第3話 筆の先にあるもの

夜の灰彩の村は、風もなく静まり返っていた。小さな焚き火の明かりだけ鈍色の建物の影を揺らしている。エイルはその火の傍らで筆を構え、対面に座る少年に優しく声をかけた。


「ロウくん。……少しだけ、私の筆を見てくれませんか?」


ロウと呼ばれた少年は、膝を抱えていた。うつむいたまま、だが少しだけ視線を上げる。金の瞳が、炎に揺れる。


「また……色を出すの?」


「はい。ただし、これはあなた自身の色を探すための筆です」


エイルの声は、焚き火よりもやわらかく、静かに響いた。そして筆をそっと地面に滑らせると、淡い光が生まれた。地面に咲いたのは、小さな金彩の花の模様。


「……綺麗、だけど……どうせ消えるんでしょ」


ロウはぽつりと呟いた。その声音には、あきらめにも似た静けさがあったが、どこかで何かを期待しているようにも聞こえた。


「ええ、すぐには定着しません。けれど、今夜--あなたから、確かに金の色を感じました」


「感じただけ、じゃ……それが僕の色だって言えるの?」


その反論に、エイルは静かに首を振る。


「ですから、一緒に確かめてみましょう。もしよければ、少しだけ……思い出してみてください」


彼女は地面に封彩の円を描き始めた。筆の動きは迷いなく、円の中心に細かな葉の紋様を描くと、ふわりと彩が灯る。


焚き火の中心に、幻のような光が立ち上った。


--金色にゆれる麦の穂。

--草をかきわけて走る小さな影。

--誰かに呼ばれる、あたたかい音。


「や……やめて……!」


ロウが声を荒げると同時に、幻は掻き消えた。しかし、彼の手のひらからこぼれた光--それは確かに”金彩”の輝きだった。

エイルはそれを、まっすぐ見つめる。


「……それが、あなた自身の彩です」


ロウは黙って自分の手を見つめていた。火の粉が静かに昇っていく中、彼の唇がかすかに動く。


「……ほんとに、僕の……」


「はい。失われてはいません。あなたの中に、ちゃんと残っていたんです」


その言葉に、ロウの肩が少しだけ緩んだ。

金の光は、彼の手の中でまだ微かに輝いていた。

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