12話:捨てた1

 原稿がしまってある机の鍵を職員室に取りに行くというしばっさんと別れて、ひとりで部室に行くと安賀多先輩しかいなかった。


「宮田はどうしました?」と私は尋ねる。

「お手洗い」

「まあ、いちおう待ちますか。さきに始めてしまってもいいが」

「そうしてあげて」と安賀多先輩は言った。「きみは宮田さんとはどういう関係を構築している?」

「なにか言いましたか、宮田は」

「とくに気になる話はしてない認識だね」と安賀多先輩はなぜか妙に嘘っぽく言った。

「とくに気になる関係は構築してないつもりですが」と私は答える。


 私の回答には嘘くささはない。嘘がないからだ。


「ここはきみとか柴田先生みたいなガチ勢が読む本しかないの?」とあまり私の返答には興味なさそうに安賀多先輩は部屋を見渡した。

「いや、ありますよ、結構軽いやつも。図書室に行けばここにあるものの何十倍かは軽いものがあるので、ここで読む必要はない気がしますが、だれかがなぜか置いていく」と私はなかでもとびきりライトなやつを本棚から取る。「これとかですね」

「読みはするんだね」

「読めないこともないですからね」

「女の子が主人公と出会った瞬間に必ず『ふ、ふぇ!?』って言う感じのやつでしょ」と私の持っている本の表紙を見た安賀多先輩は言った。

「それは隷属の証です。それを言ったキャラクターは主人公に付き従う掟があります」

「ふ、ふぇ!?」

「やめてください。めんどうなひとだ」

「もうすこし照れてもいいんじゃないかね」

「先輩を隷属させてもぼくにメリットがありません」


 たしかにそうだね、と安賀多先輩が吹き出すのと、宮田がトイレから帰ってきたのがちょうど同じくらいのタイミングだった。


「あれ、シデ先輩戻ってるじゃないですか」と宮田は小走りで椅子に滑り込む。「なんか話進みました?」

「とくに進んでないよ」と笑みを残しながら安賀多先輩が言った。

「シデ先輩だけですか? 柴田先生は?」

「すぐ来る」と私は答える。

「あ、安賀多先輩のお父さんのと早瀬莉子さんのやつ読みましたよ」と宮田が言った。

「予想外だ」

「先輩は私をなんだと思ってるんですか?」

「後輩」

「それはそうでしょうよ!」と宮田が拗ねたように言う。

「安賀多先輩の感想は?」と私がとりあえず宮田を置いておき尋ねると、

「感想はとくにないけど……」と安賀多先輩は言った。「まあ、お母さんが出てくることはなかったね。出会ってないから当たり前なんだけど」

「なるほど。いまどの程度まで依頼は埋まっている認識ですか?」

「父と父の恋愛相手の高校時代の作品を読んだ。いまは教師が隠している原稿の開示を待っている。ことの全容はきみが繰り返し解決済みだと言っているように内容以外はわかっているつもり」

「じつに優秀な依頼者で助かります。しばっさんが戻って来たら『捨てた』についてディテイルを完全に埋めましょう」

「それについて1点、気になることがあるんだけど」と安賀多先輩は言った。「柴田先生が隠してたことがきっかけで、過去のすれ違いが起こって、結果それが解消されたからが起こったわけだよね? 順序としてはつぎは過去のすれ違いが来るのが妥当じゃない?」

「主張はわかりますが」と私は前置きする。「どう考えてもプライベート度合いがちがうからですね。『過去のすれ違い』のディテイルはぼくでは埋めようがない程度にプライベートです」

「いかな鴫沼住春とは言え、アクセスしていない情報は知りえない」


 私は首肯する。


「ディテイルは知らないこととして興味がわかないの?」

「ぼくはディテイルを知ることにあまり興味がないというのはお話ししたと思いますが」

「それは気にならないのかって訊いたと思ったけど」

「個人の嗜好の範疇ですね。ぼくはディテイルを詰めたところで解いた感じがしないというだけです。触れればわかる情報は、小説や映画と同等程度にしか思えない。そして、構造のディテイルというのは、大なり小なりプライベートな要素を含みます。ならばフィクションのほうがトラブルがすくないのはすぐにわかる」

「往々にして依頼のディテイルというのは、下世話なコンテンツに映るってことかな」

「品性の話ではないですけどね。知られないほうがいいことはあるでしょう」

「なるほど、良識に満ち溢れている」

「ぼくは善人ではあろうと思ってるんですよ」と私はポリシーを口にする。「そして、ぼくよりも語るべき人物が来るタイミングがあるので、手続き上『捨てた』が先のほうがいいというのもあります」

