11話:物証と物量

 実証と実力。

 九生高校第2自習室の入口上に掲げられている校訓である。ここ以外には体育館でしか見ることがない校訓だ。

 10年ほど前まではここは資料室という名の校是上重要な部屋であったため、ここに校訓が掲げられている。

 理事長の代替わりでたいはんがデータ化されたため紙のものは大きく減ったが、それでもなお自習スペースの奥に破棄されなかったおびただしい量の資料が眠っている。


 いまも資料保管量としては一般的とは言えず(なにしろ文化祭の歴代パンフレットまで保管されている)「物証と物量の部屋」と揶揄されることもある。

 まあ、揶揄しているのは私だが。


 第2自習室はエアコンが完備されているため夏場の人気は高いが、受験も終わったこの時期の利用者は平均値も中央値もほぼゼロだ。


「鴫どん、ここらでよか」としばっさんは第2自習室が無人であることを確認してから入ると、椅子に座りながら言った。

「教師の不謹慎な発言について」

「堅苦しいな。世界に向けてなにかを言うとき、だれも傷つかねえなんてことはねえのよ。だれかは傷つく。そういうもんだよ」

「昨今の一般的世界解釈とはことなるという風にぼくの経験則が言っている」

「なんでその一般論の経験則的理解が実際の会話になるとちょくちょく抜け落ちるんだ、おまえは」

「ぼくは善くあろうとしてはいるがモラリストではない」

「それは自分の好きに自分のルールを使い続けるってことじゃないか」としばっさんは小さく笑って言った。

「だれしもそうだよ。だれも傷つかねえなんてことはねえのよ」

「さようか」


 そして、なにかをしゃべろうとするように息を吐いたが、それよりさきにぼくは言う。


「なにか言うつもりなんだろうけど、余計なことは聞きたくないという希望はさきに伝えておくよ」

「そう言うだろうとは思ってた」と月並みなことをしばっさんは言う。


 らしくないじゃないか、柴田哲朗。

 こういう意思決定は終わっているがきっかけを待っている人物は、おおよそ気の抜けたことを言う。


「ただ、結果的にしゃべることになるだろうとも、思っているんだろうけどね」

「そうだな。俺はしゃべりたいことはしゃべる可能性がある」

「それでいいよ。手早くしばっさんの自白すべき部分と隠したければ隠していい部分について整理する」と私は言った。

「なれない調整までさせてすまんな」とそれなりに本心らしくしばっさんは言った。

「しばっさんは得意先だからね」

「埋め合わせは卒業までにはする」

「ぼくはなかなか記憶力がいいがだいじょうぶか?」

「任せておけ」


 そして私は慣れてもおらず、気乗りもしない作業に入る。

 ディテイル内容ををさきに確認しておくなど、普段の私には考えられない手間だけかかる作業である。

 探偵の営業努力だと茶化してみてもいいが、余計に虚しくなりそうなので止す。


「まずは淡田彗星としばっさんの合意についてだが、安賀多先輩に見せるつもりがあると言っていたのは、淡田彗星当人の差し替え前のほうだけ?」

「そう理解してるよ、俺は」

「エビデンスとして成立するのは『花の散る季節のきみへ』の元原稿、淡田彗星の差し替え前の原稿、そして早瀬莉子の差し替え前の原稿。このうち、早瀬莉子以外のものは手元にある」

