにしたのだ。彼が訪ねていくと、ティーとはちょうど、室内でボール遊びをしていた。両手に持てるくらいの黄色と赤と水色の布でできたやわらかい玉を持って、ベビーシッターと投げあいっこをしていたようだ。近くにはシッターさんの手製のボーリングピンが何本か並べてあった。
「ありがとうございました」
「いいええ、お疲れさまです」
女性のシッターは30代くらいの女性だ。おだやかな人なので、子供もなついていて、コールはとても助かっている。
「さよならあ」
ティートが小さな手を振る。
「さよならあ、また今度ね」
「ばいばーい」
シッターと手を振り合うティートの手をとって、コールはシッターの自宅を後にした。
「おとうさん、だっこ!」
「オーケー!」
ひょいと抱き上げて両腕に抱える。コールは迎えに行く前にセットしておいたチャイルドシートにティートを乗せた。ロアナを乗せていたときははずして荷台に入れていたのだ。
「今日はなにが食べたい?」
「ええとねえ、カレー!」
「カレーね、了解!」
ーーおこさまカレーを買って帰ろう、と彼は考えた。あとはなにか、野菜のおかずを買おう。2、3品買っておけば、バランスがよくなるだろう。
コールは働いているので、なかなか家事に時間がとれない。全自動家具は開発されているが、まだ一般家庭に普及するほど値下がりはしていない。彼は昔ながらのフライパンや鍋で食事を作ることもある。洗濯は乾燥機付きのものを奮発して買ったが、全自動畳み機能付きまでは手が届かなかった。そんなわけで、乾燥までさせたら、息子といっしょに仲良くたたんでいる。今度は全自動食器洗い機を買うためにお金を貯めている。少しでも家事がらくになれば、そのぶん、他のことに時間が使えるからだ。
そのかわり、彼は持ち物がえらく少ない。子どもの食費や生活費にはお金を使うのだが、コール自体はあまり汚れていないと着たきりすずめのことさえある。彼はあまり自分を飾り立てることには興味がないのだ。キーネックの薄黄色の半袖シャツに、水色のハーフパンツ。足元は短い白の靴下に、つや消しの銀のスニーカー。それだけである。
仕事中は紺色の作業着をはおるが、そのまま私服で過ごすこともある。自営業だと規則に縛られないのはありがたいことだ。
ティートには近くのショッピングモールでみつくろった機能的な衣類を着せている。ときどき、おもちゃをねだられるが、高額なものは避けて、それなりに手が届く価格帯のものをときどき、買い与えている。
人間の子供と機械の父親というのは世間にはめずらしいらしく、この星に移ってきてから、やいのやいの言われることも多かった。機械に人が育てられるのか、危険性はないのか、もしコールに何かあったらどうするのかだとか、そんなことが行政を通してコールのもとへ届いた。急いでティートを抱えて空を飛んだら、虐待だと言われて通報されたこともある。たしかにあれはよくなかったと後で反省はした。幼いティートは高速で空を飛ぶことにはなれていないのだ。
コールは腹の中にジャイロバランサーを入れていて、スニーカーに内蔵されたロケットブースターがコールの駆体からエネルギーを得て、ジェット噴射で空を飛べるようになっている。
それを使ってしまったのがよくなかった。ティーとはその後も、高速で飛ぶのがトラウマになっており、コールは役所から厳重注意を受けた。
とはいえ、反省点はありながらも、彼は今、懸命に子どもを育てている。自分にわからない味覚や成長の部分は他の専門家や周りの人々の手を借りて、ティーとはすくすく育っている。それはコールにとってよろこばしいことであった。
マーケットに着いてティート乗せた買い物カートを押し、商品を品定めしていると、売り場をこそこそ壁から壁へつたっている女性を見つけた。
「リコリスさん!ーー」
どうしたんですかと問う前に、女性はササッと彼の前に現れた。