「証言者か」と安賀多先輩はすこし考える。「こうなると早瀬莉子さん以外にはいないということになると思うけど」

「え、証言者って早瀬莉子さんのことなんですか?」と宮田が気づきを得る。

「それ以外ないだろう」

「そんなことはない! 早瀬莉子さんはなんで来るのかさっぱり私にはわかってないですよ! 不親切!」と宮田が断罪する。

「それはちょっとわたしも同意だけどね」と安賀多先輩も宮田を援護する。

「言ったように『過去のすれ違い』はとてもプライベートな話です。淡田彗星か早瀬莉子以外にディテイルを詰めようがないんですよ」

「そこは理解したけど」となおも安賀多先輩は納得感の薄さを主張しそうな表情で言う。

「つまり、あまり会いたくはないですか?」と私は尋ねる。

「なに話していいかわからない。とくに憎しみとかはないけど」

「彼女は淡田彗星が『捨てた』きっかけではありますが」

「それはそうだけど、早瀬莉子さんが悪いわけじゃないわけでしょ?」

「まあ、強いて言うなら早瀬莉子と淡田彗星ふたりの選択ですね。『捨てた』の主語は淡田彗星ですが、早瀬莉子と再会しなければ離婚しなかったというのはほぼ確実です」

「どちらかと言うと早瀬莉子さんを責めたいときみは思っている?」

「ぼくはなにも思いませんよ。先輩の感情であってぼくが関与することではない」


 やはり、安賀多先輩はすこし考える。

 薄々勘づいてはいたものの、いざ証言者が早瀬莉子だということが明白になると問題が実感を帯びたのだ。

 私の経験則では実感を帯びたときに問題は対峙されるものだ。


「一旦、整理をしたいんだけど、間違ってたら言って」と安賀多先輩は前置きした。「まず私が父さんに離婚の話を訊いた。それで父さんはいまから柴田先生が見せる原稿を見せたくて柴田先生に話した。ただ柴田先生にも秘密があったから、きみを紹介してできるだけ無機質かつ客観的にことを運ぼうとした。ここまでは合ってる?」

「しばっさんのこころの動きを簡略化するとその説明になるでしょう」

「で、柴田先生は早瀬莉子さんを呼んだ? きみが呼ぼうと言ったの?」

「今朝、はじめてぼくは依頼内容を知りました。なにか安賀多先輩が在学中にあるだろうというのは、それこそ数ヶ月前には可能性のひとつとして考えていましたが、こういう依頼になるのは今日知りましたね」

「じゃあ、早瀬莉子さんが来るのは柴田先生の案ということになるね?」

「そうでしょうね」

「率直に言えば必要性はないとも思える。目的はつまりわたしと早瀬莉子さんの顔合わせくらいに感じてしまうのだけど、これは穿ちすぎ?」

「だれに利するかというのは個人の解釈によるでしょうが、しばっさんの目論見にその顔合わせがあるというのは間違いないでしょう」と私は言った。「だから、会わないという選択を先輩がとることもぼくは可能だと考えています」

「会うとどうなると考えている?」

「依頼者のメリットですかね?」

「そう。わたしのメリット」

「父親の掘り返してしまった恋愛感情のディテイルが知れる」

「それはメリット……?」

理由を知りたいのであれば、ディテイルではある。ただ先輩はそのディテイルに興味がないと言うこともできる。そういうことです」

「わたしはあまり早瀬莉子さんについて知りたいとは思っていない」

「ごもっともかと思いますよ。あくまで選択権は安賀多先輩にあります。親の昔の恋愛話を聞きたいかどうかは個人の感性によります」

「聞かなくてもいいかどうかは、完全にわたしの問題なわけだね」

「はい。完全に」

「柴田先生は会って欲しいと考えているということになるよね?」

「おそらくですが、しばっさんは早瀬莉子の性格についてそれなりに信頼しているのでしょう。まあ、これはあとで詳しくしゃべりますが、おそらく早瀬莉子というひとは一般的にコミュニケーション強者で、ある種の信念を持っているそうそう揺るがない人物であろうかと思います」

「作品からはあんまり感じなかったけど……」

「これについては淡田彗星作品の知識から推測していますから、早瀬莉子の作品を読んでも直結はしないでしょう」

「ファンなのか……」

「ですから、再三再四申し上げているがファンじゃないです」と私は断言した。「ベターではないですが、早瀬莉子がいなくともディテイルは詰められますよ。そもそも淡田彗星は自分の差し替え前の原稿を見せれば足りると思ってしばっさんに声をかけたわけですから」

「正直、悩んでるよ」

「究極的には過去の恋愛話をどうやって知るか、という方法の問題です。あるいはディテイルに触れないことすらできる。安賀多先輩の納得感のためだけのアプローチですから、どれでもいいですよ。ぼくとしては」

「きみは探偵として早瀬莉子さんとの話に同席してくれるつもりはある?」

「お望みならば」


 やはりすこしだけ考えて、安賀多先輩は言った。


「じゃあ、ここで話してみようかな」

「わかりました」

「えっ、私席外しますか!?」

「いや、わたしは構わないよ。ワトソンは会話に必要でしょ?」と安賀多先輩が言うと宮田はすこし嬉しそうにした。

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