「ああ、部室にある」

「元原稿は開示しない?」

「あれだけやっといて、見せませんは通じないだろ。依頼前に見せる気はあまりなかったが、いまは見せる気でいる」

「3本目、早瀬莉子のものは本当にないでいいんだね?」

「本当にない」

「わかった。『雲海』に載っている差し替え後の作品はエール交換でしかないが、差し替え前は相聞歌でまちがいないか?」

「その理解でいいだろう」

「つまり、安賀多先輩は父親の古い恋の話を知ることになる」

「賢章もそういう認識だったから、親から聞くような話でもないって言ったんだろ」

「そうだね。じつにすっきりとした建付けだ。ここに早瀬莉子当人の話を足す」

「俺も悩んでたが、いまのところその流れだろ」

「早瀬莉子はいつ来る?」

「2時には着くって」としばっさんは12時すこし前になっている時計を見ながら言った。

「あと2時間ちょいか」と私は言った。「3本目の原稿を持ってくることはないだろうね?」

「ないと思うぞ。なあ、莉子の差し替え前の原稿は必須なのか?」

「いや、あったほうが手っ取り早かったというだけだ」

「依頼のディテイルとして適切な資料。無機質な評価だな」としばっさんは両手をあげる。

「他人のラブレターなんてそんなものだろ。しばっさんだって極めて文学的価値が高いとは言わないはずだ。たとえ数十年後の大作家の作品だったとしても」

「部誌の中ではまちがいなくよく出来てる」

「ぼくは淡田彗星のものよりも、すくなくとも72号の『遥か遠い書架』のほうが好きだ」

「72号だと賢章より5、6コ下? ……ああ、島か。あれもいい出来ではあったけど、しかし、よく覚えてるな」

「部誌は全部読んだからね」

「島は中学校の先生やってるよ」

「そこには無論ぼくの興味はないが、とかく、淡田彗星のこの作品は高校部誌レベルでもべつに抜きん出てはいない。まあ、2位か3位だ」

「112号もある中で2位か3位ならいいほうだろ。掲載作は合計なら千越えてるわけだし」

「そう思うならそう思えばいいが、しばっさん、淡田彗星だぞ?」

「まあ、安賀多にそういう話はしろ」

「肉親に感想を伝えるなんて熱心な空気の読めないファンみたいなことできるわけがない」

「賢章はそういうのありがとうって言いながら受け取るタイプだよ」

「淡田彗星に個人的な興味はない。そして、しばっちゃん、はぐらかしてるな?」

「いや、おまえが勝手に逸れていっている。いつものように」

「トルストイ的なんだよ、ぼくは。意識の流れに従順だ」

「ジョイスじゃないのか」

「トルストイのほうが早いだろ」

「だいたいおまえ、日本文学のほうが好きだろ」

「成績見ればわかる」

「おまえの担任やったことないからな。成績については他の生徒と同じように、平均評定しか知らないよ」

「残念だが、5教科と体育以外は4もそれなりにある」


 しばっさんは一瞬だけ黙り、ことばを押し出した。


「それで、なにを確かめたいんだ、わかりやすく言っていい」

「ひとつだけ、依頼とは無関係だが気になるディテイルがある」

「野次馬的に?」としばっさんは言った。


 おまえにしては珍しいな、と言わないところにはすこしだけ好感が持てる。

 私の問題ではなく、完全にしばっさんの問題だからだ。他人のことを気にしている場合ではない


「悪く言えばそうだ」

「俺が当時莉子に原稿を見せた以外に本当になにもしていないのか、か?」としばっさんは確かめる。「してたらどうする?」

「どうもしない」と私は事実を答えた。

「そうだろうな」

「ノーでいいんだな?」

「ああ。結婚してないのは単純にモテないからだ」

「未婚率でも調べればいい。そんなに卑下することでもない」と私は言った。


 そして、できるだけディテイルに触れないよう、犯人と交渉を試みる。

 問題は2点。

 1点、そもそもなぜ柴田哲朗は原稿を隠しているのか。

 25年、見せろとだれにも言われていないというのはひとつだが、隠していたという自覚もある。

 なぜか。


「淡田彗星の元原稿の状態は重要なファクターだが、しばっさんがそれを隠していた理由はべつだ。原稿の状態がどうであれ、隠す理由はすくない。つまり、しばっさんが当時を思い出すあるから隠していた可能性が極めて高い」

「ああ」と短くしばっさんは言った。

「それは早瀬莉子に原稿を見せた瞬間のしばっさんのこころの動きの問題」

「そうだな。その感情はおまえの言う『教師の隠しごと』の不可欠なディテイルだと思うぞ、一般的には」

「ただ依頼者にとってはそうではないかもしれないとぼくは考えている」

「安賀多? 知りたいことのうちに入っている気がするが」

「どうだろうね。しばっさんを断罪することはできるだろうが、それが必要かはぼくには判断できない」

「事実に対して要不要を持ち出すとはね」

「ぼくにも理解不能だよ。どう考えても全部提示したほうがフェアだ。これほどフェアネスを欠くのは不誠実ですらある」

「なんでだよ、誠実だろ、むしろ。……まあ、いい。これは俺が言うことじゃない。俺にもフェアネスはある」

「ん? なんに対して?」

「強いて言うなら宮田だよ」

「なんで宮田? わかるように言ってくれ」

「わからないように言うことにしたと言ったと思ったが」

「性格が悪いが、しばっさんのフェアネスはしばっさんのものだからね。ある程度は尊重しよう」


 言わないと言っているものを言わせることはフェアではない。言おうとしていること言わせないのも同じだ。

 口を割らせたり黙らせるように働きかけるという選択肢は、一般的な探偵同様私にもあるが、ただそうするだけの必然性をいま感じないという話なのかもしれない。


 なんにせよ、しばっさんの過去の個人的な感情の動きについては、残念ながら私の懸念通りにあった、ということだ。


 そしてその感情があった場合、もう1点の問題がより鮮明になる。

 そもそもなぜこの依頼は成立したのか、という問題だ。

 トピックとして教師が首を突っ込むにはあまりにプライベートすぎる。


 結論、これは柴田哲朗のプライベートな依頼でもあるということだ。


「最後1点。これを確認して戻ろう」と私は言った。「そうまでして今日のこの依頼を柴田哲朗はなぜ成立させた?」

「わかってるだろ」

「確認だって言ってるだろ」

「むしろおまえはなぜそこが気になるんだよ、それが答えだろ」

「早瀬莉子は余計なファクター。そうだね?」

「安賀多の依頼の解決、という点では必要性はない登場人物だな。いてもおかしくはないが」

「そこはしばっさんがふたりの高校時代の様子を語ればそれでも代替できる。わざわざ昔の恋の話――まあ、彼女たちは再燃したわけだからいまの恋の話とも言えるが、そんなものを相手の娘にするのはいささかチャレンジングだ」

「……俺は莉子と安賀多の和解までは望んじゃいないぜ」

「そりゃ、先輩が言うように、家族を捨てさせた張本人ではあるからそうだろう」

「ソフトランディングは無理だと思うということか?」

「必要だと思わない」

「これも要不要になるのか。フェアな予測とは言い難い」

「性格は悪いが正確な言語化だ。個人的に必要性を判断するなど、いつものぼくらしくない」

「自認するのかよ」

「言っただろう。今日はいつもとはちがう。なにしろまだ解ききれていないことがある」と私はつねに荒野に居座り続けている第4の謎について言ったが、しばっさんはもちろんそんなことは知らない。

「なんだ? 謎があるって意味かそれは」

「その意味だが、依頼についてじゃない。そっちは何万回も言ったが構造としてはすでに終わったことだよ」

「イレギュラーな依頼、ねえ」

「謎としての構造自体はいつものとおりだよ。強調しておくが」

「まあ、なんだ」としばっさんはまとめるように言った。「嫌な春休みの思い出にならないことは願ってる」

「しばっさんにとってもね」と私は言った。

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