第8話

 陽光が、ほぼ真上から降り注ぐ頃合。

 ジェロム率いる救援隊は、バルバラッセル村のはずれにあたる、ロワール川からの分水路上の橋を渡った。

 ほとんど休みなく荷車を曳いてきた為、どの面々も額や頬にうっすらと汗を浮かべている。


「少し、ここで休憩しよう」


 救援隊に指示を出してから、ジェロムは同年代の家士を連れて村に入った。

 到着の挨拶をしておくと同時に、現状を把握しておきたいとも考えたのである。

 バルバラッセル村に入った当初は、とにかく迅速に救援活動を進めていこうという使命感に溢れていたジェロムだったが、視界に飛び込んでくる惨状を見るにつけて、彼の気分は次第に暗鬱な色に染まりつつあった。


「なんなんだ、これは……」


 ジェロムは誰に語りかけるともなく、呆然と呟いた。

 彼に付き従う家士も、戸惑いの表情を隠そうともしない。

 彼らの前に広がっていた光景は、ひと言で表現するならば、嵐の後であった。

 まるでこの村だけが暴風雨に襲われたかの如く、ほとんどの民家が屋根や壁を破壊されており、一部は柱から完全に薙ぎ倒されている。

 また共同厩や資材置き場の小屋に至っては、跡形もなく叩き潰されており、残骸と化した木材があちこちに散らばっていた。

 しかし、自然災害による被害とは決定的に異なる部分が、ひとつだけあった。


「一体、何があったんだ」


 ジェロムは、破壊された家屋内やその周辺の地面が、まだ湿り気の残る真紅で一様に染まっている惨状から、目が離せなくなっていた。


「ジェ、ジェロム様、こ、こ、これは、その、ち、血……」


 若い家士が、声を震わせながら問いかけてきた。

 ジェロムにしても白昼堂々、これほど大量の血が辺り一面を濡らす光景などそうそう見ないだろうと考えた。いや、考えかけた。

 だがその刹那、ジェロムはある場面を脳裏に思い描き、愕然とその場に立ち尽くした。


(いや、違う。この光景……見覚えがあるぞ!)


 屍肉の山。

 血の海。

 雷鳴の様な咆哮。

 そして、上ずったパトリスの叫び。

 思わずよろめきかけたのを、ジェロムは懸命に堪えた。

 思い出したくもない、あの場面――しかしその記憶はまるで容赦なく、彼の脳裏に次々と現れては消え、全身から嫌な汗を噴き出させていった。

 逃げ出したくなったが、ジェロムは己を必死に抑えた。

 と同時に、やり場のない怒りが込み上げてきた。

 何者かがパトリスの命だけではなく、かつて彼が領していた村の人々をも犠牲にした。

 証拠がある訳ではない。

 同一犯だと決まった訳でもない。

 しかし、極めて似通った惨状が目の前で繰り広げられた。この事実に対する憤怒の情が、萎えかけていたジェロムの気力を辛うじて支えていたといって良い。

 ジェロムは、奥歯をぎりりと噛み鳴らした。

 自分自身に対してなのか、或いはバルバラッセル村を襲った何者かに対してなのかは判然としなかったが、とにかく彼は、心底腹が立った。


「あのぅ、もしかして、救援隊の方ですか?」


 訝しそうに問いかける若い女性の声に、ジェロムは横っ面を引っ叩かれた様な錯覚を覚え、妙にうろたえてしまった。先ほどまでの激情に、水を差された気分だった。

 同時に彼は、現実に引き戻されもした。

 そうだ、今は怒りで身をたぎらせている場合じゃない――ジェロムは改めて、自身が置かれている状況を思い返した。

 声をかけられた方に向き直ってから、ジェロムは一瞬息を呑んだ。

 その人物は、ジェロムと同年代であろうと思われる少女だった。

 どちらかといえば凹凸の少ない、スレンダーで小柄な体躯の娘である。それだけなら何の変哲もない普通の娘であろう。

 しかしジェロムの視線を奪ったのは、その容貌であった。

 ブラウンの長い髪を二又のお下げに結い、くりくりとよく動く感情豊かな碧眼は年相応の娘らしいといえる。だがその端整な顔立ちには明らかに、ある人物の面影が色濃く反映されていたのである。

 ジェロムは少女には気づかれぬよう、喉の奥でごくりと唾を飲み込んだ。


「こ、これは失礼しました。如何にも私どもは、救援隊の者です」

「あぁ良かったぁ。本当に首を長くして待ってたの。村はもうご覧の通りこんな状態で、村の皆もすっかり気落ちしちゃって、どうにもならなくなってたのよ」


 少女はほっとした表情で、胸を撫で下ろす仕草を見せた。

 よく見ると、彼女は一般的な庶民が身につける麻のローブやスカートといった服装ではなく、どちらかといえば身分あるものがまとう城内用のローブ姿であった。


「ごめんなさい。正直、こんな顔に痣だらけの人が来るなんて思ってなかったから……」

「あ、いやぁ、これはその、どうぞ気になさらないでください」


 ジェロムは慌てて両手を振った。心の内を見透かされているのではないかという妙な不安が、彼にわざとらしい作り笑いを浮かべさせた。

 しかし少女は、ジェロムの慌てふためいた心理などまるで気づいた風もなく、生き残った村民が集まっているという広場へ、ジェロム達を案内したいと申し出た。


「それは助かります。あ、そうだ、まだ名乗っていませんでしたね。私はルゥレーン伯臣下の騎士、ジェロム・ディオンタールと申します」


 いい終えてから、ジェロムは相手に気取られまいと密かに息を押し殺した。

 こちらが名乗った以上は、相手も応じてくるであろう。表面的には平静を装っているジェロムだったが、いつもの倍ほどの速さで鼓動が脈打つのだけは、どうにもならなかった。

 それでもジェロムは、少女の反応を待った。形の良い大きな瞳に見据えられて、ジェロムの表情は一瞬強張った。


「あたしは、ミネットっていいます。ミネット・グラビュ。宜しくね」


 その屈託のない笑顔に、ジェロムは呼吸が止まりそうになった。

 かつてパトリスは、亡き妻アミラとの間に娘がいるという話をジェロムに語っていた。

 ジェロムが知るところでは、パトリスの娘はトゥールのサン・マルタン聖堂に属する修道院に於いて、俗身のままで修行している筈であった。

 あまり詳しくは聞いていないが、十年ほど前に催された十字軍進発の際、亡妻アミラは何かの問題に巻き込まれて、ローマで命を落としたのだという。パトリスの娘が俗身のまま修道院に入れられたのも、その問題に何か関係があるらしいのだが、如何にジェロムとて、それ以上の詳細までは知り得なかった。

 そのミネットが、修道院から帰村していた。

 ここルゥレーン城域からトゥールまでは、馬を走らせれば半日とはかからぬ距離である。

 討伐隊を襲った惨劇がサン・マルタン聖堂に即日伝わったとしても、不思議ではない。

 ジェロムの硬い表情に、ミネットは小首を傾げてきた。

 今はまだ、彼女は何も知らないのだろう。しかしいずれは――ジェロムは昨日、城の大食堂で味わった暗鬱な気分を、ここで再び思い起こす羽目となった。

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