第11話 (革命前夜・ムカイミオ)

毎週水曜日と金曜日は、利用者の職業アセスメントのため、近所の小さな倉庫へ出向いて作業をする。今週はムカイミオが担当だった。


職業アセスメントとは職場体験のことで、ここでは輸入したオリーブの缶詰を検査して段ボール箱に詰める作業を午前中いっぱい行うのだ。個人経営の小さな会社が受け入れてくれて、こちらは無料で作業を提供することで成り立っていた。


利用者が指示された内容をどれくらいのスピードで行うことができるか、判断能力、体力や運動神経、作業中のコミュニケーション能力など様々なことを知ることができる貴重な場だ。


精神障害のある利用者は、当日キャンセルすることも多い。

また1回目は来ても、2回目には憂鬱になり体調不良などを理由に二度とこないこともある。そういう状況から、いくら本人が強く就職を希望していても、すぐの就職は難しいと判断された。


缶詰の検査は会社の従業員が担当し、缶詰をレーンに流す係、それを箱に詰める係を交代で行っていく。


今日の利用者はセタガヤミノル一人なので、そういう時は職員も参加する。

途中10分程度の休憩をはさみ、作業を交代しながら、問題なく淡々と終了した。

人によっては缶詰をカウントする事に手こずったり、そもそも腰が痛いなどの理由で作業を選り好みする者もいる。


帰りの車で後部座席に座る彼に感想を聞くと、

「久々に働いたので少し疲れたけど、あっという間でした。」と答えた。

今日は自分の方が疲れたかもしれない。今夜はよく眠れそうだ。

自転車で帰っていくセタガヤを見送った。


高校を卒業してからきちんと会社勤めをしていた彼が、特にうつ病などの精神疾患があるわけでもなく日常を送れている中で、就職しないことにはどんな理由があるのだろう。自分にはまだ発達障害の人たちの全容が見えていない。今日の作業も滞りなくできていた。問題があるようにはどうしても思えない。


定時の17時で会社を出て、ムカイミオは帰りの電車に乗った。

施設は平日のみの営業だが、実際には土日も稼働している。働いている利用者は平日に来ることが難しく、彼らのために土日を使う。

幸い、入社して日が浅い自分はまだ土日の出勤は必要ない。今後受け持つ利用者が多くなれば、土日も出ざるを得なくなるのだろう。職員は利用者のほかにもその家族や、連携しているほかの施設、障害者雇用の企業や医療機関などとも、必要に応じて連絡をとる。


研修では同僚の職員の面談にも何度か同席した。当初は正直、面談の席を確保してまで話す必要がどこにあるのかと思った。利用者は会社や家族のグチ、日常のささいなことなど雑談をする。職員はふんふんと聞いて終わる。結論など出ない。そもそもその会話の中に「問題」はまったく出てこないのだから。


「私もOL時代、こういう機関が欲しかったです。」

そう言うとホシさんは笑った。

「こんな風に話を聞いてくれる場所があったら、サラリーマンの自殺率も絶対低くなると思います。なんで一般にはないんでしょうね?」

担当者がマンツーマンで月に1〜2回話をじっくりと聞く手厚いケア。一般人はお金を支払い、カウンセラーに頼るしかないのか。または酒を酌み交わし、グチを言い合うことが一般社会では同じ機能を持つのか。

障害者は無料でこの施設を利用できる。厚労省の管轄だ。障害年金は、国民年金と厚生年金の保険料から支払われていた。


この仕事を始めてから、常に頭の中には利用者がいるようになった。あの時自分が話した言葉で傷つけはしなかっただろうか。彼の発言はどういう意味だったのか。今後の進路は何が最善か。面談でのやりとりを反芻する。


何も予定がない休日、朝早く目覚めたので、ベランダに布団を干し、洗濯機を回した。

すると、ついこの前まで古い空き家を取り壊していた隣の空き地から、声が聞こえた。

「お前辞めちまえよ!」

驚いてベランダから覗くと、次の建築のための基礎工事が始まっているようだった。

「お前辞めちまえよ!」

まだ朝早いこともあり、怒鳴り声が響き渡る。恐らく新人であろう若い男性を、もう一人の上司らしき男性が怒鳴りつけている。現場には二人しかいなかった。

新人はしゃがんで黙々と作業を続けているのだ。謝るでも言い訳をするわけでもない。彼の声は一切聞こえてこなかった。そこから夕方まで、定期的に怒鳴る声は聞こえてきていた。近隣の住民からクレームが入りそうだけど、次の日曜日も同じ状況が続いた。


彼は大丈夫なのだろうか。

現場仕事は厳しく、ブラック企業が多いということは良く聞く。それでもあの上司に教育する能力がなさすぎるのではないか。怒鳴ることで本当に覚えられると思っているのか。今までもこのやり方で結果が出たのか。もしくは散々色々な方法を試してきて、彼があまりに仕事ができないだけなのか。

上司が本心から辞めて欲しいと願っているのだとしたら、怒鳴るのではなく、会社の経営とお互いの今後のため、丁寧に説明をして退職を促すべきではないか。


彼がある日、精神を病み、会社を辞めて、その後も社会復帰できなかったとしたら、企業が彼の今後の人生を保証すればいい。

明らかに企業のおかしなやり方で、一人の人間が機能不全になったのだとしたら、まったく関係のない人間がおさめた税金で救済をする必要はないと思う。原因は明らかではないか。今まさにここに原因が存在している。

一人の人間を機能不全や自殺に追いやっても、その原因が咎められることはなく、また新人が入った時、バカみたいに同じことが繰り返されることは、おかしなことではないのだろうか。


私たちは毎日生活のために働く。国にお金納めて、心身に障害をきたしたなら納めたお金から保護を受けて辛うじてまた生き延びる。働けるようになれば、またせっせとお金を納める。


自分があの新人のような立場におかれるかは運次第で、面接を受けても「あなたの上司は仕事ができなければ、二言目には辞めろと叫ぶ人です。この会社に入りたいですか?」なんて聞いてはくれない。



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