第2話

昼過ぎの陽射しが、アスファルトの色を白くぼやけさせていた。
坂道を下る途中、遠くで蝉の声が鳴いているのが聞こえる。風はほとんどない。

祖母に頼まれた買い物袋を右手に、僕は古い商店街のアーケードを通り抜けた。
その途中、ふとある看板に目が留まった。

《ゲームパーク MAX-1》

駅前の、二階建ての古びたビルに掲げられたその看板は、色がすっかり褪せていて、見過ごしてしまいそうなほど地味だった。
でも、その名前だけは、はっきりと記憶に残っていた。

中学生の頃、一度だけ友達と入った。
UFOキャッチャーに300円を飲まれて何も取れず、しょんぼりとアイスを買って帰った。

それだけの出来事だったのに、なぜかよく覚えている。

「.....まだあったんだ」

つぶやいた声は、自分の耳にだけ届く。

正直、入るつもりなんてなかった。

ただ、懐かしさと、いくつかの“間”が重なって、足が止まった。
暑さのせいか、それとも何か別の理由か、自分でもよくわからないまま──僕は、ドアを引いた。

店内は薄暗くて、冷房は弱く、古い筐体の放つ熱と音が空間にこもっていた。
埃っぽい空気。

べたつく床。

乱雑に貼られたイベントのチラシは、半分以上が期限切れだ。
でも、そのすべてが、妙に落ち着く。

記憶の中と、何も変わっていなかった。

「.....こんなだったな」

機械の音に包まれながら、ゆっくりと一列ずつ筐体を見て歩いた。
格闘ゲーム、リズムゲーム、レースゲーム、UFOキャッチャー──どれも懐かしい。

そして、店の奥。
ぽつんとひとつだけ、稼働しているレトロゲームの筐体の前に──見覚えのある後ろ姿があった。


灰色のTシャツに、ベージュのワイドパンツ。
髪はひとつにまとめられ、足元はサンダル。
緩やかな姿勢でスティックを握るその後ろ姿に、思わず声が漏れた。

「.....ステラさん?」

振り返らない。

けれど、僕の気配を感じ取ったのか、スティックを動かしながら彼女は言った。

「おぉ、悠真くんやん。ええとこ来たなあ」

ごく自然に言われた一言に、僕の思考が一瞬だけ止まった。

なぜ彼女がここにいるのか。
昨日あんなことを聞かされたあとで、どうしてまた“普通に”会うことができるのか。

ステラの手元の画面を見ると、映っていたのは──インベーダー・ゲーム。

グリーンがかったモノクロの画面。
音程を変えながら近づいてくるインベーダー。
チュンチュンというショット音と、ピポピポという低音の不協和音。

「まさか、まだ動いてたんですね.....この筐体」

「そやなあ。こいつはうちが最初に触ったゲームのひとつやから、特別なんよ」

「え? 最初に.....って」

「うん、あの頃はな、喫茶店にこれ置いててん。テーブル型の筐体で、コーヒー飲みながら遊ぶんや。めっちゃ流行っとったで」

さらりと言われた一言に、僕は思わず固まった。

「.....それ、実際に見てたんですか?」

「ん? ああ、見てたで」

ステラは操作の手を止めずに、続ける。

「100円玉があっという間になくなってな。日本中の喫茶店で、どこも両替足りひんて大騒ぎやった」
「銀行が硬貨集めに動いて、警察も困ってたわ。悪ガキがゲーセンでカツアゲしたり、景品欲しさに強盗する事件も多なってな.....」

「.....そんな話、聞いたことあるけど……ステラさん、なんでそんなに詳しいんですか?」

 「ふふふ……“うちは長生きやさかい”って言うたやろ?」


彼女は軽く笑って、インベーダーを一列ずつ、正確に撃ち落としていく。

「あとな、これは真似したらあかん話やけど──針金使ってコイン投入口をいじる悪い子もおってな。


ガチャッてやるとカウントだけ入って、金入れんでもプレイできる裏技。ほんまアホな時代やで」

「....それ、実際に見たんですか?」

「良い子のみんなは、真似したらあかんで〜!....って、うちは当時も言うてた気がするわ」

ふざけた調子で言ったその言葉に、僕はかすかに笑った。


だけど、同時に胸の奥に引っかかる何かもあった。


──笑っていいのか、わからない。

僕だって、子供の頃にこのゲームを少しだけやった記憶がある。


母に手を引かれて立ち寄った、田舎のスーパーの片隅のゲームコーナー。
 

100円玉を一枚入れて、すぐにゲームオーバーになって、泣きそうになった。

それだけの、ぼやけた記憶。


でも、ステラさんの話は、それとは比べものにならない“現実感”を持っていた。

歴史を知っているんじゃない。


そこに“いた”人の語り口だった。


「おっ、これまだ動いとるんか....懐かし〜」

ステラが足を止めたのは、奥まった場所に設置された大型筐体。


独特のコントローラーがついたそれは、かつて一世を風靡したロボット対戦アクション『電脳戦士バーチャルロボ』の対戦筐体だった。

「やったことあるか? 悠真くん」

「....ちょっとだけ。中学の頃、友達と」

「あらま、ええやん。対戦しよか。うち、レッドウォーリアな」

「えっ、いきなり!?」

「初心者向け機体でどうせ来る思たから、うち火力で叩き潰すわ〜。さあ、かかってきぃ!」

半ば強引に席へと促される。隣に座るステラは、もうスタートボタンを連打していた。


キャラクター選択画面。
 

僕は、青と白を基調としたロボット“ブルーナイト”を選んだ。


動きは軽く、操作もオーソドックス。昔から使いやすさだけで選んでいた機体だ。

 対するステラの機体“レッドウォーリア”は、重火力の極地。


ビームキャノンを2門も搭載し、一撃の威力は圧倒的だが、機動性は犠牲になっている。

「うち、この機体で全国大会出たことあるからな」

「何者ですかあなた」


試合開始のカウントが鳴る。

3……2……1──バトルスタート!