「しーっ!!」
ショートボブの茶髪にロングコート、パンツスーツにパンプスを履いた女性が身を縮こめていると、なんだか妙にこっけいな様子に思われた。
「どうしたんですか?いったい?」
「隠れてるの!!」
スーパーマーケットで隠れる理由などあるのだろうか。
リコリスが指さした方向を見ると、棚と棚の間から、通路を横切っていく長身の男性の姿が見えた。
コールの見立てでは、この女性、リコリスの夫である。コールとはおとなりさんだから、よく見知った仲だ。
「なんでまた?」
「けんかしてるのよ、ーーまあいいじゃない、ちょっと隠してくれる?」
リコリスはコールが押すカートの陰に隠れた。
「あやしいですよ、それ」
「だって、きまずいじゃない、今、会っちゃったら!」
「そうかもしれませんけどーー」
近くの棚で品出しをしている店員が、いぶかしげにこちらを振り返り、また作業に戻った。
リコリスは両手にアルコール缶とつまみのパックを持ち、うずくまっている。
「かえってこのほうが目立ちますし、あやしいと思いますよ」
「そうかしら?ーーでもとにかく、今は鉢合わせしちゃまずいのよ!」
「わかりました。ぼくらはこれから買い物をするところなんですけどーー」
「いいわ!隠してちょうだい!」
ーーやれやれ。
コールは品をめぐってお茶のパックをつかみとる。リコリスはかえって目につくと思ったのか、かがむのをやめてコールの横に立ち、歩きはじめる。背丈は彼女のほうが高いし、パンプスを履いているので、横から見ると、コールよりもあたま半分くらいリコリスのあたまが突き出る形になる。
「なんでけんかしちゃったんですか?」
訊いてもさしつかえなさそうなので、訊いてみる。
「だってまたうるさいんだもん、服装がどうたらこうたらとか、洗濯機の入れかたとか、ーー彼、細かすぎるのよ。仕事から帰ってくたくたのところでお小言言われるから、いやんなっちゃう!」
「ハムさんはまじめですからねえー……」
「靴下が裏返ってるからって、洗ってから後で直せばいいじゃない!洗えればいいのよ、洗えれば!企業戦士はそんなこと、気にしてられないのよ!公務員だけど」
リコリスはマキシナ市役所の職員で、夫のハムさんことハモンドは他の市で元刑事をしていた。ハモンドはは現在は仕事で負ったけがのために休職していて、現在、傷の療養中の身である。妻のリコリスとは、堅物と楽天家の違いで、衝突することもあるらしい。
⋯⋯やれやれ⋯⋯。
「大変ですね」
とコールは言うにとどめた。夫婦げんかは犬も食わないという言葉を思い出したのだ。
「あ、それ、とってもらってもいいですか?」
「どれ?」
「その水色のやつです」
「オッケー」
リコリスがビスケットの箱を手にとる。
「はい」
「どうも」
コールは受けとってカートのかごに入れた。
「最近、景気はどうですか?お仕事のほうは」
「あー、それがね、はかどっちゃってはかどっちゃって。エッちゃん大活躍よ」
「へえ」
「なんというか、ひたすら忙しくてねー。今時期はお客さん多いじゃない?ほら」
「ああ、たしかに。旅行シーズンですもんね」
「観光課はもっと混み合うみたいよー。旅行のパンフレットが山積みになってたから」
「旅行の?」
「市が出してるマキシナ・ハンドブックよ」
「そんなのができたんですね」
「あら?知らなかった?ずっと前からあるよ?」
「そうなんですか?それは知らなかったな」
「公設市場から港、自然公園から遺跡まで、マキシナの観光スポットがまとまってるんだって」
「なるほどー」
「コーちゃんはどこか行ったりしないの?」
「ぼくはあんまり。今日は遺跡に行ってきましたけど」
「遺跡に?なんでまた?」
「ロアナが行きたいっていうんで。新しく発見された遺物を見に」
「祭壇の遺跡?」
「いえ、南の砂漠です」
