第九節

 心地よい風が頬を撫で、枯木の香りが少女の鼻腔を擽った。


 ぼんやりと三人の訓練を眺め、ロザリオの銀を撫でたマリアンヌは若草を一枚千切り、風に乗せて空を見上げる。


 微動だにしない太陽、雲一つ無い青空、空間そのものの時間が止まったかのような練兵場……。朽ちた櫓が軒を連ね、枯れ落ちた木々も崩れることなく背を伸ばす世界は何処か異常に見えつつも、何故か安心感を覚えてしまう。


 「……」


 寂しげで、悲しくも、それを否定しない奇妙な感覚。


 胸を締め付けるような悲哀に満ち、空に浮かぶ太陽でさえ偽物であると思わせる違和感。それでも尚心は訓練場の風に安堵し、此処が自分の居場所だと微かに笑う。


 鳴り止まぬ剣戟の音が鼓膜を叩き、荒れ狂う魔力の振動が胸を打つ。


 ダァトが笑いながら剣を振る。術を掻き消す陣を張り、カウンターのように魔力を刻み影を成す。クロウとキーラの命を幾度となく奪い、身体を吹き飛ばし、四肢を断っては再び命を紡いで指導する。少年少女と視線を合わせ、父のように頭を撫でて。


 多分……恐らく、彼は自分の命に価値を見出していないのかもしれない。不死者であるが故に死ねず、命の使い方すら曖昧になってしまった自分が出来ることは、次代を生きようとする者を導くことだと思っている。


 どれだけ恐怖の感情を向けられようが、信用されなかろうが、ダァトという不死者は人間の皮を被り続けるのだ。笑顔の裏に悲しみを湛えながら。


 それが悲しいと思ってしまう。流れ出る涙を笑顔の仮面で覆い隠し、全てを焼き尽くそうとする激情を皮肉で押し潰す姿は余りにも虚しく、絶えず慟哭しているかのようにも見えた。


 まるで罅割れた剣だ。罅割れた刀身に炎を滾らせ、爆発寸前であるのに刃を保つ不自然な剣。冷えた鋼で身を包み、怒りと憎しみを力に敵を斬る呪いの凝固体。眷属(ストリゴイイ)に一切の慈悲は無く、協力的な不死者であろうとも必要であれば利用し尽くした後に最後に殺す。


 己はダァトという剣士を何も知らない。当たり前だ、一朝一夕で他人の本質を見破れる目など何処にも無いのだから。


 世界の流れについても何も知らず、其処に生きる人々にも興味をあまり示さない。出会いと別れに意味を見出せなかったのだから……仕方ない。

 「……」


 木々がざわめき、枝葉が揺れる。


 一際強い風が吹き、マリアンヌの髪をパラパラと吹き上げ、視界を白銀で覆う。


 「良い天気だね、えぇ……本当に」


 凛と透き通った優しい声が鼓膜を撫でた。


 「何だか凄く悩んでるみたいだけど……どうしたの? お話でも聞こっか?」


 真っ白い法衣を身に纏い、ベールで素顔を隠した少女がマリアンヌの隣に腰を降ろしていた。


 「誰ですか?」


 「あ、先ずそれを聞くんだ。あー……ちょっと意外」


 「意外?」


 「うん、だっていきなり話し掛けられたらビックリするでしょ? お前は誰だ! 何故此処に居るってね。いやーうん、逆に私の方が驚いちゃった」


 ケタケタと陽気に笑い「私ってさ、結構お人好しなんだよね。困ってる人を見逃せない的な? それやるぞーって!」器用に草を編み、緑の冠をマリアンヌの頭に乗せる。


 「それで」


 「ん?」


 「誰ですか? えっと……初めてお会いしますよね?」


 「ん! 現実を見てて偉い! お姉さんが花丸あげちゃう!」


 「……私と同い年くらいだと思いますが」


 「え? あ、あー……そうだね。私と貴女は同い年くらい……うん。なら十六歳ってことにしとこうか? だから敬語なんて使わない!」


 フンと薄い胸を懸命に張り、腰まで伸びた雪のように白い銀髪を掻き上げた少女は、


 「マリアルヌス・エルク=ヴィシュヴァルカン、それが私の名前なんだけど長いからマァルでいいよ! 貴女のお名前は?」


 マリアンヌの背中を思いっきり叩く。


 「いったぁあッ‼ 何するんですか⁉」


 「お、やっと心を表に出したね。うんうん、いいね!」


 「良いって……いきなり叩かないで下さい!」


 「ごめんね? ほら、あれ……なーんか暗いと思ったんだよね」


 「暗いって……別に私は」


 「何時も通りって言うつもり? あのね、女の子が悲しい顔してたら駄目だよ? 可愛いんだからちゃんと前向きな。そんなんじゃ捻くれた大人になっちゃうよ?」


 「そうなんですか?」


 「うん、多分ね」


 「多分って……そんな曖昧な」


 ごめんごめんと謝りながら、マリアンヌの背中に古代文字を記したマァルは銀の杖を振るう。


 「で、貴女の名前は?」


 「マリアンヌ……マリアンヌ・フォスです。マァルさんは」


 「なぁに?」


 「不死者なんですか?」


 ギョッと目を見開き、慌てた様子で両手をバタつかせたマァルは一呼吸置いて「違うよ、全然違う」マリアンヌの痛みを術を以て消し去った。


 「どうしてマリアンヌはそう思ったの?」


 「何だか……人間じゃないような、私とクロウ、キーラとは違う空気を感じたんです。何でしょう……此処に居るのに、此処には居ない。そう、時空固定陣に置かれた聖人の血杯みたいな……はい」


