31話:名探偵は推理する
あいにく、忌々しく憎々しい最良の友人はいま不在だ。
私の荒野に荒野はおらず、得体の知れないものだけが我が物顔で鎮座している。
やつはまるであなたの問題は私しかいないと宣言するかのようだ。
いや、まるで、ではない。
私が対峙すべき問題はまさしくやつしかいない。
状況からすればやつは私の感情である。感情を論理的に考えることなど無益だ。一般論として。
しかし、いいだろう。私ならできる。
私はこの荒野に立つ邪智暴虐な王である。
この鴫沼住春が自身の感情程度に屈するのは、宮田に言われなくとも私自身が許さない。
極限まで解像度をあげなければならない。
空気まで含めて残らず思い出すのだ。
感情? エモーション? ハッ。っていうこのスタンス。
感情ごときにおそれをなすなど、鴫沼住春がすることではない。
順を追って整理するにはまず細切れにしてアンカーをおくことだ。
しばっさんが朝部室に入ってきてから、さっき職員室に行ったところまでを時系列にそって分割するのだ。
15%の位置。
最初、やつがあらわれたのは宮田が来たあとだ。
名前を持たないものが荒野にふといた。
我ながらよく見つけたと思うほどの存在の希薄さだった。
ただし、ほとんどいないに等しかったことを考えれば、ここから推測するのは賢明ではない。手がかりがなさすぎて、いかようにも推測できる。
ここをただの「始点」として事実を確認しろ。過大評価も過小評価もしてはならない。
「熱烈歓迎、推理時間!」などという不快な横断幕は着目に値しない(不愉快ではあるが)。
OK、15%のとき、そこにやつはいた。
つぎは18%。
補強材料を私が初めてあいまいに濁したときだ。
これを私はやつの影響だと認識している。荒野で謎どもが騒いでいたからだ。
つまり、やつは補強材料の開示に関わっていることを私は知っていた。
30%あたり。
ここでも荒野のものどもは私の感情について騒ぎ立てている。
安賀多先輩の「ご配慮いたみいるよ」という発言に反応したものだ。
この私が依頼者に配慮と認識できることをしてることを指摘したかったのだろう。そして、のちのちを思えば、これは明確に配慮ではあった。
やつは直接なにかを言ったわけではないが、「配慮」についてはキーワードのひとつだ。
それから『教師の隠しごと』のディテイルを半分ほど明示しきった。
ここではとくに騒ぎ立てていないことから、『教師の隠しごと』自体にはやつはほとんど関係ないことがわかる。
謎どもが騒ぎ立てたのは、私の態度についてであって、『教師の隠しごと』の前半ディテイルについてではない。
40%。
すでに『捨てた』のディテイルに移っている。
やつはなにも言っていないが、我が友人荒野は私のフェアネスに疑問をいだいている。
どうやらフェアネスはやつとは相性が悪いことが端的にわかる。
もちろん、確認などせずとも自明だが細かな作業を怠ってはならない。
そして、45%のところだ。
今日最初の山場であろう。
私が私を犯人だと自覚したところである。
補強材料を秘匿しているのが私自身の意志であることが圧倒的にあきらかになった。
安賀多先輩がどう思うかは私にはわからないのに、私は隠すことにしたのだ。
だれにもなにも言われていないし、だれからもなにも読み取っていないのに、私は情報を隠した。
私は犯人だ。ではなぜ私は情報を隠すのか? 典型的ホワイダニットである。
いいだろう。
私は自分でも目的を言語化できていないにもかかわらず、なぜか補強材料を隠した。
そこからの10%は我ながら醜悪である。
すでに補強材料のことしか考えていない。やましいことがあるものだから、混乱し、推論を外し、判断を迷った。
保険などと言いながら、そのじつスクラップの開示はほぼ補強材料の開示と考えていたということだ。
挙げ句のたまったことばがこれだ。
「ベストはまったく見せないことだったという可能性があることに目を瞑れば、ここしかないですね」
醜悪にもほどがある。
情報をコントロールしているのは探偵である私のほかにいないのに、こともあろうかべつの選択肢の優位性を口にしているのだ。
唾棄すべき愚行だ。
いや、いまは私を責めても無益である。いま私がしているのは整理だ。いいな?
