第9話
ジェロム率いる救援隊は、午後から本格的な作業に取りかかった。
生き残っていたバルバラッセル村の農民達は、ミネットがジェロム達を案内した広場に集まっていた。
ある者は無表情のままうずくまり、またある者は意味の分からない独り言を呟きながら涙を流していたりなどして、まともに行動出来る者は皆無であった。
作業に入る前、ジェロムはまだ辛うじて理性を保っている数名の農民達から、何があったのかを聞き出してみた。
星明りしかない深夜での出来事であった為、有力な目撃情報はほとんど得られなかったのだが、その一方で、これはと思われる証言を得た。
凄まじい轟音の様な獣の叫び声を聞いた、というのである。
ジェロムは息を呑んだ。
(矢張り、あいつなのかも知れない)
自身もまだ、その正体をはっきりと見た経験がある訳ではない。
しかしどういう訳かジェロムの頭の中では、その咆哮の主が不気味な巨影として鮮鋭な映像を結んでいた。
(騎士として戦闘訓練を受けた僕でも、あの恐怖はまだ忘れられない。この人達には、尚更だろうな……)
ジェロムは広場で悲嘆に暮れる人々を、ただ痛ましげに見つめるしかなかった。ほとんどの農民達は能動的な行動が取れず、ただただ、へたり込むばかりである。
唯一、ミネットだけが村民の間で忙しく立ちまわっている。
彼女は食料を配って歩いたり、或いはひとりずつ励ましの言葉を投げかけるなどして、奮迅の働きを見せていた。
そんな彼女の活動を横目に見やりながら、ジェロムは救援隊に指示を出し、破壊された家屋の片付けや、怪我に苦しむ村民達の看護などに当てた。
それにしても、この状況は、ジェロムにとっては多少有り難かった。
(不謹慎だと叱られるかも知れないけど、討伐隊の件はまだ伝わってなかったんだな)
批難の目線が届かない。
もうそれだけで、ジェロムの気分は随分と楽になった。被害を受けた彼らには申し訳ないとは思いつつも、この安堵感は拭い去れなかった。
一方でジェロムは、更なる拡大を見せる被害状況に頭を痛めた。
(麦畑もやられてたのか。これは、今すぐにはどうこう出来ないな)
破壊の爪痕が、バルバラッセル村の収入源にも及んでいたのは予想外だったが、今はとにかく通常生活に戻れる程度への復旧が最優先であった。麦畑への手当ては、先延ばしにせざるを得ない。
そんな中、ジェロムは破壊された家屋の片付けに際し、言葉を失う光景に出くわした。
人間の下半身だけの遺体、或いは腕や脚だけとなって放置される屍肉の断片などが、そこら中に散らばっていたのである。
救援隊のうち、人間の惨殺死体など見慣れていないメロドゥワ村の農民達は、これらの屍肉を見た途端に腰を抜かした。
中には堪え切れず、その場で嘔吐してしまう者なども居た。
(あの時と同じだ……)
ジェロムは、いいようのない不安を覚えた。
討伐隊を襲った奴が、ルゥレーン城域内のどこかで、今も息を潜めて次の犠牲者を虎視眈々と狙っているかも知れないのである。
極悪非道なる魔術師リュドヴィックは確かに命果てたが、しかしそれ以上に危険な何かが、城域内に解き放たれたのではあるまいか。
薄ら寒いものを感じたジェロムだったが、彼は頭を激しく振ると、無心に徹して遺体の回収作業に当たった。ディオンタール邸の家士達も、やや青ざめた表情ではあったが、ジェロムに付き従い、散乱する遺体に手をつけ始めた。
メロドゥワ村から曳いてきた荷車に藁を敷き詰め、その上に回収した遺体を無造作に放り込んでゆく。
まともな神経では、とてもではないがやっていられない。
犠牲となった人々には申し訳なかったが、屍肉を物扱いでもしなければ、作業をしている側の精神が参ってしまう。
