第10話

 不意に、別方向から含み笑いの様な声が風に乗ってジェロムの鼓膜を叩いた。

 その声の主が誰なのか、考えるまでもなかった。


(くそっ!)


 自身に対する激しい苛立ちを覚えた。

 と同時に、離れたところでジェロムをにやにやと眺めている厭味な影に対し、どうしようもない腹立たしさをぶつけたい気持ちで一杯だった。


(僕の悪評を広めるのは構わない。実際、パトリス殿の死に際して、何ひとつ出来なかったんだから、それについて反論するつもりはないさ。でも、物事にはタイミングというものがあるだろう!)


 少なくとも今は、亡き父の領村が手酷い災害に見舞われたという、ミネットにとってはただでさえ辛い状況なのだ。そこに追い討ちをかける必要がどこにあろう。


(そんな簡単な論理も分からないのか!)


 その怒りが逆恨みの類であると理解は出来ても、ジェロムは頭に血が昇ってしまう自分をどうにも抑えようがない。

 そしてマルセランと、彼の家士達の姿をみとめた時、ジェロムの手は危うく長剣の柄に伸びそうになった。これほど、あの先輩騎士に怒りを覚えた記憶はなかった。

 当のマルセランは余裕に満ちた表情で、相変わらずその口角を吊り上げている。

 だがここで騒ぎを起こしては、バルバラッセル村の人々に迷惑をかけるだけでなく、救援隊の派遣を命じたラヴァンセン公の顔に泥を塗る結果となるだろう。

 ――耐えろ。とにかく耐えろ。

 ジェロムは奥歯をぎりぎりと噛み鳴らし、全身を震わせながらも、何とか自身を落ち着かせようと必死になっていた。

 それ以降、ミネットの表情が目に見えて分かるほど、硬くなった。

 さすがにバルバラッセル村の人々も、その変化に気づいたようだった。

 それまでミネットは、意気消沈した村民達の間を駆けずりまわり、明るい笑顔を振りまいて励ましの言葉を口にしていた。

 それが今では、蒼い双眸に暗い色を宿している上に、その口数も極端に少なくなっているのである。


「ミネット様は、如何なされたんですかのぅ」


 バルバラッセル村の年老いた農夫が心配げな面持ちで、休憩中のジェロムにそう問いかけてきた。


「僕には、何とも……」


 理由は分かり切っている。

 しかしジェロムとしては、言葉を濁してとぼけるしかなかった。


(こんなことじゃ駄目だ。集中するんだ)


 その後ジェロムは意識して自らの感情を消し去り、淡々と救援隊を指揮して、作業に没頭した。

 ミネットの方には見向きもせず、マルセランに対しても一切の無視を決め込んで、ひたすら復旧作業だけに取りかかった。

 さすがにマルセランも、不必要に絡んではこなかった。

 ラヴァンセン公からの命令である以上、結果を出さなければならないのである。ジェロムを叩いて遊んでいる暇はないのだろう。

 ふたつの救援隊が次々に作業をこなしていき、夜には大方の片付けも終わった。

 生き残ったバルバラッセルの村民が寝泊りする為の簡易宿所も完成し、後はもう、夜明けを待って撤収するだけとなった。

 村はずれの馬車道脇の空き地で宿営を張り、ディオンタール邸の家士やメロドゥワ村の民達と焚き火を囲んで食事を取りながら、ジェロムはひと息ついていた。

 これでようやく、バルバラッセル村から離れられる。

 ジェロムは内心で胸を撫で下ろす気分だった。

 出来れば、ミネットとはこれ以上関わらずに村を辞したいという思いもあったが、さすがにそれは失礼に過ぎるだろうから、朝一に辞去の挨拶だけして、さっさとメロドゥワ村に引き返そうとばかり考えていた。


(矢張り僕は卑怯者なんだろうな)


 ミネットから逃げる発想ばかりを抱いている自分を、心の内で嘲笑する。

 恐らく生涯をかけて、彼女はジェロムを恨み続けるだろうが、それも仕方がないと割り切る他なかった。

 とにかく、朝になれば全てが終わる。

 そう信じ続けていたジェロムをまるで翻弄するかのように、予想外の事態が、金色の朝陽とともに忽然と出来した。

 最初に急を知らせてきたのは、誰あろうミネットだった。


「ジェロム! ちょっと来て頂戴! た、大変なの!」


 昨日後半から見せていた硬い表情はどこへやら――今の彼女は、父パトリスの問題を忘れたかのように、必死の形相でジェロムのもとへ転がり込んできていた。

 厚手のマントを毛布代わりにまとい、火の消えた焚き火の脇で気持ちよくまどろんでいたジェロムだったが、ミネットの甲高い声にさっと上体を起こし、ほとんど一瞬で覚醒した。

 自分でも驚くほどに頭の中が明瞭としている。

 ジェロムはマントを脱ぎ払って立ち上がると、息を乱してうろたえているミネットを、まず落ち着かせようと試みた。


「どうしたんだいミネット。とにかく一旦深呼吸するんだ。そんなに息が切れてたら、まともに話せないよ」


 ミネットの左右の肩に両手を優しく添えて、ジェロムは意識してゆっくりと諭した。

 ミネットは数度、激しく頷き、次いでジェロムの指示通りに深呼吸する。

 ジェロムの家士達やメロドゥワ村から連れてきた救援隊の面々が、何事かと訝しんで起き上がり、二人の若い男女を不思議そうに眺めていた。

 ようやく落ち着きを取り戻したらしいミネットはひとつ息を呑み込んでから、緊迫した表情で口を開いた。


「さっき突然、見も知らない連中がやってきて、村に変なものを造ろうとしているの!」


 ジェロムは小首を傾げた。

 変なものといわれても、何なのかさっぱり分からないし、想像もつかない。ここは矢張り、実際に自分の目で見て確かめる必要があるだろう。

 既に起き上がって命令を待つ姿勢を見せている家士を引き連れて、ジェロムはミネットに案内を請うた。

 そうしてミネットを先頭に立ててジェロム達が村の中央付近にまで足を進めると、果たして、ミネットがいわんとしている内容をようやく理解するに及んだ。

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