第八節
血混じりの汗が額から流れ落ち、手の甲にポタリと落ちる。
殺されては瞬間的に蘇り、再び剣を握って立ち上がる。無造作に振り下ろされた凶刃を転がりながら避け、キーラと視線を重ねたクロウは剣を低めに構え、ダァトの攻撃を火花を散らしながら刃を以て滑らせた。
一撃でも食らったらマトモに剣を握れない。幾度となく剣ごと叩き潰され、頭蓋を割られた経験から少年は防御を捨て、回避と弾きに意識を集中させていた。多少の傷で止まる気は無い。死ななければ、まだ動ける。
徐々に……だが確実に生存時間が伸びている。剣筋に慣れたというよりも、相手の動きから攻撃の予備動作を察知する癖が形成されたと云うべきか。甲冑の軋み合わせ身体を半歩横にずらし、空気を斬り裂く突きを皮一枚で躱したクロウは身を屈め、キーラが放った火球を盾にダァトから距離を取る。
空気を喰らい、赫々とした熱を宿す火球が剣士を飲み込み焼き尽くす。拡散する魔力を再び手中に収め、体内へ循環させたキーラは腕を薙ぎ爆炎を払う。敵の死が確定していない状況で術の効果をそのまま残すのは悪手。幾度の死を体験した少女は術を紡ぎ、少年の剣へ炎を纏わせた。
「百点満点中、二十点だな。おいおい、そんなんじゃ赤点落第だぜ?」
古代文字の一単語を指先で描き、キーラの魔法を現象ごと断絶したダァトが涼しい顔で焦げた土を踏む。
「けどまぁ、初っ端の時と比べりゃちょびっとだけマシになったな。第一段階は……可ってことにしとくか? ん?」
「……なんちゅう化け物よ、アンタ」
「ご名答、お前等が相手にしてんのは怪物だ。他よりも優しい怪物だぜ? 俺ぁな」
ケタケタと笑うダァトの底は相変わらず見えやしない。彼は一度も本気で二人へ殺意を向けていないのだ。今だって無限に湧き出す魔力をキーラへ分け与え、疲れ果てているクロウには回復薬を投げ渡す余裕がある。
「クロウ」
「……はい」
「お前の武器は何だと思う?」
「剣……ですか?」
「違ぇよ馬鹿、読みと判断力だ。攻撃は最大の防御って言うがな、そりゃ真正面から戦える奴の戯言だ。お前の場合は逃げこそが最大の攻撃になる。何故だか分かるか?」
「……力負けして死ぬから。あと……僕が前に出過ぎればキーラの援護に回れない。違ってましたか?」
「正解だ、花丸をやるよ。それが分かれば上々。次、キーラ」
煙草を咥え、火を着けたダァトは静かに紫煙を吐きながら真紅の瞳を少女へ向ける。
「魔力制御は塵滓だが、威力と効果制御は上々だな。お前よ、一々術を唱えるんじゃねぇよ。もし敵が腕の立つ術師なら唇の動きだけで封じられるぞ」
「……」
「短縮詠唱を覚えろ。あと、術の効果上昇にゃ確かに感情を燃料にする場合もある。だが、お前の場合は感情だけじゃなく身体まで熱くなってんじゃねぇのか? いいか? 心は熱く、血潮は冷徹に……それが最高の術師ってヤツの条件だ」
心を燃やせば燃やす程に術の威力は上がり、延焼や爆風といった副次的効果も倍増する。だが、それに伴い魔力という精神と直結したエネルギーを燃料としている分、肉体もまた熱を帯びてしまう。
それはキーラとて理解している。昂る戦意に思考が乱れ、冷静さを失ってしまう欠点を自分が一番分かっている。だからこそダァトの言葉一つ一つに反骨の相が露骨に表れる。
何を当たり前なことをーーーと。
口で言うだけならば簡単なのだと。
