6話:名探偵はご不満


「では、これからディテイルを詰めます。まずは依頼者の把握能力に合わせて依頼とその構造を正確にまとめるとしましょう」と私はしぶしぶ言った。

「いや、おい、後輩」と安賀多先輩は言った。

「先輩……」と宮田はあきれた様子だ。

「なんだ?」

「まあでも、安賀多先輩、あきらめてください。シデ先輩はこういうひとです」

「その発言は正確性を欠く。宮田にも合わせてる」

「わかりましたから、余計なことはなんもしゃべらずにそうしてください!」

「いいだろう。安賀多先輩の依頼はこうだ、父親が母親と離婚した理由が知りたい」

「ニュアンスがそのようではなかったと把握能力の低い先輩は把握しているよ」

「正確には『父親が母を捨てた理由が知りたい』ですが、ニュートラルにすれば完全に両親の離婚理由が知りたいというだけの話です」

「なるほど! ……でも、なんでシデ先輩に?」と宮田が言った。

「そこのおっさん経由だよ。依頼の持ち込みルート自体はよくあるパターンだ」


 その予測しやすい事実を確認して、おまえはなにがしたいんだとは言わない。

 私の薄弱な社会的行動規範に照らし合わせて、というよりは宮田の発言をいちいち真面目に考えることにはそれほど意味がないという経験則からだ。


「これはまだ依頼の解決編だととらないでほしいのですが」と前置きしておく。


 なにしろ、依頼者が知らない前提となる情報がまだいくつもある。

 さすがにこれではフェアネスを欠く。


「いつも最短距離でおしまいにしようとするのに!?」と宮田が声を上げる。

「いつもいちおうの配慮はしている。つぎの謎のためにな。今回もその範疇だ」

「つまり、構造的な説明とやらをいまから開示はしてくれる、と」と安賀多先輩が言った。

「理解が早くて助かります。構造的にはポイントは3つです。

 1、そのおっさんが隠していること。

 2、先輩の両親それぞれの選択――つまり、先輩が『捨てた』と形容した離婚の中身。

 3、数十年前、ある種のすれ違いが淡田彗星と当時の彼にとってのファム・ファタールのあいだで起こった。

 この3点がこの依頼の構造のすべてです。


 ぼくはディテイルを謎とは呼ばないので、構造の詳細には正直あまり興味がない」

「これできみとしては解決と主張したいわけね?」

「ぼくにとって解決と同義ですが、先輩にとってはそうではない。これがあなたの依頼内容のすべてですと言っても承服しかねるということはぼくにもわかります」

「そうだね。これで解決だと言われたら、ボンクラ探偵だと吹聴してまわる」

「じつに由々しい」と私は答えた。「現段階ではこの構造を安賀多先輩はどう解釈しますか?」

「父と誰か――たぶん、離婚の理由になった女性だね? ふたりに学生時代になにかがあって、別れた。で、時間がたって私の母と別れた。……あれ、柴田先生は?」と安賀多先輩は論理的結論を出せなかった。

「時系列に沿えば、淡田彗星と彼のファム・ファタールのすれ違いがしばっさんが隠している事情を経由して起こった。時間経過後に些事ですれ違いが解消され、淡田彗星と先輩の母親の離婚に繋がり、捨てたと先輩が形容した状態になった。ということです」

「些事……?」

「便宜的に些事と呼ぶと言ってもいいですが、先輩にとってもそんなに重要じゃないと思いますよ」

「そんなことある? 離婚のきっかけそのものじゃない?」

「これは言ってしまえば代替可能な事象ですからね。本当になんだっていい。ただ、その事象は誰の話も聞かなくても予測可能なレベルのものですよ。この学校を見て回ればわかる」

