17話:教師の隠しごと5
図書室の時計はさきほど13時だった。
それから5分と経っていないだろう。
しばっさんと宮田が予測よりも早く帰ってきたので、しばっさんの話を終えられるだけの時間がある。
「さて。早瀬莉子が来る前にやるべきことはひととおり終わりました」と私は言った。「時間もまだあることですし、原稿の開示をしてしまいましょう」
「それは本来は早瀬莉子さんの話のあとだったわけ?」
「じつはそれは難しい問いですね。そもそも積み残しが発生するのは避けられません。ぼくの知っているすべての情報を依頼者に伝えるのは、事実上困難です。だから探偵などというものは情報をコントロールせざるをえない。好むと好まざるとに拘らず」
「それはそうかもね。まあ、こっちにしてみれば、きみの情報開示にはすべて意味があるように思えてならないが」と安賀多先輩は言った。
「すべて意味がないとも。先輩の理解だけが争点ですからね。ようは撃てて当たりゃいいんだよ」
「安賀多はアニメ見てなさそうだけどな」としばっさんは言ったが、
「大尉好きですよ」と安賀多先輩は言い切った。「まあ、父が好きだったせいですけど」
「さて、ではちょっと忙しないですが部室に戻りましょう」と私は言った。「ただ、しばっさんはちょっと待ってて」
「その呼び止めにはさすがに意味があるね?」
「それはそうですよ。自白の検閲です」
「響きが物騒すぎる……」と宮田がぼそりと言った。
私がスクラップをもとの場所に返して談話スペースに戻ると、宮田と安賀多先輩の姿はすでに見えなかった。
「そろそろ犯人には完落ちしてもらおうか」と私はしばっさんに声をかける。
「やっとですか、探偵さん」と犯人は言った。
私はしばっさんをうながして、部室へ向かう。
「ただし、あまりにプライベートすぎる部分についての葛藤は自身のこころの内にしまっておいて」
「具体的にはどっちへの感情を指している?」
「当然早瀬莉子のほうだ。ぼくも聞きたくないと言ったし、生徒への教師の劣情は道徳的にNGだ」
「おまえがいま言ってるけどな。あとなけなしの俺の名誉のために言うが、劣情は言いすぎた。道徳的によくないことを否定するわけじゃないが、好ましい程度の話だ」
「それはあまりに意味が広すぎるし、そもそもすこしは責められたいんだろ」
「鴫沼」としばっさんは言った。「俺はシンプルに責められたいんだよ」
「ほら。でも、大人でしょ。我慢して」
「春休みだからな。生徒がいねえんだから、教師だって休みだよ」としばっさんは言った。「賢章については吐露していいともとれるが、それでいいのか」
「そう言った」
「おまえはそれを隠しておくつもりなんじゃないのか」
「しばっさんの安賀多賢章への感情は直接的に補強材料にリンクするわけじゃない。それにまったく開示しないという選択はすでに消えてしまっている。ここまでの材料が揃っていれば、気づこうと思えばもう安賀多先輩は気づける。敢えてぼくが言うか、という問題」
「なんであれ任せるよ。俺は今回は舞台にはあがらねえから、おまえのやりやすいように情報コントロールしてくれ」
心情としての動機を語らない犯人に価値があるのか。
あるに決まっている。
むしろ、おのれのこころの内を語った程度で価値があると思うのは、犯人の思い上がりである。
依頼の中心にいるのは依頼者であるべきだ。それがフェアネスというものである。
「主演女優の機嫌を損ねないように頼むよ。しばっさんがコケると進行上ダメージが入る」
「そんなこともないだろ。名探偵の予定は狂わない」
「いや、しばっさんの自白は変数だよ。予定が狂う可能性もないではない」と私が言ったところで、部室の前に着いた。
「検閲は終わった?」と部室に入るなり安賀多先輩が尋ねる。
「問題ない認識でいます」と私は応える。
宮田は飛び切り甘そうなよくわからない菓子パンを食べていた。
「しばっさん、原稿をお願い」と私が言うと、しばっさんは部室の奥にある引き出しを開けて原稿を取り出してくる。
「まずこっちからか?」としばっさんは持ってきた2部の原稿のうち1部だけを長机に原稿を置いた。
「まあ、そうかな。『過去のすれ違い』のエビデンス」と私は言った。
「案外ためないで来るね」と安賀多先輩が言う。
「『過去のすれ違い』のディテイルとしての価値はたいはん失ってますからね。早瀬莉子からの一次情報が控えているわけですから」
「これが原稿自体にある付加情報なわけだね?」と安賀多先輩は『花の散る季節のきみへ』の表紙に触れて言った。
表紙にはタイトルと「安賀多賢章」という名前だけが書いてある。
「いやいやいやいや! なんですかこれは! 古ぼけてます! 以上!」と宮田がパンを飲み込みつつ完全に憤慨して言った。
「おまえ、ちょっと楽しみにしてただろ」
