第3話 (革命前夜・セタガヤミノル)


今日もすっきりと目覚めた。

最近目覚めがいい。壁に貼ってある「ご機嫌は自分でつくるもの」と書いたA4用紙を眺める。ほんと大事だよな。誰かや何かに気分を左右されるなんて、バカバカしいもんな。たまたまきのう朝ラジオをつけたら司会者がそう言っていたセリフを拝借した。定期的にそのとき自分が求める、励ますための言葉を書き換えては大きく書いて壁に貼りつける。


勤め先のドラッグストアに先週から新しくおばちゃんが入った。おばちゃんと言っても自分よりも10才ほど年上で見た目も若く綺麗な人だ。シンカワさんと言う。噂ではバツイチで子供もいるらしい。

既存のパートがほかにあと3人いるが、全員40代の肝の座った女性で、セタガヤミノルは彼女たちとは相性が悪いと思っている。なんでも詮索してくるし、少しの発注ミスをとんでもないおおごとのように騒ぎたて、自分がすぐそばにいるにもかかわらず、まるでいないかのように大声で非難しあっている。大騒ぎしなくても直接オレに言えば済む話だろと思う。こちらは彼女たちの発注ミスを何一つ咎めず淡々と処理しているということを、想像する余地もないのか。お前らは常にカンペキなのかよ、と叫びたくなる。

なぜあんなふうに生きられるのか、わかりたくもないけど、とにかく近寄りたくないふてぶてしいあの二重顎、たるみきった図体。染めきれない白髪を茶髪にし、何もかも他人せいにしてだらしなく生きてきた様子がそのまま出ているではないか。あぁイヤだ。この世界から消えればいいのに。セタガヤは考えたくもない彼女たちのことで毎日頭がいっぱいになる。


店長は去年この店に異動してきた。たぶん30代で色白、毎日ワイシャツにスーツのパンツを着ている。私服じゃダメなんですか?と聞いたら「このほうが選ばなくて済むからラクなんだよ」と話す。穏やかな雰囲気だが、めんどうなことは嫌いなのかどこか機械的だ。おばちゃんたちについて相談をしたら、初めは親身になって聞いてくれたけれど、そのうちおばちゃんたちから自分へのチクりが入り、対応もそっけなくなったように思う。

シンカワさんに仕事を教えるのは自分の役目となった。シンカワさんは小さなメモ帳にこまごま書き込みながら聞いてくれる。一度教えたことはだいたいすぐに覚え、わからないことは聞いてくれるので、教える身としてはとてもラクだった。

ちなみに自分はメモをとることができない。メモを見返しても、何のことを書いたのわからなくなるのだ。ページ数が増えればさらに内容を見失うので、自分にはまったく意味がなかった。しかしそれだと周囲が納得しないので、「メモする姿」を見せるためだけにメモをする、という謎の行動が必要になる。社会はめんどくさい。

ここに入った時も、発注ソフトのどこを押すのかメモの文字からは全く判別できないから適当に押して怒られたし、あまりに覚えが悪いためキレ気味の店長にそれでも何度も繰り返し聞きながら、最終的には体で覚えた。当時の店長はよく自分をクビにしなかったなと思う。いま人に教える立場になって一層実感する。


一応研修担当なので、お昼はシンカワさんに合わせて食べることが多くなった。従業員室の小さなテーブルで、3割引シールの貼られたヤキソバパンを食べていると、向かいの席で手作り弁当のフタを開けながらシンカワさんが聞いてきた。

「世田谷さんはまだ若いですよね。ここにはどのくらい勤めているんですか?」

「高校卒業してからなんで、今年で5年かなぁ。ほんとは辞めたいけど一人暮らしなんで次みつけないと辞められないし、渋々続けてるんです。」

「一人暮らししてるんだ。えらいですね。都内だし家賃も高いでしょう?」

シンカワさんの箸には綺麗に黄色く焼かれた卵焼きが掴まれている。

「うちは駅から15分くらい離れてて、全然安いほうだと思いますよ。」

東京と言っても23区から少し離れればかなり家賃も下がる。さらに駅から15分だと周囲には住宅街しかなくなり、そばの小さな林からはたまに草のにおいが風に乗ってやってくる。

「シンカワさんのお子さんはまだ小さいんですか?店長からちょっとだけ聞いて..」

「あでもね、やっと小学校にあがったの。母に手伝ってもらいながらだけど、私も働かなきゃと思って。」

シンカワさんは薄いピンクの水筒のフタを開けて一口飲んだ。

「このお弁当もね実は母が作ったの。早起きしてやることないからって。自分で作れよって感じでしょ?」

彼女はふふふと笑った。

「いままでは専業主婦をしてたんですよ。働くのもほんと久しぶりで。つい最近実家に戻ってきて。この辺は15年ぶりくらいにきたかなー、懐かしくて。ここって昔は小さなスーパーだったんですよ」

「なんかそうみたいっすね。前の店長も言ってました」

「まさか自分がここで働くなんて、高校生のときは想像もしてなかった。人生何が起こるかわからないですね」


伏目がちにクスッと微笑むシンカワさんが見せた「影」みたいなもの、その人生に起こったことについて想像したりしたけど、週刊文春みたいな、不意に流れてくるショート動画みたいな、陳腐な発想しかできなかった。




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