「……ああ、か」と安賀多先輩はすこし考えてから言った。

「そう考えるのが妥当でしょう。ただ他のきっかけで個別に連絡をとったとしても不思議ではない。つまり代替可能です」

「そこには特筆すべきことはないってこと?」

「きっかけそのものには特筆することは断じてないです。

 ただ長年の没交渉だったふたりが急にコンタクトした理由は、場合によっては強い補強材料にはなるでしょう。さきに挙げた3構造に直接入りはしませんが。

 ちなみに補強材料について触れるべきかが現段階では判断不能です。いったん、過去のすれ違いの解消は講演をきっかけに起こった、くらいで支障はないと判断しています」

「なぜいま判断不能なんだろうか」

「回答を拒否します」

「ええ!?」と宮田が言った。「なんでですか!?」

「なぜ判断できないのか、ぼくにもわからないからだ」


 私の荒野でパーティをしているものものが、これ、これだよ! すごいなおまえ! と正体不明の4体目を褒めるように騒いでいるが、私は当然無視する。

 宮田も宮田で天と地が入れ替わったような顔をしているが、私にもわからないことはある。


「補強材料については、まず最低ひとりはいると思われる証言者が語るかどうかに委ねるというのが、個人の意志の尊重という観点からはおそらく社会通念上推奨されるだろう、ということも付言しておきます」

「証言者……?」と安賀多先輩は言った。

「しばっさん、たぶん連絡はしてあるよね?」

「相変わらずだな、おまえは」

「手配してるのはしばっさんだよ」

「呼んでなかったらどうするつもりだったんだ?」

「ぼくにこの話を持ってきた価値がすくなくともしばっさん的には薄れる。それを安賀多先輩が望んでいるかはぼくにはわからないけど」

「わたし? わたしの依頼と関係あるの?」

「一般的にはあると思いますよ。これは安賀多先輩の依頼ですが、じつはしばっさんにも望んでいる落としどころは存在する」

「否定はしない」としばっさんは言い切った。

「その証言者がいつ登場するのかは、あとでぼくがしばっさんと話してからはっきりするとは思いますが、とりあえずいまは証言者が最低ひとり来るということだけで充分でしょう。淡田彗星がふたりめの証言者として出てくるかどうかはぼくにはわかりませんが」

「お父さん? 昨日連絡したけど東京いると思うよ」

「ああ……まあ、それなら証言者はひとりだけです。安賀多先輩の母親が証言者たりえますが、しばっさんがコンタクトできるとは思わない」

「ねえ、なんかちょっとガッカリした?」と安賀多先輩はいたずらっぽく尋ねる。

「ガッカリはしていない」

「もしよかったら今度お父さんと会う?」

「だからファンじゃないです。そもそも家族に紹介するというのは一般的には非常に関係性の密接さを連想させます」

「飛躍しすぎでしょ。だいたいきみはお嬢さんをぼくにくださいとか前時代的なこと言うタイプじゃないでしょ」

「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立するものだというのは当然ですが、そういう話ではない。断じてそういうたぐいの話ではない。そもそもですよ、その好意があるという前提……? いや、待て、なにがそもそもなのか……そもそも……?」

「さては、きみ、この手の話題に極端に弱いな? 冗談だよ」と安賀多先輩はまたいたずらっぽく笑った。


 じつにいたずらをしている感をわかりやすく出して来るひとである。


「まあ、とかく。しばっさんに予測されうる最悪のケースよりはマシにできるかもしれないし、そうではないかもしれない。このぼくの経験則にそのへんはかかってるね。しばっさんにできるのは祈るだけ」

「……こうなるとはなあ」

「すこし覚悟が足りてなかった?」

「いや、そこまで考えてすらない。どうなってもしょうがないという気持ちでおまえにこの話を持ってきた」としばっさんはすこし暗い顔で言った。「あるいは俺の責任の取り方でもあるか」

「そのあたりはしばっさんの問題だからね。ぼくにはなにもできないが、なるべくソフトランディングは目指す。恩義も多少はあるしね」


 しばっさんがそれに軽口で返答しないのを見て、私は依頼に戻ることにした。


「それでは、ポイント1教師の隠しごとからディテイルを詰めていきます。よろしいですか、依頼者さま?」

「いいころあいだろうね、名探偵」と安賀多先輩は時計を見て言った。


 10時半手前。安賀多先輩がここにきてから1時間ほど経過していた。


「ディテイルと同時に前提となる情報も加えていきますが、情報密度はコントロールするつもりですからご安心を」


 そう私が言うと、宮田がまた余計なことを、とつぶやいた。

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