45%から55%の経緯を考えて、100%まちがいなく「補強材料の秘匿」がやつに強く関連している。
「配慮」「補強材料の秘匿」。
いいだろう、半分をすぎたが整理は順調だと言える(不愉快で恥辱ですらあるが)。
60%。
『教師の隠しごと』のもう半分が終わる。このあいだは私もふだんどおりと言えるだろう。
『教師の隠しごと』はまったくと言っていいほどやつには関係ない。ないことがわかるというのは気分がいい。
それゆえ、その直後、早瀬莉子を待つあいだとのコントラストが激しすぎる。
気分は最悪だ。
62%あたりからの私の推論の無様さ思えば、『教師の隠しごと』のなんと平穏なことか。
私はこのあたりでやつの正体について「淡田彗星への嫉妬」というオカルティックな推論を展開している。
もはや噴飯ものである。
根拠薄弱、恣意的解釈、反証無限大。もはや、この推論をするということが、私の崩壊である。
いかな異様な展開を迎えていたとしても、自身が破綻していては謎など解いている場合ではない。
私には危機感があまりに足りなさすぎる。まるで自衛機能がない。機能しろ、防衛機制。
もちろん、ここまでのあからさまなペテンは私自身には通用しなかった。
「嫉妬」などであるはずがないと私自身に否定されることになるが、そのあいだの滑稽さは思い出すのも苦痛である。
手抜かりがあってはならぬので思い出しはするが。
この滑稽な私の早瀬莉子とのやりとりが、結果的になんとか成立したのは早瀬莉子に助けられたと言えるだろう。
「これでまたふりだし。児戯だね」とやつは言ったが、それは全面的に正しい。
「嫉妬」などという仮説は推論とも呼べない児戯だ。
ただし、一部はやつの正体に近しいということも感じはした。それを思うとわずかばかりペテンは成功したのかもしれない。
キーワード、「嫉妬」。
その後、73%の位置で事態は大きく変化する。
――安賀多瀬名がそのようにして自分を騙すことは、私にとってかぎりなく避けたいことがらだ。
という私自身の心情を言語化してしまったからだ。
私は他人であり、気持ちがわからない安賀多先輩に解釈を強制しようとしているのだ。
早瀬莉子にも指摘されたが、「そうだね。きみが本来判断することじゃないね」とやつが言うように、そんなことは私の範疇ではなかった。
この心情の言語化は、秘匿のホワイダニットに大きく寄与することがあきらかだ。
後悔はある。言語化などすべきではなかった。そのあとの私はなんの手段も持たないただしゃべる人間だった。
私はあきらかに早瀬莉子に感情を読み取られ、淡田彗星のミステリについて質問され、当たり前のように詰んだ。
もはやオーバーキルとも言える騒ぎ方を謎どもはしていたが、私が私の責任で詰んでいるのだから仕方がないとも言える。
早瀬莉子に助けられはしたがやつは『過去のすれ違い』とも関連が薄いであろうことはわかった。
そのディテイルそのものに対しては、とくになにも反応がなかったからだ。
つまり、今日の謎どもの中では『捨てた』の補強材料のみがやつに強く関連することが確定したと言える。
80%。
安賀多先輩に言われて、やつが「思いやり」ではないかと考えたが、論理的に破綻した。
たしかに安賀多先輩に対して「思いやり」はあったのだろう。主観とは異なるが、しかし、客観的にはそうだと判断せざるをえない。
私は「思いやり」などを意識したことはないが、そうなっていた。因果関係においては、果が「思いやる言動」になるわけである。やつそのものではない。
無論、「思いやり」は重大なキーワードだ。
88%。
やつは「きみは嫉妬するために嫉妬したわけでもないし、思いやるために思いやったわけでもない。全部きみのいうところのディテイルであって、些事だよ」と言った。
集めたキーワードはすべてそのものではないという宣言だ。
ただし、それはいい。キーワードはキーワードでしかないのだから、そのものだとはハナから考えていない。
95%で私がやつについて自覚したことは、いろどりであるということだ。
そう、いろどりだ。
もちろん、やつの名はいろどりではない。
97%。今日これまでの出来事の最後。
職員室に行き、最終的に、私は怒りを感じた。
すでに管財人が謎を連れ去り、ひとりになった荒野でやつがつぶやいたのは「妥当だね」だ。
「妥当だね」とやつは言ったのだ。
「もちろん、それは私の名前ではないけど、きみはもう怒るしかないんだよ」と。
まだだ、まだなにかが足りない。見落としがあったのか?