「そりゃそうですよ! ふつうは証拠品出てくるとき盛り上がるでしょ! バーン! って来るものでしょ!」
「バーンと来るかは知らないが、よく見ろ。本当にどうしてもわからないなら表紙を撫でてみろ。それでわからなかったらもう知らん」
そう言われて宮田は原稿の表紙を素直に撫でている。
「あ、これ濡れてましたね。濡れて乾いてる」とふと冷静になって宮田は言った。
「そう見えるね」と安賀多先輩は言った。
「それが原稿にある付加情報です」
「いやでもシデ先輩、これがなんだって言うんですか?」
「しばっさん、これが濡れた日は早瀬莉子には特定可能だったね?」と私が言うとしばっさんは静かに頷いた。「結構。これですべて揃った。過不足ない。まあ、ディテイルがそもそも過剰なものであるという点はおいておくとして」
「くれぐれもわかるようにお願いしますよ! わかるように!」
「これ以上わかりやすくできないだろ。早瀬莉子はこの原稿を見て、濡れた日がいつかわかったんだよ」
「ああもう。早く詰めてくださいよ。だいたい、先生が持ってるそれはなんなんですか、もう。もうもうもう!」
「それは差し替え前の淡田彗星の原稿だ。もうそれについては話したぞ」と私はしばっさんが持っているもう1本の原稿を指す。「ここから『過去のすれ違い』がはじまった」
「ああもう、ごちゃごちゃしてますね!」と宮田は他責する。
「この濡れた原稿は『雲海』62号に載っている『花の散る季節のきみへ』とまったく同じもののはずです。すでに早瀬莉子が気づく程度に出来が悪いことは話したと思いますが、彼女はこの付加情報で、差し替えられた時期もわかった」
「そもそもなんで早瀬莉子さんはこの濡れた原稿を見たんですか?」と宮田が思わずと言った風で尋ねる。
「部誌の編集は通例なら3年がやるからだろ」と私は当然のことを回答する。
「手書きのやつもまだまだいたころだったから、部誌の原稿は全員紙で出してたんだよ」としばっさんが補足する。
「時代を感じますね……」と宮田は言った。「でも、そうなると安賀多先輩のお父さんも濡れた原稿を見られてること知ってますよね?」
「知ってるだろうが、それがなんだと言うんだ」と私は言い切った。「淡田彗星は差し替え前の原稿が読まれると懸念するのは難しい」
「それは早瀬莉子さんと父さんの関係によらない? これまでの情報だと濡れてなくても出来で早瀬莉子さんは差し替えられたこと自体には気づいた、って話になってると思うけど」と安賀多先輩が言う。「だとすると、差し替え前の原稿を読まれるリスクってそんなに低いだろうか?」
「淡田彗星が隠したつもり、という前提があれば話が変わるんですよ」
「ええー? でも、隠せなかったわけじゃないですか、結局」と宮田も言う。
「それを結果論と言う。淡田彗星にとってイレギュラーがなければ、隠せていた可能性は低くない」と私はしばっさんを見る。
「ああ、柴田先生が『差し替えられてない』と言えば終わった話なのか」と安賀多先輩は気づく。
「はい。早瀬莉子に差し替え前の原稿を開示した理由が、『教師の隠しごと』の残り半分です」
しばっさんはどう話すべきかわからないという表情だが、もう語りはじめていいだろうと私は思っていた。
ただ語り始めない。案外、パスが悪いと悪態をついているのかもしれなかった。
私は仕方なくお膳立てをする。
「柴田哲朗は差し替え前の原稿を見せないことができた。というよりも、まっとうに考えればそうする。なぜなら淡田彗星が見せないという意志を示していると通常は考えられるからです」
「それだけだとそんなに重い罪だとも思えないけど……」
「雨に濡れた日がいつか、ということは外せない要素ですね」
「……合格発表の日だ」としばっさんは言った。
そのくらいしかないだろうな、とは言わないでおいた。
高校生には重大なトピックはそれほどない。
『花の散る季節のきみへ』の出来が悪いのは書く時間がなかったからだ。おそらく数時間でかかれた程度の出来と言える。それは『雲海』62号の締め切り前であったことを意味するが、その時期の重大トピックといえば、大学の合否か、部活の送り出しか、卒業式くらいしかない。
これはこれまでの依頼の傾向からの類推でもある。
「ふたりの進学先が問題ってことです?」と宮田が言った。
「そうだ。賢章は早稲田に受かって、莉子は落ちた。莉子は結局、1年浪人したあと九州の大学に行った」としばっさんが答える。
「父さんは莉子さんの不合格をきっかけとして差し替え前の原稿をなかったことにした、というニュアンスかな、これは」
「そのままそのとおりです。不合格を機に、相聞歌的なものから応援歌的なものに淡田彗星は原稿を変えた。そして、それを受けて早瀬莉子も相聞歌的なものから応援歌的なものに変えた。いずれも差し替えられ、エール交換だけが『雲海』62号に残っている。そういうことです」
