第2話 色を拒む理由

 夜が村を包み、あたりは灰と闇が溶けあったように静まり返っていた。風も止み、色彩のない世界は、まるで時間すら凍ってしまったかのようだった。


 エイルは、囲炉裏の残り火で湯を沸かしながら、ふと筆を撫でた。ロウと出会ってから数時間。彼はそれ以上、何も話さなかった。納屋の隅、古布に包まって横になる少年は、起きているのか眠っているのか分からない。エイルは茶を注ぎながら、穏やかに声をかけた。


「……寒くありませんか?」


「……別に」


くぐもった声。だが返ってくるだけ、まだいい。エイルはその言葉に、少しだけ微笑んだ。


「お茶、飲みますか?何も混ぜていませんよ。彩も術も」


沈黙。しばらくして、ロウが小さくうなずく。エイルは湯飲みを差し出し、彼のそばに腰を下ろした。


「ねぇ、ロウ。あなたは……いつから”灰色”になったのですか?」


問いに、少年の指がピタリと止まる。


「--知らないよ。気づいたときには、もう。”あいつは灰だ、目障りだ”って、村中の奴が言ってた」


「家族は……?」


ロウは顔をそむけた。


「親なんか、とっくにいない。僕は”灰の子”って呼ばれて、誰にも触れられずに育った」


その声には、怒りでも悲しみでもなく、ただ--空っぽな乾きがあった。


「じゃあ、誰も”君の色”を見ようとしなかったんですね」


エイルは空を見上げた。夜の空すら灰に覆われ、星も見えない。


「私の師匠は、言いました。”色は、その人の意思が触れたとき、初めて輝く”って」


「意思……?笑えるね。僕にそんなものがあったら、とっくに逃げ出しているよ」


ロウはそう言って、湯飲みをぐっと傾けた。エイルは筆を抜き、手のひらに広げる。


「ねえロウ。ひとつだけ、私に試させてもらえませんか?」


「また?……色を、僕に見せるってやつ?」


「ううん。今度は逆です。あなたの”灰”を見せて下さい」


ロウが顔を上げた。目を見開いている。


「筆は、色を描くだけじゃない。--”視る”こともできるんです。私が、あなたの色を勝手に決めるんじゃなくて……あなたの心にある色を、見せてほしい」


エイルは、筆の先を自らの掌へ向ける。空気がわずかに震え、筆先から淡く緑が滲んだ。だが、それはエイルの色ではない。


彩読さいどく……」


そう呟いたのはロウだった。


「知ってたんですね」


「前に来た彩術師が使ってた。けど……”灰しかねぇ”って言って帰ったよ」


エイルは微笑んだ。


「私が視たいのは、もっと深いところ。……あなた自身も気づいていない、混じり気のない”核”の色です」


彼女は静かに筆を振るうと、空中に柔らかな彩が散った。


灰に微かに混じる、淡い金の粒子。


エイルは目を細める。


「……あなたの中に、”金彩”が残ってる。とても小さくて、弱いけれど、確かにある。……これは、誰かを守りたいと願った人にだけ宿る色」


ロウは絶句していた。自分の胸元を見て、顔をしかめる。


「バカな…そんなもの、僕が持っているはずが……」


「もしかして、あなた……この村を、守ろうとしていたことがあるんじゃないですか?」


「……!」


ロウの背中が震える。


--あの日。

村の子どもが、無彩に染まる花に触れようとした時、ロウは身を挺して止めた。その時、自分

の手から色が奪われ、灰が広がった。村人たちはそれを”呪い”と呼び、彼を村から追放した。


「……あれは、僕が悪いんだ。僕が近くにいたから……!あいつが色を奪われたのは、僕のせいなんだ!」


ロウの拳が震える。エイルはその手を、そっと包んだ。


「あなたは色を失ったんじゃない。自分の色を、”封じてしまった”だけです」


「封じた……?」


「だから、私は描きます。あなたの意志が戻って来るその日まで、何度でも、何度でも」


エイルの筆が、宙を滑る。その軌跡が、ロウの灰に、小さな金の光を灯した。

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