鼻息を荒くしたキーラは拳をギュウと握り締め、鋭い目つきでダァトを睨み、奥歯を噛みしめる。
「けど、お前は見込みがあるよ」
「はぁ? ボロクソに貶しといて? どうせアタシはアンタみたいな」
「まだ折れちゃいねぇんだよ、お前はさ。普通なら無理だって言って諦めるし、勝てねぇ相手には媚びて
笑顔を顔に貼り付けたまま椅子に腰掛け、血罪剣を鞘に収めた剣士は煙草を握り潰す。皮膚が焼ける嫌な匂いが二人の鼻腔を擽った。
「色々言ったが、及第点だ。”優秀な弟子に”ご褒美をやるよ……第二段階だ」
瞬間、高濃度の殺意が甲冑の隙間から靄となって吹き出し、二人の心臓を破裂させる。
「殺意に慣れろ、不死者は甘くなんざねぇ」
即座に心臓を修復し、脂汗を流しながら息を詰まらせるクロウとキーラを見据えたダァトは口角を歪ませる。その表情は正に獲物を狙う獰猛な肉食獣……否、不死者特有の狂気。
「どうした? 来ねぇのか? おいおい、この程度でビビってたらなぁんにも出来ねぇぞ? 剣を持て、術を唱えろ、俺を殺すつもりで来い。そうしなきゃ」
無意味に死ぬぜ? ゆっくりと立ち上がり、市販品の鉄剣を闇の中から抜く。何の変哲も無い鉄剣である筈なのに、二人にはダァトが持っているだけで万魔の秘宝に見えてしまう。
「キーラッ!!」
「分かってる!」
剣を覆う炎が轟々と燃え上がり、炎刃を成す。ダァトとの距離を測り、掌に汗を滲ませたクロウは振り下ろされた一撃を刃で滑らせ歯を食い縛る。
「僕が前に出る! 君は術に集中してくれ!」
「お喋りとは呑気だねぇ、言っとくがこれでも全力の一厘程度だぜ? それと、足元に注意しな」
「は……ッ!?」
「クロウ!」
炎が消え、地面が赤熱して爆発する。土埃の奥に真紅の瞳が照り輝き、指先が文字を綴るとキーラは右手で罅割れた文字を綴り、左手を振るうとクロウを側に引き寄せる。
「へぇ……面白い」
感心したように文字を握り砕き、剣を地面に突き刺したダァトは「抗えよ、キーラ……いや、魔術師!」影の杭を地中から射出した。
「クロウ、時間を」
「任せろ!」
杭と剣士の動線両方を視野に入れ、剣を構えて突撃してくる凶剣に息を呑む。
最優先事項は勿論ダァトただ一人。圧倒的強者を無傷で迎え撃つことは不可能と判断し、杭を打ち落とす技量も無い。刹那の間で思考を纏め、最も合理的かつ一矢報いる方法を選び取ったクロウは、
「———アァああッ!!」
右腕を半分まで斬り裂かれながら前進し、ダァトを杭の盾とする方法だった。
「キーラアァあッ!!」
右手の文字へ魔力を注ぎ込み、たった一文字……焔の字を書き込んだキーラは左手を握り、クロウを引き寄せる。
「———マジかよ」
驚愕の色を浮かべた剣士は満面の笑みを浮かべ、超高圧縮された炎球の直撃に備える。太陽を超える一瞬の閃光の後、大地を揺るがす爆炎が鼓膜を貫き術者諸共吹き飛ばす。
眼球が焼け爛れ、腕や足も片方ずつ千切れて転がっていた。浅い呼吸を繰り返すキーラは炭化したクロウを見つめ、最後の魔力を振り絞り術を紡ぐ。
「———」
搾り滓程度の光球が指先に灯り、熱風に揺れる。襤褸雑巾のような身体には最早戦う力は残っておらず、死へ向かう心は魔力を生み出す力さえ無い。必死に身体を引き摺り、クロウの傍に横たわったキーラは焦げた大地を進むダァトへ掌を向ける。
「驚いたよ、本当に」
砕けた鉄剣を放り投げ、水色の液体が入った小瓶をポーチから摘み出したダァトはキーラの口を無理矢理開き、液を流し込む。