「また、ーー遠いところに行ったのね!」
「まあ車なら30分くらいですよ。ずいぶん揺れましたけど」
「舗装路なさそうだもんねえ、あのへん」
「なかったですねえー」
「南の砂漠といえば、踊る部族がいるって聞いたけど、そのへんかしら?」
「いるとは聞きますけど、そこよりは少し、町よりですね、いま発掘してるのは」
「それで、なにがあったの?見つかったものって?」
「なんというか⋯⋯大きい玉、でしたね、あれは。まっくろくて、砂をかぶった」
「玉って、丸いってこと?」
「ええ、ここの天井くらいはありそうな」
「そんなにでっかいの?やだあ、なんに使うのかしら?ちょっと気になるわ!」
「さあ⋯⋯ぼくらは見ただけですから、なにかまではわかりませんね」
「うーん、儀式用のなにかとか?遺跡だから、墓標とかなのかしら?でも、なんで丸?なんで玉なのかしらね?」
「さあー⋯⋯なんででしょうね?」
そこはコールにもよくわからない。
カートに乗ったまま、ティートは船を漕ぎはじめていた。
コールとリコリスはそれに気づいて声をひそめた。
「お疲れなのね」
「そうみたいですね」
コールはこころもち、ゆっくりとカートを進めていく。
コールは店を回ってレジに進んだ。リコリスも周りを見回しながらついてくる。
会計がおわった。
「助かったわ、コーちゃん!!またね!!」
「さようなら」
リコリスはそそくさと去っていった。
コールは白い台に袋を置いてカートから商品を詰め替えると、ティートを抱きかかえてカートから降ろし、袋をカートに置いて出口まで運ぶ。車まで行ってティートを助手席に乗せると、カートを置いて戻ってきた。もちろん、その間、鍵はかけてある。
リコリスの話しぶりでは、マキシナ市役所はかなり忙しいようだ。リコリスは市民サービス課の所属だから、困りごとを抱えた市民の相談に日々、対応している。場合によっては、外に出向いていって、紛争の状態を調べたり、物があふれた屋敷の調査に出かけたりするらしい。
らしいというのは、彼がたまたま、町でそんな話を耳にはさんだからで、リコリスに直接訊いたわけではない。補給のためにスタンドに立ち寄ったりすると、周りのオークルから色々な情報が得られるのだ。
彼とは旧知の仲のオークルも職員として市役所で働いているが、そちらはしばらくスタンドでは見かけたことがない。
「さて、あしたからまた仕事だ」
コールはバンを出して自宅へ帰った。
次の日、朝早くにティートを保育園に預けると、コールは運送組合に行って、受け持ちの荷物をバンに詰めこんだ。家を出てからここまでに1時間。これから一日、配達の仕事をして、夕方にはティートを迎えにいく。
配送をはじめて3時間、昼に近い路上を車で走っていると、とある荒れ放題の屋敷前でつなぎ姿の作業員がものを運び出しているのが見えた。
ーーおや。
近所では苦情が相次いでいるという屋敷はつたの這った赤紫色の壁の一軒家で、家の前が大量のゴミ袋や壊れた品々、ぼろぼろの家具やぼろぼろのぬいぐるみなどで埋まっていて、生ゴミの臭いがひどいというありさまだった。
コールはその近所に配達をしているから、その屋敷の前を通りがかることはたびたびある。
サイドミラーをちらりとのぞいたとき、屋敷の中からスーツ姿の男が出てくるのミラーに映った。
見知った顔だ。
エコーという名前のオークルだった。
やたらと幅のある箱型の画面を運び出している。かなり旧式のテレビかなにかだった。
エコーが首をひねってこっちを見ているのが見えた。
コールが運転するあじさい便のロゴ付きのバンはこの町に1台だけだ。向こうもこちらの存在に気づいたらしかった。
ーーさてさて、次のところへ行くかな。
午前中指定の荷物だから、あと30分以内には届けないといけない。
車はなめらかに角を曲がった。
