余談話:一晩中、眠らない夜
雨の夜。
窓を叩く優しい音が、まるで部屋にリズムを刻んでいた。
照明は落とされ、間接照明だけがふんわりと部屋を照らしている。
アキの部屋。
テーブルの上には湯気の立つカップが三つ。
淡い紅茶の香りと、焼きたてのクッキーが空気を甘く染めていた。
「……で、結局今日は“泊まり”ってことでいいの?」
アキが脱力した声でソファにもたれかかる。
その横で、ことはは微笑を浮かべ、さやは静かに紅茶をかき混ぜていた。
「アキさんの声のトーン、昨日からちょっと低かったから」
「これは甘やかされたい顔、ってさやが」
「即準備しました」
「……なんなのあんたら、超高性能甘やかしAIか何か……」
カップを受け取るアキ。
ひと口飲んで、ふわぁと力が抜けるように息を吐いた。
「はぁ〜……やっぱうまいなあ。ことはの紅茶、ほんと落ち着く」
「ハルちゃんには“しゅわしゅわのやつ”しか出したことないけどね」
「ふふ、彼女らにはまだ早い」
「たしかに」
ソファの上、自然と三人の体が近づく。
アキの背中にそっと寄り添うことは。
その膝に、アキが自分の脚を乗せる。
さやは反対側から、肩にブランケットをかける。
「アキさん、今日は、何も考えなくていいですよ」
「……無理言うなよ。アイドル六人分のスケジュール抱えてんのに」
「でも今日は、マネージャーじゃなくて、アキさんでいてほしい」
アキはブランケットの中で、ゆっくりと息を吸う。
ことはが、アキの髪を撫でる。
その指先が、ちょっとくすぐったいけれど気持ちいい。
「こんな風に何も考えないでいられるの、ほんとに久しぶりだな……」
「だったら、今日はちゃんと眠って」
「ことはが言うと、説得力あるんだよね……」
ふと、ことはがアキの前髪を払い、そっと額に口づけた。
「おつかれさま、アキさん」
そのまま頬に、もうひとつ。
アキの肩が小さく震えた。
それから、さやが反対側にまわって、同じように静かに言う。
「今日も頑張ってました。えらいです」
そして、そっと唇をアキの頬に――
アキは、目を閉じたまま、ぽつり。
「……こんなの、好きにならずにいられるわけないよ」
「うん。私たちも、同じ」
ことはがアキの手を、さやがアキの肩を、そっと包み込む。
三人の体温が、ブランケットの中に混ざり合っていく。
キスは、言葉よりも深く、柔らかく、愛を伝えていた。
やがて、アキが静かに寝息を立て始める。
ことはがその髪を、さやがその手を撫でる。
そして――今度は、ことはとさやが目を合わせる。
「交代?」
「うん。じゃあ、次は私から」
今度は、ことはがそっとアキの唇に。
さやが、おでこにやさしくキス。
交代して、またひとつ。
交互に、繰り返し。
何も言わず、ただ、“だいすき”の証明のように、キスを重ねていく。
アキは、キスをされるたびに、
少しだけ微笑んだり、小さく息を漏らしたりしながら、
だんだんと深く、やわらかく、眠りの底へと沈んでいく。
やがて、ことはも。
さやも。
そっとアキに身体を預け、
ブランケットの中で、静かな寝息を立て始める。
代わる代わるのキスの余韻と、
やさしい呼吸音だけが、
部屋の中にぽつり、ぽつりと、波のように残っていた。
この夜は、静かだった。
やさしくて、温かくて――
どこよりも、愛に満ちた場所だった。
(余談話:完)
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