「配慮」「補強材料の秘匿」「嫉妬」「思いやり」「怒り」。
そして、『捨てた』にしか関係がなく、やつは私の荒野のいろどりだ。
「きみはバカなのか? わかりやすすぎるほどに1点に収束しているだろ?」とやつは言う。
そしてそれは私自身のことばでもある。これらの共通点というよりも感情や行動の源泉、それは――。
その、瞬間であった。
私が思考した「それは」の「れ」の「は」のちょうど隙間くらいの間から、やつの名前が飛び出してきた。
なるほど、私はいま、私自身のプライドを捨てねばならない。
そして、それがもしかすると一般的には感情の変化や人生経験などという些事だったとしても、受け入れなくてはならない。
どこだろうか。
問題がない場所はどこなのか。
もうダメだ。
これは。
廊下を早足で行くあてもなく歩きながら、私はもはや第4の謎だけとなった荒野を持て余し、あてどない歩行をしていた。
否!
嘘である。
私の両足はうろうろと歩いた場所から完全に職員室方向へと戻っているではないか!
ああ。
つまり、この謎は解けないのだ。
構造的に解けない。
第4の「謎」だというテイをしつづけておきながら、そのじつ解決不能だ。
我ながらとんだペテンである。
その謎は謎ではなく、私がただ知らなかった感情にすぎない。明白になり、いまここで名前がつきはするが、ほかの謎とどうように解けて消えたりはしない。
この先、解けないと言いながら付き合うしかないであろうその名はつまり――。
「恋という感情だろうが!」と私は付近にだれもいないのをいいことに叫んだ。
もうおしまいである。
完全におしまいだ。
管財人が謎の残骸を連れ去って、いまはほぼ無人の荒野に向かって、私は叫んだのだ。
「たぶん正解だね」と恋は言った。
私の荒野に色があるなどということを、私はもはや認めねばなるまい。
私は旧態然として、まんじりとも変化のない色褪せた荒野という看板を捨て、その荒野の一部に色があることを認めねばならないのだ。
すべての感情や行動は安賀多先輩からしか生まれていない。
すくなくとも、今日の私のすべての時間は安賀多先輩のためにあったのだ。
私は安賀多先輩に恋をしている!
なんとチープな!
しかし、これ以上の濃度でこの私の恋がこの先起こりうる可能性がどのくらいあるのだろうか。
たとえば1000年日常がつづいたとして、果たして私は今日以上に恋について考える日があるだろうか。
これほどだれかに会いたいと思うことがあるだろうか。
おそらく、ない。
いや、かりに一般論としてあるとしても、これは今日、いま、この瞬間、世界でいちばんの恋だ。
もちろん客観性は欠いている。
恋は盲目。
そう、まさにそのものである。
体現者がこの私だ。
ポエティックにすぎるN=1の事例をまるで世界のすべてかのようにアンフェアに語るのだ。
フェアネスなどクソくらえだ。
バイアスをかけて曲げて、捻じ曲げて、捻り切って。
それでもただもうすこし話しがしたいのだ。
会って話がしたいのだ。
それはまったくもってフェアではないが、世界にはフェアネスでは測れないことがあるのだ。
たとえどれほどフェアネスを信奉していたとしても。
「しばっさん!」と私は職員室のドアを開けるなり叫んだ。
「おう!? なんだ!? そろそろ下校チャイム鳴るぞ」と帰り支度をしていたしばっさんは言った。
「しばっさん、安賀多先輩は何部だ?」と私は言った。
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