コールが夕方にもう一度、車で同じ道を通ったとき、そこにはもう、作業員の姿はなく、道の前はきれいに片づけられて、大量のものはどこかへと消え去っていた。
その日の曜日の配達はとどこおりなく終わった。
午後の配達をおえ、車で町を流す。あとはティートを迎えにいかなければならないが、その前に補給をしなくてはならなかった。
コールは近場のスタンドに寄るために、駐車場付きのスタンドを探した。1軒目は駐車場がふさがっていたので利用を見送ったが、2軒目はさいわい、ひと枠空きがあった。店内に入ると、午前中に見た顔があるのに気づく。
相手はコールを認めるとおのずから近づいてきた。紺のスーツ上下にぴちっとネクタイをしめた、深緑がかった蓬髪の男。エコーだ。銀のネクタイピンは曲がっているのを見たことがない。そのことが、彼の性質をよくあらわしていた。
「やあ」
コールはやってくるエコーに向かって話しかけた。こちらから話しかけるのは、コールが学んだ、『相手に対して敵意のない証拠』でもある。
「また会ったな」
「そうね。気づいてたんだ」
「今日の午前中に民家の前を通りかかったろう?気づいていたさ、車で通りかかったろう?仕事か?」
「ああ。ーーずいぶんきれいになったみたいだね、あの家」
「一日がかりですめばたいしたものだ」
「きのう、リコリスさんに会ったよ。ーーで、なにか用事?」
「不自然なことではあるまい、同じ市民なのだから。ーーサテライトのことで一つ、話がある」
「ここで話せるの?」
エコーは首を振った。
「補給までちょっと待っててくれる?」
「よかろう」
「⋯⋯あいかわらず、尊大だね」
「そうか?」
「ぼくはそう気にしないけど、たまに威圧的だって言われない?」
「さあな」
ーーエコーは職務遂行に対しては献身的なほどだが、柔軟性に欠ける。
というのが、コールの見立てだ。
ーーどんなに凄惨な状況になろうと、冷静さを欠かずに判断できる点は味方として信頼できた。
とも、かれは思うのだけれど。
コールは席についた。スタンドの店員がやってくる。
「いらっしゃいませ、ご注文をおうかがいします」
「レギュラー満タンで」
「かしこまりました」
すぐに四角い、つや消しの銀のタンクを内蔵したワゴンが運ばれてきた。店員がケープを渡すと、コールはケープをあたまからかぶり、着ているシャツをめくりあげて、腹の開閉口を開く。給油用のチューブを差しこむときだけはケープをめくりあげて、中の注油口にセッティングする。
「時間が経つとアラームが鳴ります。他にご注文はございますか?」
「大丈夫です」
「それでは、失礼いたします。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
店員があたまを下げ、去っていく。その姿を見て、
ーー労働はいつでも大変だ。
とコールは考える。
コールから正面の白いテーブルをはさんで向かいにはエコーが座っている。コールも同じ、この字型のピンク色のソファーに座っている。店はボックス席がいくらかとカウンター席とに分かれ、店内は木目調の壁と床であたたかみのある内装になっている。コールから見て左手のカウンター席は、白いスツールがいっぱいになるほど混み合っており、オークルたちがなにか活発に議論しあっているのが見える。
コールは店の様子をながめおえると、正面のエコーに首を向けた。
「で、なに話す?」
「⋯⋯話さなきゃいけないのか?」
「ふたり顔つき合わせてるのに、黙ってるってのもなんでしょう」
「ダウンロードですまないものかね。会話など無用だ。⋯⋯よけいな消費を食うだけだろうに」
「そこでしかめっ面されてても、気分悪いんだけど」
「なら、表に出ていようか?」
「どっちでもいいよ。⋯⋯きみ、案外、まじめだね」
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