灰色の少年、彩を知る時ーー継がれゆく彩術の系譜
福宮アヤメ
灰の少年、彩を拒む
第1話 灰に埋もれた村
風が吹くたび、空は灰を震わせた。
一昔前、”碧の麦畑”と呼ばれたこの地は、今では色褪せ、灰と枯れ草しか残っていない。
その村のはずれに、ひとりの少女が立っていた。
長い黒髪をひとつにまとめ、腰には筆。旅装束の裾は乾いた泥にまみれ、汚れていた。それでも筆だけは、丁寧に布で包まれている。
「……ここが、”灰の村”」
エイルは地図を畳み、村の入り口に目をやる。空も大地も、建物も人々の顔も、どこまでも色を失っていた。生きているはずなのに、彩がない。それは自然な衰えではなかった。
「ーー術で抜かれてる、か」
ポツリと呟いたとき、背後から静かに風が吹く。風とともに、老いた声が耳を打った。
『感じたか、エイル』
懐かしい声。エイルは微かに目を伏せた。
「……師匠。やはり……まだ、そこにいらしたのですね」
『”いる”とは言えんな。今こうして声だけを残しているのも、封彩の余波に過ぎん』
エイルの師、ゼン。
己の身を術で封じ、姿を消して五年。だがときおり、こうして”声だけ”が現れる。
「ここには、”色を持たない子ども”がいると聞きました」
『”持たない”のではなく、”持てなかった”だけだ。何かを拒むようにな』
ゼンの声はどこか寂しげだった。エイルは静かに、腰の筆に手を添える。
「……私は、その子に会いたいのです。もしその子が、彩を拒んでも。筆を通して、触れてみたい」
『迷いはないのか』
「ありません。師匠が筆を託してくださった日から、私はずっとこの答えを描いてきましたから」
風が止み、声もまた消えた。それがゼンの流儀だ。多くを語らず、ただ背を押す。エイルは村の奥へと歩き出した。
やがて、瓦が崩れかけた納屋の陰から、微かな気配を感じた。エイルは足を止め、藁の山にそっと声をかけた。
「……あなたが、ロウ?」
そこにいたのは、少年だった。
髪も目も、服も肌も、すべてが灰のような色だった。顔立ちは幼いにもかかわらず、その瞳は、年齢以上の冷たさが宿っていた。
「……なんだよ。あんたも”色持ち”か。なら来ないでよ。汚れるよ」
「……あなたに、会いに来たのです。私は、エイル。彩術師です。……筆の術を使います」
少年ーーロウは露骨に顔をしかめた。
「筆?バカじゃないの。僕に色なんてないし、いらない。最初から灰色で、生きてるだけで嫌われる。だからって、今さら何か描かれて、変わるわけないでしょ」
ロウは足元の石を手に取り、投げつけてきた。エイルは避けず、それを胸で受けた。
「……痛くはないですよ。でも、できれば……話を聞いて欲しい」
「うるさい!消えろ!僕はずっと灰のままでいいんだ!」
怒鳴る声。だがその声の奥に、震えがあった。
「……”ずっと灰でいい”って、それは本当に、あなたの本心ですか?」
エイルはゆっくりと筆を抜いた。だが、何も描かない。ただ空へ筆を向けた。筆先から漂うのは、淡い金の気配。それは術ではない。彩の源を、”ほんの少しだけ、見せる”筆づかい。
「私の筆は、強くありません。無理に色を与える力なんてありません。でも……彩を選ぶのは、あなたです。だから……教えてください。本当は、どんな色が欲しかったのか」
ロウの肩が、微かに揺れる。
だが、少年は何も言わずに、ただエイルの筆を見つめていた。
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