#7 唯一尊敬する愛人
倒れ込んだまま真っ赤なオレンジ色の空を見上げていた。声のする方へ視線を向けると、早樹がいた。早樹は倒れた態勢を直して歩み近付く。俊敏な右手でシャツの襟元を掴まれる。
「何、やってんだよマリン!!心配したんだよ!!」
彼女は涙ながらに怒気を発していた。両の目元にクマが残っていた。髪も普段よりボサボサと多少乱れている。ショートカットにしては艶のあるストレートが印象的な早樹の面影は随分遠のいていた。
「マリン家へ訪ねようと何十回もインターホン鳴らしたけど一向に出なくて、アパートの管理人に開けて入ったら居なくて、外に出て、2日かけて、探したんだよ!!」
「……2日」
「ああ!」
…………………。
長い沈黙がカラスの鳴き声と同時に流れてゆく。
ゆっくりと力を抜いてシャツの襟元を離す。
「……こんなの、あんまりだ」
早樹は悔恨した表情を自分に見せて続ける。
「こんな、死に行くマリンなんて見たくない」
彼女は紫色の痣にそっと手を添える。
「なあ、マリン。この呪いに抗う術はないのか?」
「………ない」
彼女は黙ってこちらの話を伺う。
「ないわ。……あの時直に鏡に触れて、呪いの発動条件から太古にいた鏡の持ち主、力の全貌は完璧に理解できた。けれども、なぜ、いつ作られて、呪いを生んだかまではわからない。そもそも呪いの対抗策なんて1600年経た現代でも編み出せる者は現れなかった。直接鏡に触れたあたしでさえね」
「………」
じっと目を合わせるだけ。
「……早樹。残念だけど、あたしの運命はもう決まったの。喩え今日こうやって死期を乗り越えられても、また数ヶ月したら現れる。無意識のうちに……ね」
あたしは続ける。
「だからあたしなんか優しくフォローせずに、自分の人生を歩んで」
「自分の人生はもう歩んでいるわ!万理がいないと私は!!」
彼女はハッとして続く言葉を自ら放棄した。
「あら。早樹はあたしのこと、好きだったの?」
「…グッ」
早樹は呼応して顔を赤らめる。
「……意外。ストレートかと思ったらレズビアンだったなんて。ふふふ」
「そんなこと今はいい」
「そう。でも、あたしはいずれ死に行く存在。どんなに今から愛を育んでも完全なる成就まで程遠いだけ。遅いだけよ。強いて言うなら、昔の恋人に会いたいわ。ごめんなさい」
彼女の赤面したピュアな表情は落ち込みになる。
「チェ。振られたか。……はあーあ。バイクから降りる万理を目にして初めて一目惚れしたんだけどな。勇気を出し駐車場で話しかけた割には、眼中すらなかったなんて。それも昔の相手を未だに意識していたとは」
「……ごめんなさいね。あたしはずっと彼を求めていたから。あの繋がった喜びは共通点の多い彼にしか味わえないから」
彼を頭に浮かび上がると家系図を連想した。重要な事実を思い出す。
「……いけない。彼には伝えなきゃいけないことが山ほどあるわ」
「………マジかよ。ここまでその彼に未練があったとは」
「ほんとにごめんなさい。それでも、貴女にはこれ以上ないくらい感謝している。この歳になって尚生き甲斐を見つけれた。そのきっかけを制作できたのは、廊下で初めて貴女を目にしたからこそよ」
「結果的にバイクをハマったのがか?」
うんと頷く。
「これも何かの運命。だからこそ、ここでお別れするべき。あたしだって貴女が傷つく顔を見たくない。まして死に行くあたしを最後まで見届けるなんて愚の骨頂じゃない」
両人に穏やかな風が吹く。草は音を立てて小刻みに揺れる。陰影が激しくなり、オレンジ色から薄い青へ滲んでいた。
「だから最後に」
そう言って彼女の顎を掴んで唇を交わした。早樹は虚を突い他のか目を見開いていた。柔和な唇が幸福感を満たしてくれた。唇を離し2人の間から少し唾液が垂れ落ちる。
「さよなら。あたしの唯一尊敬する愛人」
そう言い残して万理は田舎町の中心街へ去っていった。早樹は呆然と地に座ったまま遠くなるあたしを眺めていた。
「さよなら。万理」
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