23話:過去のすれ違い4

「というところで、おばさんの話は終わりかな」と早瀬莉子は言った。


 時計は午後3時に近い。すでに小一時間話していたことになる。

 私はすこし、安堵していた。

 無論、会話の中では直接的に私にとって不都合な情報開示が行われなかったからだ。際どい話題にはなったが、これで終わりだと早瀬莉子が言うのであれば、核心にはかろうじて触れていない。

 したがって、補強材料の開示については、現在もなお未定である。この早瀬莉子の話が終わったあとに、安賀多先輩が納得したと言うかどうかで私は最終的に決めなくてはならない。


 だが、それはいまではない。


 そういう弱々しい安堵である。


「ところで鴫沼くんはそんなにわかりやすく安心しなくてもいいんじゃない?」

「ぼくがですか?」

「いま、あきらかにきみの緊張は解けたよ」

「自覚はないですね」と私は言ったが、前述のとおりに安堵はあった。

「莉子」としばっさんがたしなめる。

「あ、ごめんね先生。つい」と早瀬莉子は笑った。「名探偵が聞いていたのとすこし違ってるからね。ちょっとつついてみたくなった」

「ここまでずっと鴫沼オンステージだっただけどな」

「それも見てみたかったけど、まあ機会があれば?」

「ないでしょうね」と私はかなり正確な予測を告げる。

「まあそうだろうね」と早瀬莉子は笑った。「きみは本当にお世辞とかタテマエみたいなものがまるでないね」

「そういうやつだってのは言ったぞ」としばっさんが言う。

「まあでも、本当に今日の感じはすくなくとも先生から聞いた話とはずいぶんちがうよ。たしかに賢さはあふれてるけど、ガラス細工でも扱ってるみたいなチョイスが多い。とても他人をケアしないタイプのそれじゃない」と早瀬莉子は安賀多先輩のほうを見た。

「……それはわたしについてですか?」

「そうだね」とすこしだけ楽しそうに早瀬莉子は言った。「でも、そう扱われることはそんなにないから受け取っといたほうが得かもよ」


 安賀多先輩はとくになにも言わなかった。

 ちなみに私は安賀多先輩を特別扱いしたことはないので、ただの的外れで下世話な会話である。


「ただね、鴫沼くん」と早瀬莉子はすこし真面目なトーンで言った。「それは公平とは言えないと個人的には思うよ。私が責められるのは構わないけど――まあ、さすがに安賀多くんは娘に嫌われるのはいやだと思うけど。ただ、瀬名さんが知るべきことなのかは瀬名さんが考える問題」


「そうだね。きみが本来判断することじゃないね」と荒野の第4の謎がぼそりとつぶやいた。


 嫌なやつである。

 そんなことは私にだってわかっている。わざわざえぐるように確認するとは性格の悪さがにじみ出ている。

 もはや悪行である。


「ぼくには責任の所在を誘導しようという意図はありません」と私は強がって言い切った(それが一般的には嘘と呼ばれるものであることは知っている)。「ただご忠告は受け入れましょう」

「きみがなにを言い澱んでいるかというのは、まあだいたいわかったけど」

「早瀬さん!?」と宮田は驚く。「それはすごく気になるんですけど!」

「そうは言うけど、全員気づいてる感じはあるけどね。鴫沼くんに他人のケアを感じるように、宮田さんや瀬名さんからも鴫沼くんへのケアは感じないこともないよ。なにしろ、3、40分しゃべっただけの私が感じられるくらいだから、これまでしゃべってるならより感じてる気もするけど」


 まあ、おばさんの余計なひとことだけど、と早瀬莉子は付け加えた。


「教えては……くれないですよね?」と宮田は言う。

「まあ、そうだね。間違ってると恥ずかしいし。でも、ひとつだけ意地悪をしてみよう」と早瀬莉子は言った。「鴫沼くんは淡田彗星の恋愛小説以外、たとえばミステリについてどう思う?」


 とんでもない話である。


「よもやよもやー! とんでもないことになってきましたねー」と荒野がもはや中立たる立場を捨ててはしゃぎ散らかしている。

「これは謎を抱えて沈んでいくかもしれませんね! あの邪智暴虐な王たるものが!」とここぞとばかりに『捨てた』か『教師の隠しごと』あたりが言ったが、私はだれが言ったかすら確認しない。

「受動的に行われる開示はもはや名探偵としての敗北ですねー」と間延びした挑発するような荒野の態度は本来なら看過できるものではない。

「みんな、そろそろやりすぎだよ」と第4の謎は責任すら感じている様子で言った。


 強いて言えばたしかにこいつのせいではあるが、選択は私がしたのだ。

 とくに後悔はない。


「2作ありますがどちらも極めて駄作ですね。読む価値がない」と私は荒野に目を背け、力強く正直に言い切った。

「辛辣すぎるな、鴫沼くんは」と早瀬莉子は笑う。「まあ、同意見だけど」

「シデ先輩と同じ種類のひとってこんなに世の中にいますか……?」と宮田がつぶやく。

「そうそういないから安心しろ」としばっさんが言う。

「似てはないと思うけど、見解は一致しているだけだよ。本人にもミステリはダメだったよ、って言ったくらいだからね。向き不向きはある。安賀多くんはそういう作家じゃないと私は思うし、そもそも本人が書きたくて書いたんじゃないってわかってるんだから」

