5話:荒野の馬脚
安賀多先輩が宮田とあいさつがてら軽く話しているあいだ、私はやはり私の荒野と会話するよりほかなかった。
おもに私の中のフェアネスの観点からである。
解決されていない謎はもう荒野にはない。
「ではそういうことなのでー、ここでまたちょっとだけ話しますね」と荒野は言った。
どうせさきほどの3体のうち2体しか名前出してませんので、などと言う気なのだろう。
「いやー、フェアネスですよ、フェアネス」
しかし私からしてみれば、見ればわかるものがフェアネスを主張するのは滑稽である。
残るひとつの名前は「過去のすれ違い」である。
つまり、ただの読み忘れに分類される行為だ。フェアネスも行き過ぎれば退屈なだけだ。
「読み忘れ……」と過去のすれ違いは完全にこころを折られている。
「というがね、きみ」と教師の隠しごとがおそるおそる言った。「それだけの世界でしかないのだよこれは」
こいつが怯えを見せていることもたいへん不快である。さきの「父親の黙秘」と「母親の選択の違和感」が「捨てた」に統合され、個体としては消えてしまったことへの恐怖がありありと見て取れる。
矜持は、矜持はないのか!
そも名を読まれるまでがこいつらの謎としての寿命である。すでにことばにすれば旬が終わるのである。
旬は短く、味も薄い。
「あー、なんと反逆的なことか。せっかく出てきてやったのに」とやけになった教師の隠しごとは言った。
なぜこうもストラクチュアの分際で、謎としての矜持を持ち合わせている風を装うのか。
この愚にもつかない謎と名乗るものもののマヌケ面。あな口惜しい。
「教師の隠しごと」「捨てた」「過去のすれ違い」。
そのまま読めばいい。どこになんの謎があるというのか。責任者はどこだ。この世界の創造主は創造主たる自覚がたりない。
いや、無論それは私だ。
つまり私にとてもよく刺さる批判である。反論失敗。責任の所在云々は軽々であったと言わざるをえない。無念だ。
「予だって頑張ったんじぇ……」とやはり捨てたは泣いているが、きやつがなんの努力をしたのかは創造主たる私にさえまったく想像がつかない。
まったく、おまえたちはいつもすぐに馬脚をさらす。馬脚があらわれすぎていて、もはや最初から馬だ。
このような愚物どもにこれ以上付き合っている価値はないと私はいつものように切り捨てていこうと決意した。
そして今夜の夕食を具体的に想起し始めた。
あるいはまだなにかしゃべるかもしれないとほんのわずかに期待していたのかもしれない。夕食を想像するあいだの猶予である。
「しかし、予たちも悪いとは思ってるんだよヒヒーン」と教師の隠しごとが勇気を振り絞るそぶりで言った。
「だいたい歯ごたえがないって、それ予たちの責任じゃなくね?」と過去のすれ違いがふてくされた様子で訴える。
いや、出てきているのはおまえたちだ。それでもなんとかすべきである。
「ならんよ。ならんてそれは。だってもう情報入れたらわかっちゃうじゃん。態度と事前情報だけでしばっちゃんが秘密握ってるってわかるのズルいって。止めようがないじゃんそんなの。言い当てられた予の『教師の隠しごと』としての矜持も考えてくれていいんじゃないの」
「そうそう。瞬殺するからディテイル詰める作業になってキレるハメになるわけでしょ」と過去のすれ違いも追随する。「持ちつ持たれつだよ、本来こういうのは」
揃いも揃って水のごとし。なんの噛み応えもない愚痴である。
これでは夕食の献立のほうがまだ情報密度が高い。
なるほど荒野は今日も平穏であり不変であり、積み上がるのはその平穏に対する不満だけだと言えばそれなりにポエティックに聞こえるかもしれない。
「でもさ、名探偵。わかってくれよ。予たちはきみの荒野にすこしだけ刺激を与えたいだけなんだよ」と捨てたは泣き止んで言ったが、それはなんのための発言なのかは私にはわからない。
私はそれには反応せずに、依頼人にこの体たらくな構造たちの説明をするつもりでいた。
が、その瞬間。
三愚人よりすこし離れた視界の奥、なにかがいる。
なんとなにかがいるではないか!
三愚人よりもずいぶんと小さく、存在感自体が希薄である。存在感が薄いなどという抽象的な話ですらなく、実体として薄い。
いや、待て。
なんだおまえは。私の荒野に名前を持たないおまえがなぜいる?