「見よう見まねとはいえ、文字魔術を模倣する奴が居るたぁな……。世界は広いね、全く」
「———文字、魔術……?」
「そ、とうの昔に失われた戦争術式。少し待て、クロウを治す。話はそれからだ」
血罪剣を抜き、地面に陣を描いたダァトは古代文字を宙に刻み、炭と化したクロウを丁寧に蘇生させる。皮膚が肌色へ戻り、斬り裂かれた腕もまた一本へ、それはまるで時間を逆再生するかのような世界の理に歯向かう様相。
「———ッ⁉ キーラ! 僕達はッ⁉」
起き上がると同時にのたうち回るクロウを影が抑え込み、キーラが飲み下した液体と同じモノを口へ突っ込まれる。
「落ち着けよ、舌ぁ嚙み切るぜ? キーラは……普通の術でいいか。炭になっちゃいねぇしな」
直接キーラに文字を描き、欠損した部位を繋ぎ合わせたダァトは心底嬉しそうに手を叩く。少年少女を祝福するように。
「文字魔術ってなによ……! アンタのは古代文字じゃないの⁉」
「勿論俺のは古代文字さ、もうテメエ以外に知る奴ぁいないけどな」
新しい煙草を口に咥え、二人と同じ地面に座った剣士は逡巡するように黙り込み、適当な文字を宙に書き込むと小さな火を顕現させる。
「キーラ」
「何よ!」
「今のを見てどう思った。論理的な解釈なんざ要らねぇ、お前が感じたことをそのまま言葉にしろ」
それは———。口を閉ざしたキーラが空中に揺蕩う火をジッと見つめる。
火に魔力は無い。そこにあるのは術が発動されたという結果があり、魔力はもっと別の場所……火の奥にあるように感じたのだ。
「……火があるだけ」
「他には?」
「何て言えばいいのか分からないけど……そこにあるだけなんじゃないの? こう……絵を置いただけ……出来物を直接引っ張り出した感じ? あぁもう! 意味わかんない!」
「当たってるぜ? その考察」
「はぁッ⁉ どういう意味⁉ ハッキリ教えなさいよ!」
「キーラ、絵を書くには何が必要だと思う?」
「そりゃ絵具と水と、紙でしょ? 馬鹿にしてんの?」
「そうだ、文字魔術ってのぁ魔力を絵具にして、世界っていう紙に術の絵を書くモンだな。例えば……俺ぁ今、火の文字を世界に書いて術を発動させた。そんで、お前は焔の文字をテメエの心から引き出して書いた。単純なんだよ、実際は」
二つの文字を指先で描き、判別不可能な文字に流水、世界共通文字でつむじ風を発動したダァトはクツクツと笑いながら少女の頭をグリグリと撫で、
「古代文字だとか共通文字だとか関係ねぇ。魔術ってのぁ結局テメエの心持次第で幾らでも姿を変えんのさ。高塔お偉いさんがどれだけ御高説を垂れようが、宮廷魔術師が的外れな理論を喚こうが、人の想いには絶対に勝てやしねぇ」
鋼に包まれた拳がトンとキーラの胸を叩き、その親指が剣士の胸へ向かう。
「だから言ったろ? 最高の術師ってのぁな……心で戦うんだよ。どれだけヤバい状況でも、絶対的な強者を前にしても……想いだけは捨てちゃいけねぇのさ。お前にゃクロウが居る。背中を預けられる男が剣を持って戦ってくれる。だから」
死なば諸共なんて思うなよ? “二人”で生きてこそなんだ。
木陰で訓練の様子を観察していたマリアンヌを見つめたダァトは、頭を掻くと静かに笑った。
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