「なんでそんなものを書いたんです?」と宮田。

「人生の調子が悪いときは、より悪い方向への判断をしやすい、ということ。おばさんからの教訓だね」

「いろいろあるんですねえ、作家にも」と宮田はつぶやくが、おそらくさして深い感想は持っていないだろう。

「私にとっては、の話ではあるけど。安賀多くんが書きたいものが、安賀多くんによって書かれることが大事なんだよ。歳をとると先のことを考えるのってコスパ悪くなりはじめるわけ。まあ、きみたちにはまだ全然わからないだろうけど。それでも淡田彗星にそんな態度をとって欲しくないんだよ。残りを数えながら悩むなんてことをしていいひとじゃない」


 このひとはおそらく淡田彗星を作家として丁重に扱っているのであろう。

 それがすぐに伝わってくるくらい見事で素朴な吐露だった。もちろん、もうじき再婚するであろうから人間としての好意もあるのだろうが、それだけではないことを明確にしめしている。

 正直、この手の吐露はできるだけ避けて来た自覚はあるが、ここで出てくるのは私にとって想定外であった。

 これは、安賀多先輩にとってあまりよくないことだと私は判断している。

 いや、よくないことではないかもしれない。それは安賀多先輩にしかわからない。


「ちなみに、ミステリの話はおいておくとして、私の話はおおよそ名探偵の推理とは合致してたの?」と早瀬莉子は私に尋ねる。

「推理との合致もなにも、ぼくはこの話について具体的にはなにも言っていない。早瀬さんが話すことがすべてです。話す気がないことは話さなくていいというスタンスは最初からまったくかわりません」

「きみはまったく本当に賢い子だね」と早瀬莉子は私への感想で会話を終えた。


 が。


「本当にさいごにひとつだけ」と安賀多先輩が言った。「本当に父はあなたとの恋愛感情で家族を捨てたということですか?」


 じつに直接的かつ実直でなんの工夫もない質問である。

 同時に、安賀多先輩の私に対する疑問ともとれる。

『捨てた』のディテイルで完全に私がそう言い切ったからだ。


「安賀多くんの気持ちはわからないよ。私は私の責任でしゃべっただけだから。なにより安賀多くん自身に失礼な話になりそうな気もするし」

「なにかあるけどしゃべらないってことですか?」と安賀多先輩はちょっとムキになって言った。

「いや、そういうわけじゃない。本当に嘘はついてないし、もうなにもないよ。安賀多くんのことは究極的にはわからないよね、っていう一般論みたいなもの」

「なにか他の理由はあるかもしれないということですか?」

「複合的判断をするというのは自然だと思うけど、私には断定できることじゃないよ。私は安賀多くんに恋愛感情がある、ということではいけない?」

「それはそうだと思うんですが……」

「ただ、安賀多くんと瀬奈さんがモヤモヤしたままっていうのも不健全だしね。親と子は変えられないじゃない? 私もいちおう親の気持ちはわかるわけよ。そういう意味においては、客観的に情報を伝えるために――まあ、私にはすこし客観性は欠いているようにも見えるけど、その役目として鴫沼くんがいるわけでしょ?」


 安賀多先輩はちらりと私を見て、渋々うなづく。


「だから、すくなくとも私にはいま安賀多くんに対する恋愛感情がある、という確実なことだけをあなたに伝えている」


 そう、早瀬莉子は言い切った。


「……父があなたを選んだ理由はわかる気がします。母にはないものがあなたにはたくさんある」

「あなたのお母さんにしかないこともたくさんある。私が言うな、って言う批判はもちろんあるとしてね」

「話せてよかったとわたしは思ってます」

「私もだよ」と早瀬莉子は言った。「おおよそ、瀬名さんの疑問はクリアになった?」

「おおむね」と安賀多先輩は言いきった。「あとはまあ、アドバイスどおり名探偵を問い詰めます」

「ですって。まあ、鴫沼くんも頑張りどころかもしれないね」と早瀬莉子はウインクをする。


『なにも言えないでいる私』 鴫沼住春


 苦いテイストのつまらない作品になりそうである。


「じゃあ、私はそろそろ。先生、また連絡します。安賀多くんも久しぶりに会いたいって言ってましたよ」

「そんなに久々じゃないだろ。去年会ったと思うが」

「どうせ暇でしょう? たまにはかまってあげてください」

「教師はそれなりに忙しいんだよ」

「瀬奈さんも、また会えたらうれしい」

「ええ。いろいろ落ち着いたら」


 その落ち着きの定義を尋ねるのは当然無粋であるので止した。

 なにしろ私はそんな軽口が叩けるような立場ではすでにないからだ。

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