「え……もう気づくの?」と得体のしれないものは言った。
私はこの世界の邪智暴虐なる王である。
これだけ広大だが、隠すもののなにもない荒野で見知らぬ影があれば、それは気づくだろう。
しかし、名がわからぬ。たかがそれしきの異常事態だ。
「そんな嘘ついていいの?」と得体のしれないものは控え目に言う。
これは痛い。激痛である。なるほど、私は「たかがそれしき」などとは微塵も思っていなかった。ちまたに溢れる凡百のどうでもいい会話同様、音だ。意味ののらない恥ずべき発音である。
自身に言い聞かせるように嘘をついた。
じつに矜持がないではないか!
訂正する。
この些細な荒野の変化に気づけた私はたしかにすごいが、気づいたということ自体、それまで私が私の荒野になにが起こっているのか知らなかったということになる。
すでに知っている情報に気づくことはできない。
だから、これはとてつもない異常事態であり、私は危機感を覚えるべきである。
「私の名前は?」とそれは尋ねた。
なんたる……なんたることか。
この世界の創造主、全知全能たる荒野の支配者である私が、その名がわからない。
声を聞いてなお、まるで皆目いっさいさっぱり検討がつかない。
こいつには紙も貼っていなければ、そもそもどのくらいの大きさなのかさえもわからない。
「待て、これはなんだ?」
ああ、私は言ってしまった!
なんたることか。
果たして、私のミスを見て三愚人がとてつもなく喜んでいた。
捨てたと教師の隠しごとに至っては、どこからか用意した「熱烈歓迎、推理時間!」などという横断幕を掲げている。
なぜかは知らないが今回の依頼の主題の自覚があった様子の過去のすれ違いは、ほんのすこしだけ寂しそうでもあるが、それでも小躍りしている。
「予たちが喜んでいるということは、この荒野のパーティだよ!」と捨てたが言い切った。
「どうした? わたしなんかへんなこと言ってた?」と安賀多先輩が言ったので、私は残念ながらひとりごと野郎の烙印を押されかねない危機に面していると自覚した。
「いや、思考が一段落したにすぎません」と愚にもつかないいいわけをしてみたが、やや虚しい。
「なにか不具合でも起こったのかと思ったよ、スーパーコンピュータ」
「スーパースターでありたいと考えています」
「なるほど。きみにそういう願望があったことは新鮮だよ」と安賀多先輩はにやける。
「あ、そう言えばシデ先輩『さて』ってもう言ったんですか?」と宮田が言った。
私の脳内はいま明白な構造をしている謎どもが絶賛パーティ中である。それどころではない。
いま、宮田はまるで話題を変えるような発言をした。
彼女は動物的にカンがいい。
こと現在においては、ことばにするほどでもなく、ことばにできるほどでもなかったが、彼女もまたなにがしかの判断不能な感情をいだいているようにも見えた。
もしかしたら宮田にとっては社会通念上の発話なのかもしれなかったが、考えたところで私にはわかりようもない。宮田は基本的には理解不能である。
結果、宮田はなにかの違和感を言語化しようとしたのかもしれないが、それには失敗して凡庸な事実の確認に着地した。
「言ったよ」と私は凡庸な確認に対し、安直に認めた。
「私、依頼内容すら聞いてないですけどね!」
「それはおまえが遅刻したからだろ」
「では探偵先輩はこのまま進められないほどの混乱を抱えていますか?」
「そんなわけないだろう。もう構造は丸裸だ」
「……いつものシデ先輩らしくディテイルを詰めていったらどうです?」と宮田はすこしだけ不満そうに言った。
無論、私にとってはよくわからないなにかが自身の荒野にいることのほうが喫緊の問題だ。
安賀多先輩という依頼者がいようといまいと関わりは薄いであろう問題であるから、もちろん依頼者への対応を優先すべきであると、宮田なら主張するだろう。
それはある点から見ればたしかに正しいのかもしれないが、そもそも謎かどうかもわからないものが、この私の中にいることの不快感――いや、もしかすると一般には不安感と言い換えたほうがいいのかもしれないが、とにかく私自身がアンコンフォータブルな状態であることには相違ない。
まさか、この状態のまま放置する精神力が社会通念上試されているというのだろうか。それはあまりに苛烈ではないか。
と私はすこし大仰に荒野に語りかけるように自問してみたが、やはりやつらはカーニバル中で私のことばなど聞こえていない様子だ。
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