とにかくジェロムは人間らしい感情を極力押し殺して、各戸の遺体をどんどん回収していった。
そうして幾つ目かの家屋をまわり、それまで同様、何も考えずに放置されている遺体を荷車に放り投げていた時。
「ひっ……!」
戸口の方から短い悲鳴が聞こえてきた。
何事かと振り向くと、そこに恐怖の表情で硬直しているミネットの姿があった。
ジェロムはあっと驚き、小脇に抱えている断片遺体を慌てて背中の後ろに隠した。
「あ、違うんだミネット! 別に乱暴に扱おうってつもりじゃなくて、その」
つい、しどろもどろになりながら弁解めいた台詞を口走ったジェロムではあったが、しかしミネットはジェロム達の遺体の扱い云々以前に、この惨状そのものにショックを受けている様子だった。
ジェロムは家士達に一旦手を休めるよう指示し、次いで、ミネットを半ば強引に戸外へと連れ出した。彼の両手は遺体から付着した血液やら何やらで生臭くなっていたが、気にしている場合ではなかった。
「ご、ごめんなさい。あなた達の邪魔をするつもりじゃなかったんだけど……」
そういって詫びるミネットではあったが、彼女の大きな蒼い瞳には、それまでには見られなかった嫌悪の情の様なものが、僅かに浮かんでいた。
「いや、そんなことなら別に良いんだ。それで、一体どうしたんだい?」
ジェロムが問いかけても尚、ミネットは妙によそよそしい態度で表情を硬くしている。ふたりが出会った直後に彼女が見せていた屈託のない笑みは、すっかり影を潜めていた。
「あの、そのね。別の救援隊の人達が到着したから、それを知らせようと思って」
「救援隊? 僕ら以外に?」
「ええ。指揮官の人はマルセラン・ジェルキエールと名乗っていたわ」
その名を聞いた瞬間、ジェロムの顔は苦痛に似た色で凍りついた。
マルセランが来た。それは、即ち――。
「で、その、マルセラン殿は何かいっていたのかい?」
「……ジェロム。あなた、父様が指揮する討伐隊に、参加していたの?」
矢張り、そうきたか。
ある程度予測していたとはいえ、ジェロムは胸の内で、えぐられる様な痛みを覚えた。
しかし、逃げるべきではない。
開き直りにも似た覚悟を決めて、ジェロムは深く息を吐き出した。
罵るなら、罵ってくれ――最早、その心境はやけくそにも近かったろう。
だがとにかく、ここで背中を見せるのはミネットに対しても、パトリスに対しても失礼に当たると考えたジェロムは、幾分怯えの色を見せ始めた少女の蒼い眼差しを、真正面から受け止めた。
ジェロムは表情を引き締め、小さく頷いた。
「ああ、そうだよ。僕はパトリス殿が指揮するリュドヴィック討伐隊の一員だった」
「父様を、見捨てて逃げたの?」
徐々にではあるが、ミネットの視線に、批難の感情が含まれ始めている様な気がした。それでもジェロムは自らを奮い立たせて、臆すまいと懸命に堪えた。
「それは違う……といいたいけど、何の証拠もないし、証言する者も居ない……信じる信じないはきみの自由だよ」
ミネットは、顔を伏せた。唇を噛み締め、必死に感情を抑えようとしているのが、傍から見ていてもよく分かる。
殴られるだろう。そう覚悟したジェロムだったが、予想に反して、ミネットは面を上げて小さくかぶりを振るだけだった。
「最初に出会った時に、あたしはあなたの真っ直ぐな瞳を見て、悪い人じゃないって思った。けど、もうよく分からないよ。出来れば、あなたの言葉を信じたい。でも、父様のことを考えたらやっぱり……」
そこから先は、声にならなかった。
ミネットは踵を返し、逃げるようにしてジェロムの前から走り去っていった。ジェロムはただ、その後姿を見つめるだけである。
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