10話:教師の隠しごと4
「先輩にとってすこし劇的なファクターがあるのは承知ですが」と私は言った。「ぼく自身が柴田哲朗教諭が早瀬莉子に原稿を見せたという事実自体をここでどうこう言う気はありません」
「見せたのは見せたんだね?」と安賀多先輩は言った。
「そこで見せてなければなにも起こらないですからね。すくなくとも、安賀多先輩の両親の離婚は起こりにくかったでしょう。結婚自体がなかった可能性もありますが」
「『過去になにもすれ違わなかった』世界の話ね」
「いまのような経緯ではなかっただろうというだけで、いまの状態にならなかった保証はどこにもない、という点だけご理解いただければそう表現しても問題ないでしょう」
「人生の複雑さについてしゃべってる?」
「ぼくは可能性を提示しているわけですから。可能性がないわけではないことはフェアに提示したい」
「柴田先生をどこかで犯人あつかいしてたと思うけど、きみなりの演出上の話ってことかな」と安賀多先輩は納得するかのように言った。
「きっかけはきっかけです。この依頼で犯人らしき人物がいるとすれば、それはしばっさん以外にありえないというのは譲る気はないですね。単純なミスとは言えないが、過度な心情考察も同様に情報を歪めます」
それ以上、ことばは続かなかった。
至極当然の結果である。
しばっさん以外に似つかわしい発話者はいない。
「たしかに見せたよ」と一拍おいてしばっさんはあきらめたように言った。
「しばっさん、そろそろ原稿を出してもいいとぼくは思っているが」とストレートに私は断言する。
「いい頃合いだと言うことはわかるぞ」としばっさんは言った。「俺が原稿を見せたことが、賢章と莉子のすれちがいに結びついたのはそうだろうから」
「3本目はあるの?」と私は訊いた。
「3本目はない」
「そうなるか」
「持って帰ったよ。もうだれにも見せる気はないって」
「だれが! なにを! どうしたのか!」と宮田が案の定声をあげる。
「ここで言う3本目は早瀬莉子が『彗星』の前に掲載する予定だった原稿のことだ。しばっさんの手元にはあってもなくてもおかしくなかったが、たったいま本人からないと言われた」
あったとしてもそれだけは出さない可能性もあるが、と思ったが言いはしなかった。
確定していないディテイルについては言及すべきではない。
「3本目はちょっと情報が唐突に思えるけど。まあ、まずきみがエビデンスだという原稿2本については詳しく説明して欲しいところだ」と安賀多先輩はすこし考えてから言った。
安賀多先輩がなにを考えているのかはわからなかったが、たしかに2本の残り1本がなんなのかはわかりにくくはあるので、単純な疑問なのかもしれない、とも思った。
様子からはなにもわからないとき、なにを考えていそうかということはヒントがなさすぎるので悪問だ。
「『雲海』62号にある『花の散る季節のきみへ』は、当時の安賀多賢章の筆力から考えて不当に完成度が低い。それこそ早瀬莉子に疑念をいだかせる程度には。執筆時間もある程度はあったと考えられますから、もともとまったくべつの作品が掲載される予定だったと考えるのが自然です」
「その掲載予定だった未掲載の原稿が1本目」と安賀多先輩は情報を噛みしめるように言った。「でもそうすると残りの1本はなに、ってことにならない? 出て来そうなのは62号掲載の『花の散る季節のきみへ』の原稿なんだろうけど、載ってるわけじゃない、ここに」
当然の疑問である。
なぜ掲載したものの原稿を隠しているのか。合理性を欠いた行動に見える。
「それが残りの1本でまちがいないですよ」
「わからん! 全然わかりません、先輩!」と宮田はもはやテンポを阻害することが役目だと認識したようである。
無論、助手役に求められるタスクはそんなものではないが。
「ことばのとおりだよ。ここに掲載された文章と、同じ文字情報が書かれた原稿が特定状況下でちがう意味をもっただけだ」
「……原稿そのものか」と安賀多先輩が気づく。
「御名答。その原稿にはなんらかの付加情報がある。さすがに現物を見ていないので、どういう情報がついているのかはわかりませんが」
「整理させてほしいんだけど」と安賀多先輩は前置きした。「父さんも早瀬莉子さんも載せる作品を差し替えてる。きみがエビデンスだと呼んでいるのは、差し替え前のふたりの原稿2本と差し替えた父さんのほうの文字以外の情報がついてる原稿で3本。父さんが書いた2本は柴田先生が隠し持っているが、早瀬莉子さんのほうの差し替え前はない」
「そうです。ひとつだけ念を押すなら、早瀬莉子の『彗星』の内容から考えるに、差し替えたのは淡田彗星の『花の散る季節のきみへ』の原稿を見たあとであるということだけです。あとはもうなにも足す情報がない」と私は言ったが、宮田と安賀多先輩はそれどころではない様子だった。
もちろん、ふたりの視線を集めている柴田もそれどころではない。
当時、早瀬莉子に問い詰めに来られた顧問はあまりに複雑すぎて苦くなったという表情を抱えたまま沈黙している。
ここでもう原稿2本を見せるのが手っ取り早い解決であるというのは当人も自覚はしているだろう。
ではなぜここまで「開示するつもりはある」と言ったエビデンスの公開に躊躇いを見せているのか。
そうであってもいいが、そうでないほうが好ましい、と私が思っている感情が25年前のしばっさんにあったのであろうと推測するに充分な態度でもある。
ただこれによって、私のしばっさんに対する感情が変化することもない。
そういうこともありうるだろうし、淡田彗星、早瀬莉子としばっさんの関係性を考えれば充分にありえることではある。
ただ、好ましくはないだけだ。
「名探偵」としばっさんは重い口を開いた。「相談してもいいかい?」
「構わないよ、もちろん」と私は短く答えた。
その重苦しいことばは、しばっさん自身も自身の過去の感情を罪と捉えていることの証左でしかない。
安賀多先輩や宮田が持っているであろう仮定よりも多くの情報を含みすぎてしまっている。
やはり、人間はしゃべるだけで内容以上の情報を落としてしまう。
私は無論、それを指摘しない。
それはたとえ依頼者である安賀多先輩でさえ、知る必要はないと考えるからだ。
率直に言えば、私はしばっさん本人が「隠せるなら隠したい」と言っている感情そのものは、隠しておいたままでいいと判断している。
ただ当人としては(すくなくとも私には)どこかで吐露するつもりなのだろうということは、これまでの言動を考えれば容易に推察できる。
しかし。
だから。
やはり。
私には好ましくないことだ。
このまま原稿2本を開示して、それが「教師の隠しごと」のディテイルだと言うことでだれも文句は言わないだろう。
それがフェアネスを欠くことなのかどうかは、私にはわからない。
圧倒的にフェアネスを欠いているのなら、私はすでに開示しているだろう。
だが、そうではない。
安賀多先輩の依頼に対するディテイルとしては原稿2本で充分説得力がある。
「予はここで詳らかにされたと主張すべきであろうな!」となにも仕事をしていないのにもかかわらず、なにかをやりきったかのように教師の隠しごとが私の荒野で宣言する。
それが波風が立たない、と私の脆弱な社会規範も同様に忠告している。
無論、社会規範は荒野にはいないため、これは私自身が思うほかない。
「しかし、邪智暴虐な探偵はそのようなわけにもいかないのだろう」と教師の隠しごとは言った。「好むと好まざるとにかかわらず、進まなければならないのだ」
私はその声には反応せず、
「では、すこし我々は外します。先輩たちはエビデンスを確認しておいてください」と言って、しばっさんと部室を出た。
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