第12章:そして、ステージへ

 ステージを見下ろすリハーサル室。

 木製の床に音が響き、天井の照明がふたりの影を描いていた。


「ワン、ツー、スリー、フォー――」


 イントロが流れ始める。

 スタジオモニターから流れるデモ音源と、ハルと紅の声が重なる。


「♪―Parallel hearts, 繋いだら―」


「♪―迷いも全部、ふたりの音に変わる―」


 ふたりの声が重なり合い、

 静かに、けれど確かに空気を振動させた。


 この曲は、合同ライブのために書き下ろされたデュエット。

 タイトルは『Parallel Hearts(パラレル・ハーツ)』。


 意味は――

「並行する心」。


 交わらないようでいて、

 確かに隣を走っている。


 まるで、ハルと紅のような、そんな関係を歌った曲だった。


「……いい、すごくいいよ!」


 曲が終わると同時に、モニター室からアキの声が飛ぶ。


「歌、ほんとに良くなったね。紅、入りのタイミング完璧」


「ハルも、声に丸みが出てきた。優しいのに芯があって、

“いまのあなたたち”らしい歌い方だった」


 ハルは、ちょっと照れたように笑って紅のほうを見る。


「……紅が隣にいると、ちゃんと歌えるんだよね。声が素直になるっていうか」


「うちも。ハルちゃんの声が横にあるだけで、安心できる」


 リハーサル後のスタジオ。

 マイクを片付けながら、ふたりはそっと目を合わせた。


「あのさ、この曲……」


「うん?」


「最初は、“仲良しっぽい”みたいな演出用だったのかもしれないけど……

 なんか、もう、“うちらのテーマ”みたいな気がしてきた」


「……それ、わかる」


 紅はうなずいて、小さく笑った。


「“交わらない”って、最初ちょっと寂しい意味に聞こえたけど、

 今は、“並んで走る”って意味やと思っとる」


「うん。たぶん、それがいちばん、あたしたちらしいよね」


 スタジオの窓から差し込む夕陽が、ふたりの影を寄せた。

 ほんの一瞬、ふたりのシルエットがひとつに重なる。


 けれど、またすぐに、隣同士に戻る。


 重なっても、戻っても、

“並んでいる”ことが、なによりも大切だった。


 * 


 合同ライブ前夜。

 マンションのいつもの部屋。


 紅は、床に置いたクッションにもたれながら、台本をめくっていた。

 明日のMC内容と進行。確認するために開いたはずの資料は、ほとんど読まれないまま膝の上に置かれている。


 代わりに、そこには眠たそうなハルがいた。


「……紅」


「なに?」


「緊張して寝られへん……」


「もう寝るって言うてから、3回目や」


「でも緊張するし……」


「じゃあ、膝、貸したるわ」


 ぽすん、と頭をのせる音がして、ハルが紅の膝に顔を埋める。


 紅は小さくため息をつきながらも、優しく髪を撫でた。


「明日、うまく歌えるかな」


「歌えるよ。うちらの曲やもん、“Parallel Hearts”」


「……うん。でも、なんか、“終わり”みたいな感じもしてさ」


 紅はハルの髪に指を通しながら、ゆっくりと言う。


「“終わり”やない。“通過点”や」


「通過点?」


「うちらは、まだ走っとる最中や。

 交わらんくても、並んでる。だから、明日が終わっても、また次がある」


 その言葉に、ハルは目を閉じて、ふにゃりと笑った。


「……なんか、紅って、すごくかっこいいよね。

 いちばん近くにいるとわかる。……ほんとの“お姉ちゃん”だって」


「やから言うたやろ? うちが、ハルちゃんのお姉ちゃんやって」


「……うん」


「ふにゃ〜な妹ちゃん」


「紅〜〜〜〜〜〜……」


 そう言いながら、ハルは紅の手を取って、指を絡める。


 明日が来るのは、少しこわい。

 でも、この手を握っていれば、怖くない。


「うちらは、ふたりで、“Parallel Hearts”」


「せやな。並んで、ずっと、いこ」


 そして、明日。

 ステージの上で、ふたりは背中合わせに立つ。


“誰よりも近くて、重ならない心”が、

 音楽とともに、確かに響き始める。


 * 


 ステージが、静まり返っていた。


 最後の演出曲として紹介されたのは――


『Parallel Hearts』


 今日のこの日のために書き下ろされた、ふたりだけのデュエット。


 センターステージに続くランウェイ。

 そこに、紅とハルが立っていた。


 けれど、ふたりは向かい合わず、背中合わせだった。


 スポットライトが、まるで重なるようにふたりを照らす。

 その光が、ふたりの影を――重ならないまま、並んで伸ばしていた。


 イントロが静かに流れ始める。


 心臓の鼓動が、音楽とリンクする。


 ステージのスクリーンには、

 赤と白、ふたつの軌道が並び、重ならずに進んでいくCG演出。


 まるで、ハルと紅の関係そのものだった。


「♪―出会いは、すれ違いみたいだった」


 紅の、透き通る声。


「♪―それでも隣、歩きたくなった」


 ハルが、それに寄り添うように重ねる。


 会場の空気が変わった。


 これまで何度もコラボしてきたふたりのステージ。

 けれど、今日は違った。


 歌詞ひとつひとつに、意味がある。


「営業」でも「演出」でもない。

 ふたりが歩んできた、本当の軌跡が、歌になっていた。


 サビ前――

 ふたりは、ようやく同時に振り返る。


 背中合わせだったふたりの目が、ステージ中央で合わさる。


 そして――


