第5話 (革命前夜・セタガヤミノル)
父親は造園業を営んでいた。
仕事先の規模によって、母を手伝いとして連れて行ったり、さらに足りないときは知り合いにお金を支払って人員を確保していた。
セタガヤミノルが高校に上がる頃、自分が進学するだけのお金がこの家にはないことを知っていた。長男はもともと成績優秀だったので国立の大学に入ったが、家計はそこで尽き、次男は奨学金で地方のほとんど名の知られていない大学に進学した。次男は一人暮らしもしていたので、彼が金銭面では一番苦労したのではないだろうか。ミノルは高校で野球漬けの日々を送っていたため、いずれにしてもすぐ就職をするつもりだった。
父は仕事が終わると日が暮れる前にかえってくることも多く、早いと3時過ぎから晩酌を始める。母につまみを作らせ、安い焼酎を飲みながら母の仕事ぶりや子育てについてなじるのが日課だ。酔うと手を挙げることもあって、ミノルはそれを見て幼いときは怯えていたが、身体が大きくなってからは父親の腕をとり、力で対抗するようになった。
また父は月に一度、派手なスーツに身を包んで少し離れた都心のキャバクラへと足を運んでは、女性たちに囲まれて喜んでいた。ベロベロに酔い、いい気分なのか深夜に帰ってきては大声で母にからんだ。
そんな母は、家庭と仕事を懸命に支えながら、不条理に侮辱されても反論すらしない。ミノルはそんな母に次第に腹がたつようになった。母は一体何を思っているのだろう。母親とはいったいなんなんだろう。まるで言いなりのロボットみたいだ。
ある時、大学生だった長男が「クラウンが欲しい」と言い出した。車のクラウンだ。バイトでもして買えばいいだろうと思いながら聞いていたが、その翌週には家の敷地内に白のクラウンが停まっていた。母がお金を工面し、今後長男がバイトをして母に返すという約束になったそうだ。長男は電車で40分の大学へわざわざ車で通うようになった。
そこから数ヶ月後、事件はおきた。
テレビでもよく聞く消費者金融ローンの名前から督促状が届き始めた。長男がそれをみつけ、母へ問いただすと我が家の家計ではクラウンのお金の工面ができなかった為、仕方なく消費者金融ローンを利用したとの事だった。
母はこれまでまともに会社勤めをしたことがない。早くに父と出会い、自営業の手伝いを始めた。この家ももとは父の両親が住んでいたものを譲り受けた。広い土地もついている。
それまでは順風満帆とまではいかなくてもなんとかやりくりし、それほど不足なくやってこれてしまった。そこに子供達の相次ぐ進学と、可愛い息子からの頼みを断ることに心を痛めたのか、テレビのCMを見てお金を借りたことをぽつぽつと話した。
ミノルは母がそこまで無知ということにまず驚いたし、そうまでして長男の希望を叶えたいという気持ちは、まったく理解できなかった。
もちろんそれはすぐ父の耳にも入り、父は久しぶりにシラフで母の頬を叩いた。
「どうする気だ?考えろ」
静かにそう言って寝室に消えた。父はこれまで家の家計にはまったく関わっていなかった事をそのとき知った。もしかすると父本人も、この家にお金がほとんどないことは知らなかったのかもしれない。
その晩、母は自殺するのではないかと気が気ではなかった。この家を売ることになるのだろうか、今後自分は高校を卒業する前に働きだすべきかなど考えていたらなかなか寝付けなかった。
結局、親戚の叔父さんからお金を借りることで事は済んだのだけれど、叔父さんはうちへやって来て、酒を飲みながら母と長男に2時間近く説教をして帰った。
ミノルが高校を卒業して家を出てからすぐ、父親は仕事中に心臓発作で倒れて亡くなった。母は自由となり、少しの遺産を手にした。
それから間も無く、長男は就職した建設会社でパワハラに遭って会社を辞めた。
数年後、次男も勤めていたIT企業で適応障害と診断され休職。実家に戻ってから正式に退職したことを母から聞いた。奨学金の返済は当分母が肩代わりすると話していた。それ以来、兄二人は再就職せずに実家で母と暮らしている。
久々に実家のことを思い出したのは、シンカワさんの家のことを聞いたせいだ。
シンカワさんはあれからすぐに仕事を覚え、あっという間に発注も任されるようになった。既存のおばちゃん連中もシンカワさんを気に入っているようだ。
先日、久しぶりにシフトが合い、お昼が一緒になった。その時シンカワさんの元旦那さんは自殺をして亡くなったのだと知った。仕事がきついと話していた矢先だったそうだ。
小さな子供をもちながらしばらく動けない日々が続いたが、心機一転するため、子供のためにも旧姓に戻して実家に帰ってきたと言う。
ミノルはとても申し訳ない気持ちになり、ざっくりと自分の両親のこと、兄たちのことを話した。お詫びというか、なんとなくだけどシンカワさんの気持ちもわかるということを少しでも伝えたくて。
「ミノル君には、なんだか話ができるよ。聞いてくれてありがとうね。」
帰り道、そう笑顔で言って、シンカワさんは自転車で帰って行った。
その夜はなんだかシンカワさんのことが頭から離れなかった。シンカワさんとお子さんに幸せになってもらう方法はないだろうか。そのためなら、自分にはなんだってできそうな気がした。
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