第2話 (革命前夜・ムカイミオ)


当たり前なことを説明するって難しい。

常識と思っていることを説明するには、理由や意味を見出さないと。だからと言って、当たり前のようにしている事を当たり前と感じたことはない。なぜこれをするのか、自分でも意味がわからないからだ。なぜこんなことを毎日するのか。わたしはこんなことをするために生まれてきたのだろうか。なにかほかにもっとやるべきことがあるのではないだろうか。周囲の人間たちは少なくとも自分よりはこの日常を楽しんでいるように見える。そこになんらかの意義を見出し、有意義に行っているように見える。余計不思議に感じる。


ムカイミオは今日35才になった。

5年前に離婚。一人の誕生日には慣れている。夫がいた時からプレゼントもケーキもなかったからもともと誕生日は一人のようなものだった。離婚をした同じ年、長く勤めていた会社が廃業となった。あっけなくこれまでの生活が崩れ去った。


なんだろう。永遠に続くであろうと、自分の人生で半分奴隷の足枷のように設定していたものが、こんなにあっさり消え去ることを知っていたならば、そもそもの選択は変わっていたのではないかと思ってしまう。でも選択を変えたところで、「足枷」があるからこそ、そこに根付いてRPGゲームのようにストーリーを始める事ができるのかなとも考える。あくまで環境なんて、ただの村人Aであり、武器屋やモンスターでしかないのか。仲間が死んだなら、また新しい仲間(足枷)を探す。それだけ。

そうなるとやはりそこに何の意味があるのかという考えにたどりつく。でもこれってドラクエの例えだけど、いまの子たちは人生のステージを何のゲームに例えるんだろう。もっと違うゲームを知っていたなら、異なるゲーム展開を目指すのかもしれない。

ムカイミオは新たに就いた派遣先の研修を受けた帰り、ぐるぐるとそんな考えをうかべながら、まだ明るい夕空のしたを歩く。今回の勤め先から家までは、40分かければ歩いて帰れる。春の日差しはそれほど強くなく、いい運動になる。


これまで狭い世界しか知らなかったので、せっかくならさまざまな業界に行ってみたいと考えるようになった。

今回の派遣の仕事は投資信託会社で株主からの電話を受けるコールセンター業務だ。金融や株など縁遠く、研修を受けてもうまく頭に入ってこないけれど、2ヶ月限定なので最悪途中でクビになってもしょうがないかと思っている。幸い、都内に住んでいると派遣なら次の職もすぐにみつかる。女一人が食べていける分だけのお金があればいいのだ。

ムカイミオは人間関係に疲れたときは短期の派遣業務を選ぶようになった。短期の派遣業務に集まる人たちはたいがい「空気を読む」のがうまい。短い期間だけその場に溶け込んで、その場の要望に応じ、その場だけの人間関係をつくることに長けている。「彼ら」は、さまざまな経験をしてきた結果、社会に疲れて謙虚に生きることを選んだ。だから「どうしたらお互いが疲れないか」をよく知っていて、期限がきたら後腐れなくさわやかに去っていく。自分の勝手な想像だ。

そう思うようになって、短期の派遣期間は自分の充電期間として使うようになった。


昨年までムカイミオは障害者支援の仕事に就いていた。と言っても1年ばかりで、障害者の支援なんてしたこともなかったし、資格もないけれど入れてくれる会社があった。

そこは精神障害と知的障害の人たちを対象として仕事や生活の相談にのる場所で、国の認可を得て運営していた。

経験の厚い先輩の相談に同席しながら研修を受け、初めて担当させてもらったのは世田谷さんという23才の男性だった。

世田谷さんは身長が186cmもあるけれど、いつも猫背なのでそれほど大きくは見えない。少しクセのある歩き方のせいか、底が偏って擦れて薄くなったボロボロのスニーカーと、レンズの分厚いメガネの奥から覗くように見える瞳が印象的だった。


「高校卒業してからおととしまでドラッグストアで働いてたんですけど、パートのおばちゃんや店長とソリが合わなくて。店長から辞めていいよって言われたんです。それで辞めてから、次の仕事がみつかんなくて、生活保護になりました」

言葉ははっきりと丁寧に、少しの愛想笑いを見せて話す世田谷さんの感じは悪くなかった。

新規の相談者用に作られた「アセスメントシート」に従ってその人にどんな背景があるのか順番に話を聞いていく。次の項目は家族関係だ。

「ご家族は近くにいらっしゃるんですか?」

「埼玉の所沢市にいます。兄が二人が無職なんですけどみんな実家で暮らしてるんです。父は少し前に死んで、母は年金で暮らしてます。僕も一度は実家に帰ったんですけど、母親に出ていけって言われちゃいまして。」

「そうなんですね」

ムカイミオはできるだけ淡々と聴くことに努めた。兄二人も無職で実家暮らしとは、家庭内に問題がありそうに感じるけれど初回の面談ではあくまで用紙を埋めることに徹する。次の項目は医療。

「病院でなにか治療や診断などは受けていますか?」

「このまえ検査を受けて発達障害と言われました。薬は飲んでません。たまに眠れないときに眠剤飲むくらいです。」

「そうですか。世田谷さんは、ここではどんな支援を希望されていますか?」

「とりあえず、働くようにって役所から言われて来たんで、まぁ働けるようになればって感じですかね」

「あ、生活福祉課の方から言われて?」

「はい...」

「そうですか。わかりました、ありがとうございます。」

この支援施設でできることをパンフレットを使って説明した。ここでは相談業務が主となる。

「もし世田谷さんがこちらの利用を希望されるようでしたら、この申込書を後日お持ちください。」

「はい」

世田谷さんきちんとお辞儀をしたあと、ボロボロのスニーカーを器用に履いて出て行った。世田谷さんの表情だけでは利用を希望しているのかすぐには読み取れなかった。


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