②『ジェイソン・ボーン』シリーズと小説的カッコいいエンドの技法を探る話

※最初にお断りしておきますが、これはあくまで私個人の感想・体験に基づく意見です。


「私は誰なのか?」

この問いほど、根源的で、人の心を捉えて離さないものはないだろう。

映画『ジェイソン・ボーン』シリーズは、ただのスパイ・アクション映画ではない。記憶喪失という設定を起点に、人間のアイデンティティと良心、そして現代社会の闇に迫る、濃密な心理ドラマである。


ボーンシリーズの魅力はまず、そのリアリティにある。空想的なガジェットが飛び交う他のスパイ映画とは異なり、ボーンが使うのは身の回りの物、冷静な判断力、そして冷酷なプロの技術だ。手持ちカメラによる撮影と無駄のない編集は、観客をまるで現場に居合わせたかのような臨場感に引き込む。


追跡劇、格闘、逃走劇——すべてが「本当にこういうことが起こり得る」と思わせる説得力を持っている。見辛さすら感じるのだが、それがいい。


ジェイソン・ボーンシリーズは、ハードなアクションの連続でありながら、静かに観客の心を揺さぶる。観終わった後、私たち自身もどこかで「自分は誰か」と問い直すことになる。それこそが、ボーンというキャラクターが生み出す最大の魅力なのだ。


特に印象的なのが、『ボーン・アルティメイタム』(第3作)のラストシーンだ。

そのラストシーンに流れるのはモービーの「Extreme Ways」が完璧なタイミングで流れる。


この表現は映画ならではだろう。

しかし、小説でこうしたカッコいいエンディングの描写は出来ないのかと言われたら、そうでもない。



こんなラストシーンはどうだろう?



ーーー



――奴の死体は発見されなかった。

 本当に死んだのか。

 その疑念が、いまだ私を支配している。


 屋敷の中は静まり返っていた。

 重厚な木製のチェス盤が、書斎の隅にひっそりと置かれている。

 誰も触れていないはずのそれが、ほんのわずかに――だが確かに変化していた。


 白のクイーンが、黒のキングに詰め寄っていた。


 チェックメイト。


 どこからともなく、冷たい風が吹き込んでくる。

 わずかに開いた窓。

 誰かがいた痕跡。そして、もういないという不気味な確信。


 私はしばらく盤面を見つめたまま、目を細める。

 やがてゆっくりと椅子に腰を下ろし、低く呟いた。


「……いつでも狙える、か。」


 静寂がその言葉を飲み込むように、部屋は再び音を失った。


ーーー



このラストを解説すると、敵CIA長官の家にボーンが忍び込んで、俺を追うなというメッセージを残したというラストに仕上げてみました。

どうでしょう?カッコいいのでは無いでしょうか?

小説的技法も活かされている気がします。




……要は何が言いたかったというと、ボーン・アルティメイタムの続編はもっと早く作って欲しかったって話です。

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