 ハルが、そっと紅に手を差し出した。


 紅がそれを、迷いなく握る。


 ふたりは、手を繋いだまま、歩き出す。


 ゆっくりと、ランウェイの中央へ。


 まるで、誰にも真似できないリズムで、

 ふたりだけのテンポで、

 観客のど真ん中を、並んで歩いていく。


「♪―あなたが笑えば、私も笑える」


「♪―違う形でも、心はひとつだった」


 スクリーンには、過去のライブ映像が流れる。


 初めての対バン。

 紅がハルを見つめていたあの夜。


 羽交い締めのキス。

 ふにゃ〜となる紅の笑顔。


 反転した“姉妹”のイメージ。


 何度も、すれ違いながら、

 それでも“並んで”きたふたり。


 そして、最後のサビ。


 照明が、ふたりを囲むように回転しながら光る。


 ふたりは、向かい合って、最後のフレーズを歌う。


「♪―並んで走ろう、どこまでも」


「♪―ふたりでいる、それだけで――」


 音が、静かにフェードアウトする。


 会場に、無音の時間が訪れた。


 観客の呼吸すら、止まっていた。


 ふたりは、目を合わせたまま――

 そっと、もう一度手を握り直した。


 紅が、ハルの髪を撫でた。


 ふにゃ〜と、ハルが笑った。


 ステージのモニターが、その瞬間をとらえた。


 スクリーンには、「なでなで」と、

「ふにゃ〜」の字幕が、まるで公式演出のように現れる。


 そして――

 割れんばかりの拍手と歓声。


 ペンライトが、赤と白に染まった。


「紅〜〜〜!!」


「ハル〜〜〜!!」


「ふたりがいちばん!!」


 耳をつんざくような声援の中で、

 ふたりはもう一度、手を取り、深くお辞儀をした。


 汗で前髪が張り付いている紅。

 涙をこらえているハル。


 でも、ふたりとも、笑っていた。


 そして、ステージ袖へ歩きながら、

 紅が小さな声で言う。


「……ハルちゃん。これが“終わり”やなくて、よかったな」


「うん。……“これから”だよね」


「せやな。“これから”や」


 ステージの光が、少しずつ暗くなっていく。


 ふたりの手は、ずっと繋がれたままだった。


 * 


 ライブが終わっても、

 世界はすぐには静かにならなかった。


 SNSは一瞬で溢れた。


《紅のなでなで → ハルのふにゃ〜 → 観客の命が溶けた瞬間》


《ステージに咲いたのは、営業じゃない本物の絆……》


《Parallel Hearts、歌詞がふたりの人生そのままで泣いた》


《これはもう、紅姉×ハル妹、確定演出じゃん……公式ありがと……》


 ファンたちは、まるで何かの“証人”になったような眼差しで、

 今日のステージを語っていた。


 会場にいた人も、ライブ配信越しだった人も。

 みんな、確かに“あのふたり”の絆を感じていた。


 地方でひとり暮らしをしていたあるファンは、

 配信画面のスクリーンショットを保存して、思わず呟いた。


《今日もまた、救われてしまった》


《誰かを本気で想うって、こんなに綺麗なんだなって、思えた》


 別のファンは、

 紅が髪を撫で、ハルがふにゃ〜と笑うあの瞬間を繰り返し再生していた。


「……これが、本当の“相棒”なんだな」


 画面越しでも、確かに伝わった。


 ふたりの関係性は、たぶん、恋とか友情とか、

 そういうカテゴリだけじゃ語れない。


 でも、それでいいと思えた。


 そこにあるのは、“ほんとう”だったから。


 * 


 ライブ後の夜。

 マンションの一室に戻ったふたりは、ほとんど何も言わずに座っていた。


 紅は、脱いだライブ衣装を畳み、

 ハルは、大きなソファに寝転びながらスマホをぽちぽちといじっていた。


「なあ、紅」


「ん?」


「ふたりとも、今日、すっごい汗だったね……髪もびしょびしょやった」


「うちなんて、前髪もう“海藻”みたいになっとったやろ……」


「見たよ、スクリーン。海藻じゃなくて、かわいかったよ?」


「ハルちゃんもな、“ふにゃ〜”の顔、あざとすぎてスクショされとったで」


「ええ〜!? やだ〜〜〜〜〜〜」


 笑い合う声が、部屋にやさしく響く。


 疲れているはずなのに、心は不思議と軽かった。


 ライブが終わったはずなのに、

“これがゴール”という感じが、まったくしない。


「……紅」


「うん」


「これからも、こうやって、ふたりでステージに立てるといいね」


「うん。立とう。立ち続けよう」


「次は、どんな曲にしようか?」


「甘えた妹ちゃんが、頼れるお姉ちゃんに告白する歌?」


「それ、うちらそのまんまやん」


「ええやん、歌でも本音、言うたらええ」


 ハルは、紅の肩にもたれた。


「うちらは、いつも“並んで”るんだよね」


「せやな。“Parallel Hearts”」


「ちょっと重なったり、離れたりしても、

 最後には、隣に戻ってくる……そんな感じ」


 紅は、そっとハルの手を取った。


 いつも通り。

 何も特別じゃない、ふたりだけの“いつもの繋がり”。


「明日も、また一緒にいよな」


「うん。明後日も、来年も。ずっと一緒にいよ」


「手、放さんでな?」


「絶対放さへん。……甘えた妹ちゃん」


「だいすきやで、お姉ちゃん」


 深い夜の中、ふたりの手のあいだに、

 またひとつ、“確かな未来”が生まれていた。


 そして物語は――


 まだ、続いていく。 


(完)

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