「もともとの相聞歌は片方先生が持っていて、もう片方は早瀬莉子さんが葬った?」
「その原稿の行方の顛末も『過去のすれ違い』の構造をシンプルにあらわしています」
「……父さんは引きずったけど、莉子さんは引きずらなかったってことでいい?」
「はい。早瀬莉子にとっての『彗星』は応援歌ではありますが、本人からすればほぼ決別のニュアンスなんでしょう。一方で淡田彗星は1年後に早瀬莉子が他の大学に進学して、さらにそのあと安賀多先輩の母親に出会うまで引きずっていた」
「それがヒロイン変更になって作品にあらわれるわけね」
「そうです。ただ、淡田彗星作品のヒロインとしては早瀬莉子は生き続けたと思われますが」
「なんだっけ、さっきちょっと言ってたやつ?」
「はい。淡田彗星の『確定ヒロイン』ですね。これは早瀬莉子がモデルだと考えるのが自然です。
エビデンス版に登場する女生徒は早瀬莉子をモデルとしてないわけがないですが、その女生徒はのちのちも淡田彗星作品によく出る『確定ヒロイン』の輪郭を持っている。エビデンス版にはほかに異性が登場しないので役割は限定的ですけどね。
淡田彗星の『確定ヒロイン』はほかの異性キャラとどれだけいい雰囲気になっても、主人公との感情的関係はいっさい揺れずに必ず結ばれる、という典型的なキャラクター像です。容姿の描写やアクセサリ的設定は幅があるが、根本的な性格は通底しているものがあります。
明るく、物怖じせず、主人公に伴走するタイプで、基本的に冷静ではあるがコミュケーション能力は極めて高く言うべきことは必ず言う。でも決定的な自分の気持ちだけは自分からはっきりとは言わない。
――早瀬莉子はそういうひとなんだろう、しばっさん?」
「……個人の受け取り方は当人のことだが、客観的に見ればそう思うやつはいるだろうな程度だ」
「『確定ヒロイン』っていうのは有名な話なの? あんまり感じたことなかったけど」
「たまにインタビューとかでも出るからファンなら知ってるんじゃないか」としばっさんが言った。
「先生から見ても莉子さんなわけですね?」
「主観的に見れば、莉子そのものだなと思うことはあるよ」
「なるほど」と安賀多先輩は言った。「ところできみはそういうタイプに惹かれる?」
「……ん? 唐突ですね」
「知的好奇心」
「知性をどこにも感じないですが」と私は言った。「早瀬莉子をどう思うか、という問いなら、ぼくは答える立場にない。彼女はぼくにとって証言者です」
「きみにはわかんないかもしれないけど、この確定ヒロインってわたしにとっては結構なトピックなんだよね」
「主張はわかりますよ。淡田彗星の作品は言ってしまえば、ほとんどマクガフィンだけで構成されている。エピソードそのものはなんだっていい。もし、マクガフィンに左右されない要素があればそれはとても主題的に映る」
「きみはわかりやすいほどにそう言うだろうと思ったけど……。感情的には考えるまでもない、って言いそうでもある」
「安賀多先輩が彼女を好ましく思うはずがない、という問いにするんですか?」
「わかってるね」
「問いですらないですけどね、そんなもの。安賀多先輩の心象は悪いに決まってますよ。ただぼくはそれを精神的負荷になるとは考えていないということでもありますが」
「ショックじゃなくて、ムカついてるだけだから平気みたいなことを言おうとしてる?」
「極めて雑に解釈すればそうです」
「そんなもの、離婚してるんだから淡田彗星が好意を持ち続けていたなんでことはあたりまえじゃないですか、とかね。そういう話ね」
「先輩はそれを聞いて腹立たしいかもしれませんが、意外性はない」
「だとしてもよ、妻も子どももいるのに、昔の恋人をヒロインにし続けるのって、相当じゃない?」
「いちおう淡田彗星にフェアに言っておくと、確定ヒロインは全作に出るわけじゃないですよ。早瀬莉子がもっともそのままに近いカタチで出てくるであろう作品は淡田彗星のデビュー作、つまり『花の散る季節のきみへ』のフレーバー版ですが、これは結ばれないので確定ヒロインではありませんし。
ヒロインの立ち位置ではないですが、おそらくは先輩と思しきキャラクターだって登場する。淡田彗星作品に出てくるヒロインのすべてが早瀬莉子をモデルにしていると考えるのはフェアネスを欠きます」
「10ならセーフで9ならアウトってことにもならないだろ。それで言えば1の段階で拒否反応が出ることだってあるよ。きみは本当に父が好きだね」
「否定にすら飽きましたが、淡田彗星がぼくのフェイバリット作家であるというのは明確な誤解です」と私は言い切った。
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