ブルーナイトが軽やかに滑るようにステージを駆ける。


レッドウォーリアは歩くたびに重厚な着地音を響かせ、砲身をこちらに向けてきた。

──どんっ!

試合開始直後、レッドウォーリアのチャージショットが炸裂。


画面の端から巨大な光の柱が走り、僕のブルーナイトが即座に吹き飛ばされた。

「うわっ、速っ!」

「甘いな。撃たれる前に撃て。それがレッドの哲学や」

「そんな禅問答みたいな格言ありましたっけ!?」


指先に集中しながら、スティックを駆使して機体を動かす。


いつの間にか、僕は無言になっていた。

敵のロックオン、チャージタイミング、ステージの起伏──すべてが身体に染みついているような感覚。


昔よくやったはずなのに、指が勝手に覚えているのが、不思議だった。

「おっ、ええ動きやな。よう見とる」

「うるさいです....今、集中してるんで!」

いつの間にか、本気になっていた。

うまく距離を詰め、斜めから一閃。

ブルーナイトのサーベルが、レッドウォーリアの装甲を斬り裂いた。

「うお、やるやん!?」

「やりましたッ!」

ステージクリア。1本取り返す。

隣のステラが、心底楽しそうに笑っていた。


最終ラウンド。


お互いに体力が残りわずか。

息を詰めるような数秒の駆け引きのあと、
僕のミスで回避がわずかに遅れ、レッドウォーリアのチャージキャノンが直撃した。

画面がホワイトアウトし、敗北の文字が浮かぶ。

「やっぱ強いですね....」

僕が肩を落とすと、ステラはぽつりと呟いた。

「....でもな、悠真くん。なんや、やっぱ昔のまんまやなって思たわ」

「え?」

「顔は大人っぽうなっても、“夢中になったときの目”は、まったく変わってへん。


そんときだけは、ちゃんと“今”におるんやな、って感じする」


ふと、呼吸が深くなった気がした。

何も考えずにゲームしてた時間は、たしかに....楽しかった。

ステラの言葉が心に残る。


“夢中になったときの目”。


それが、昔のままだというのなら──

「....変わったつもりだったんですけどね、僕」

「ふふ、それでええんよ。全部変わる必要なんて、ないんやから」


「よっしゃ、勝った勝った!」

ステラは両手を伸ばして軽くストレッチしながら、にこにこと笑った。
 隣の筐体に手を置いて、カツンと爪でノックするような癖も、どこか昔っぽい。

僕はというと、軽く肩で息をしながら画面を見つめていた。
 悔しい。でも、面白かった。すごく。

「なあ悠真くん、これ行こか」

そう言って、ステラが向かったのは、ゲーセン入り口横に設置された古びたUFOキャッチャーだった。


中には、妙に間抜けな顔の動物っぽいぬいぐるみがいくつも詰まっていた。


クマかと思えば耳が長く、ウサギかと思えばツノがついている。

何の生き物なのか、判断に困る。

「な、これ。なんなんですか....」

「“オルバさん”言うねん。うちも詳しいことは知らんけど、昔ちょっとだけ流行ったらしいで。


ほら見て、うっすらタグに“オルバ県観光協会”って書いとる。どこやねん」

ステラは100円玉を1枚投入し、スッとクレーンを動かす。


アームの動きが迷いなく、慎重で、そして正確だった。

カチッ。

「よし、落ちた」

1プレイで、“オルバさん”がクルッと転がって落下口に入った。


「.....また一発で」

「コツや、コツ。あと、重心と摩擦係数」

「物理でUFOキャッチャー語らないでください」

ステラはぬいぐるみを拾って、僕の手のひらにポンと置いた。

「はい、今日の記念品。勝負の証や」

「負けたの僕ですけど.....?」

「でも、ちゃんと勝負したろ? うちはそういうん、ちゃんと残すんが好きなんや」

ぬいぐるみは、綿の偏った安っぽい感触がしたけれど、
その重さは、妙に心地よかった。


店を出ると、夕方の風がすこしだけ冷たく感じた。

蝉の声は遠のき、空の端に淡い橙色が広がり始めている。
 

ステラと並んで歩く帰り道は、沈黙が多かった。でも、不思議と嫌な静けさではなかった。


 「....今日、ありがとうございました」

 ぽつりと僕が言うと、ステラはちょっとだけ驚いた顔をした。

 「どしたん、急にかしこまって」

 「なんか、久しぶりに“時間を使った”気がして....」

 「ふふ、ええこっちゃ。ちゃんと時間使える人は、ちゃんと生きとる人や」

 その言葉は、軽く聞こえたのに、やけに深く刺さった。


「変わったと思ってたんですよ、僕。
でも今日、一番集中してたのは──やっぱ、ゲームのときで....」

「それでええやん。変わらんとこ、大事にしたらええんやで」

ステラは、そう言って前を向いたまま歩いた。


ふたりの影が並んで、少し伸びていた。
手には“オルバさん”のぬいぐるみが、ぶら下がっている。

あいかわらず何の動物かはわからないけど──

今日は、なんとなく手放したくなかった。


ステラさんが何者なのか、まだちゃんと理解できていない。
昨日、あんなことを言われても、信じ切るには時間がかかる。
でも──

“この人と一緒に過ごす時間が、たしかに僕の心を動かしている”

それだけは、きっと間違いじゃないと思えた。

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タイトルはまだ決まっていません!(仮名) Mr.シルクハット三世 @btf0430

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