第9話 (革命前夜・シンカワミサキ)

実家に戻り、勤め先もみつかってあっという間に半年が過ぎた。息子も学校に慣れたようでひとまず安心した。

小学校に上がる前に引越しをして本当に正解だったと思う。あのまま息子と二人で暮らしていたら、自分の精神状態もどうかなっていたかもしれない。夫の保険金もあり金銭面では困らなかったが、一人で家にいるとどうしても夫が当時抱えていた辛さを想像してしまうのだ。ほとんど家ではそんな様子を見せなかった彼は、毎日どんな思いで会社へ行っていたのか。子供が小さい時は、彼に当たってしまったことが何度もある。もっと優しくできたのではないか。彼は私との家庭で安らげていたのか。死を選ばなければならない程つらいとはどんな気持ちなのか。彼がそこまで働かなければいけなかった理由は私や息子がいたからだと思う。そのために自分の人生を投げ出す結果となってしまった。人生とはいったいなんなのか。

彼が残した生活の一つ一つを見ては涙が自然とこぼれ、彼の無念さを考えると心臓のあたりが痛くなる。そうして自分もいつしか彼のもとへ引きづられてしまいそうになっていた。


ドラッグストアでは毎日体を動かし、人と接しているので気が晴れる。同僚に悪い人たちはいない。今後も長く続ける仕事かというとそうは思わないけれど、当面自分自身の居場所としては良い場所だと思っている。

母一人で暮らす実家にお世話になりながら、少しだけ親孝行ができているのかなと考えている。以前は夫の仕事の忙しさを言い訳に、年に1回しか帰ることができていなかった。母と仲が悪いわけではないけれど、母一人が暮らす家に家族で帰ってきても、あまり居心地はいいものではない。いつも数時間のみの滞在だった。

いまはここに居る理由がある。

もし母が負担だと言い出したら、転居を考えようかと思っている。


夫の亡くなった理由をこれまで周囲にはほとんど話していない。母も近所などで聞かれたら病気などを理由にしていると話していた。

昨日、同僚のセタガヤミノルには話してしまったことを少し後悔している。20代の男子なのでそこまでお喋りではないだろう。


今日も定時で仕事が終わり、自転車で帰ろうとしていた時、後ろから声を掛けられた。

「シンカワさん」

セタガヤミノルだった。彼はもともと背が高いが、背筋をすっと伸ばしているので、さらに大きく見える。彼と話す時はいつも見上げる感じだ。

「ミノル君、お疲れさまです」

「お疲れさまです。」

彼はいつも家まで歩いて帰っている。徒歩圏内だと以前聞いた。

「シンカワさん、よかったらメシでもどうすか?今日給料日だから奢りますよ。」

「えー行きたいけど、うちの母がご飯作って待ってるのー。ごめんね。また今度行こうよ。あの駅近くの栄亭行ったことある?美味しいんだよ。」

「ないです」

「今度、ちゃんと予定たてて行こう。母に言っとくからさ。」

「あ、はい」

セタガヤミノルは少し恥ずかしそうに微笑んで返事をした。

「ミノル君、明日はシフト入ってる?」

「あ。はい」

「じゃあ明日もよろしくお願いします。またね!」

自転車で走り出した。

本当は母は夕飯は作っていない。今日は自分が夕飯の当番だからだ。自分が少しでも遅くなると、せっかちな母はパッパと作るので、息子もだいたい先に食べ終わっている。当番制と言っても、自分が料理の作り方を忘れないようにするためのようなものだ。

それにしてもセタガヤミノルが誘ってくるなんて初めてのことだ。プライベートの話をしたことで、距離が少しずつ縮まっていくのはいいけれど、まだ若くて将来のある彼に変な勘違いをさせては申し訳ないと思ってしまった。

「まさか、それはないか。」

電動自転車なので通勤でもほぼ体力は使わない。普通の自転車にすればよかったと思っている。

バツイチの子持ち女は、所詮話のしやすいお母さんくらいの存在か。勘違いをしているのは自分だと気づいた。

あれだけのルックスなら女子が放っておかないだろう。以前店長との会話で、付き合っている女性はいないと話していた。何か理由でもあるのだろうか。


次の日、レジ担当をしていると、隣にはセタガヤミノルがいた。

「栄亭、まだ入ったことないんですよ。一人で外食ってほとんどしなくて」

「そうなの?吉野家は?」

「あれもバイト終わりでしか食べたことないんです」

「えー珍しい。家ではご飯どうしてるんですか?」

「麺料理ばっか作ってます。あとサトウのご飯」

セタガヤはレジ袋に入れる店のクーポンがついたチラシを、猫背になってせっせと折りながら話す。

「麺はインスタント?」

「そう、あとヤキソバとか。ソースの粉かけるだけなんであのくらいなら作れるんです。」

「そうなんだ。でも作るだけえらいですよ。うちの夫なんて何もしなかったもの」

言ってから失敗したと思った。

「シンカワさんは再婚とかする気はないんですか?」

いままでほぼチラシしか見てなかったセタガヤが初めて目を合わせた。

「うーん、いつかはしたいけど。息子もいるし。そもそもこんなおばさんじゃ出会いもないですしね。アプリでも始めたらいいのかなぁ。」

またチラシを折り始めたセタガヤは一呼吸おいて答えた。

「アプリなんてろくな男いないですよ。」

「そうなの?」

「はい、オレもやってたけど、ろくな女いなかったし」

「じゃあミノル君も、ろくな男じゃないんだ。はっはっ」

折り終えたチラシをまとめてトントンと机で揃えながら

「うん、そうかも」

神妙な声で答えた。

「ミノル君はモテるでしょう。背が高いし、かっこいいもん。」

「モテないすね」

「なんで?」

「好きな人から好かれなくて」

「じゃあずっと片思い?」

「そんな感じ。あでも好きじゃない人からは好かれます。」

「モテる男はつらいね」

フッと笑いセタガヤは時計を目にした。

「あ、シンカワさん休憩どうぞ」

「はーい。休憩いただきます」

シンカワミサキは20代の若き男子との会話を楽しんでいた。自分もあの頃は悩み多き女子だった。日々起こるすべてのことに翻弄されていたし、この先の見えない人生をどう生きようかともがきながら必死だった。いまもそれほど状況が変わったわけではないが、なんだかあの頃が懐かしい。

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