 「んー……当たらずとも遠からずってとこかな? えっとね、私は不死者でもないし、眷属でもない。あ、勿論魔族とか魔物でもないよ?」

 「じゃぁ」


 「ん、ストップ」


 マリアンヌの唇に人差し指を添えた少女はベールの下で頬を掻く。


 「マリアンヌはさ」


 「はい」


 「今苦しい? 辛い? 痛い?」


 「何ですかいきなり」


 「別に深い意味は無いよ? ただ聞いておきたいの。貴女がどう思って、何を感じて世界を見ているか。私はそれを知りたいだけ」


 「私は……」


 どう思っているのだろう。逡巡したマリアンヌはぼんやりとマァルを見つめ、その問いを胸の中で繰り返す。


 世界を綺麗と感じたことはない。当たり前だ、己は眷属(ストリゴイイ)が支配する村で育ち、薄暗い部屋の中で生きてきたのだから。


 「生きてみたいと、歩ける場所まで行ってみたいと、そう思ったんです」


 「うん」


 「多分……私は欲張りなんだと思います。何かを得られるのなら、もっと欲しいと思いますし、その為なら勝手に他人と自分の命を掛けてしまう。コルドリオさんと同じなんです。私は」


 誰かの命を踏み台にしてまで生きたいとは思わないが、より大きな何か得られるのならば次も自分の命を賭けてしまうだろう。


 だが、それを薄汚いとは感じられない。何も無いからこそ失うモノは無く、生きてさえいれば、今よりも多くのモノを手に入れることが出来ると理解しているから。それに伴う苦痛や苦難は些細なものであり、賭けのリスク程度にしか成り得ない。

 

 「その選択を続けていたら死んじゃうよ」


 「死んだらそこまで……終わりなんです。けど、勝ち続ければ生きられる」


 「貴女が死んで悲しむ人も居るんじゃない?」


 「どうでしょう……分かりません。少ししたらみんな忘れると思いますよ」


 「でも……彼は違うと思うな。ダァトは多分……泣いちゃうと思うよ」


 マリアンヌの空虚な瞳に炎が宿り、緋色の輝きが増す。


 「ダァトさんを知ってるんですか?」


 「まぁね、色々知ってるよ? 好きな食べ物とか、嫌いな人とか、どうして不死者になったのか……全部ね。けどまぁ、安心したよ。ちょびっとだけね」


 「あの、ダァトさんの呪いは本当なんですか? 私に似てた人ってどんな感じだったんですか? それと」


 「まぁまぁそう焦らないの! その質問の答えはさ……誰かに教えて貰うモノじゃないと思うだよね、私はさ」

 

 明るい声で声を制し、両手を握ったマァルはベールを捲り、片目だけをマリアンヌへ見せる。


 夕暮れ時を思わせる美しい緋色の瞳。目と目を向かい合わせ、二度マリアンヌの頭を撫でたマァルは白銀の宝玉が嵌め込まれたペンダントを握らせる。


 「貴女は他人に興味が無いワケじゃない。ちょっと視界が狭いだけなんだよ、きっと」


 「……そうなんですか?」


 「うん、私が保証する! それとさ……アドバイスがあるんだけど、いいかな?」


 「お願いします、マァルさん」


 「んー、最後まで敬語が直らなかったかぁ! まぁいいや、多分また会えるから!

 えっとね……どうか苦痛を恐れないで」


 「……」


 「生きても死んでも、苦しみは貴女の傍にある。それから目を背けないで。受け入れられないのなら、貴女だけの方法で戦ってね。苦しみを乗り越えて、痛みを抱えて、辛さを飲み込んだ分だけ貴女は“人として”強くなれる。これが私からのアドバイス! いいでしょ? この台詞」


 よっこらしょ———と、老人のようにゆっくりと立ち上がったマァルは暫しダァトを見つめ、後ろ手に指を組む。


 「……マァルさんは」


 「うん」


 「ダァトさんと話していかないんですか?」


 「そうだよ」


 「どうして?」


 「私が居たら邪魔になるだけだもん」


 「……あの、コレは」


 「あげるよ、もう私には必要の無いモノだから」


 「いいんですか?」


 「勿論! あ、その代わりなんだけど……一つだけお願いしてもいいかな?」


 法衣の裾を風に揺らした少女はベールの奥でニッコリと笑い、


 「ダァトを一人ぼっちにしないで欲しいな。彼ってば口が悪くてぶっきらぼうだけど、本当は誰よりも寂しがり屋さんなんだよ。だから……一緒に居て欲しい」


 声に悲しみを孕ませ、消え入りそうな声で呟いた。


 「……」


 「ごめんね? 勝手なことばっかり言ってさ。けど」


 「いいですよ」


 「……」


 「ダァトさんと一緒に居れば色々なモノを見れそうですし、知らないモノも知ることが出来る。マァルさんが心配しなくても……大丈夫ですよ」


 「……優しいね、貴女は」


 安心した……。一歩、また一歩と若草を踏み締め、クロウとキーラに指導するダァトの鼻先を突いた少女はマリアンヌへ微笑みを向け、


 「またね! 今度はもっと色んな話をしよう? マリアンヌ!」


 大きく手を振り、空気に溶けるようにして姿を消した。


 

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