4話:遅刻してきたワトソン


「それで依頼についての確認ってそれだけなの?」

「そうですね。あとはまあ……伝え方だけじゃないですか、一般的に言い表すとしたら」

「つまり、きみにはもう父親がわたしたちを捨てた理由がわかってる?」

「そもそも捨てたというワードチョイスがやや偽悪的であろうということを含めて、構造として有力な推論はとっくに存在していますが、先輩のような依頼者が期待するのは構造よりもエビデンスやディテイルだと解釈しています。ぼくはそこを依頼者に合わせて提示するがゆえに、つぎの謎がやってくる」

「なるほど、きみもすこし偽悪的には見えるけど」と安賀多先輩は笑う。

「ぼくにとって謎は勝手にやってきて、勝手に消えていくものです。長々考え込む必要があるものばかりだといいけど、それは数えるほど。たいていはいま先輩が持ってきたみたいな、瞬間的に構造がときほぐれるタイプのものです」

「あまり不思議がない依頼ですまないね」

「いえ、それでもないよりはずっとマシなんですよ」

「きみはなぜに死ぬほど率直なのだろう?」

「そういうものですよ、ぼくは。世界が変わればいいだけです」

「とてもジコチューだ」と安賀多先輩は言った。それを言う安賀多先輩も充分に率直である。「言うほど不愉快じゃないけど」


 ん? 想定とはまたちがう。

 どうやらこのひとはすこしずつなにかがズレている。この私に言われるのだからまちがいない。


「すみません、すこし想定にないですね」

「そんなこともあるんだ」

「よくありますよ。ぼくの求めている閾値からはみ出ているものは予測しにくい」

「言うほど不愉快ではないかもしれないが、思い切り乱してやりたくなるくらい生意気ではある」

「なるほどつまり、安賀多先輩は愉快なひとかもしれない」

「褒めてる? わたしそれなりにかわいいしね」

「ルッキズムの権化みたいなひとですね」

「いくらわたしでも、そんなにビジュアルのアドバンテージはないだろ」

「ルッキズムは褒めことばではないですね、通常。そして、いまのコンテクストにおいても同じです。かわいいという意味でもないです」

「まあ、いいじゃんそういうの」

「いいんですけどね」

「でも、謎が解けているなら、なぜきみはひとを集めて『さて』と言わないのだろうか、名探偵」

とは、最初にもう言いましたけどね」

「あれは区切りでしょうが」

「ですから、あの段階でほとんどぼくにとっての謎は終わってるんですよ」

「依頼を聞く前じゃないか」と安賀多先輩は笑う。「そしてそこから結構考えてたように見えたけど」

「直感的には終わっていますが、言語化はいるんですよ、このぼくにもね。相手がどのくらいの説明でわかるかは、変数ですから。ぼく個人の問題ではないので、チューニングの時間は必要です」

「直感的には秒で終わっている?」

「そうです。ぼく個人の満足はそこで終わりです。ぼくにとっては、謎は口に含んだときにしか味はしない。咀嚼は咀嚼でしかありません」

「それでも依頼内容を聞く前だとさすがに見切り発車じゃないかね、名探偵?」

「ならばその言い分は認めましょう。ただ現段階では構造的にはなぜ安賀多先輩の両親が離婚したかはぼくにはわかっている」

「早いけど合ってるかはわからないじゃない」

「安賀多先輩にはすぐわかると思いますよ。ぼくはこの程度であれば外さない」

「自信家だなー。では、さてと言ってもらおうか、名探偵!」とすこし安賀多先輩は茶化した。


 名探偵は事件が解決しそうなときに、と言う。

 ただ私のようにすでに興味が終わった探偵役はなにを言えば適切だろうか。

 適切な解はなく、結局また私は社会通念上こう口にせざるをえない。


。エビデンスやディテイルを提供してもたぶん1日で片付くと思いますけど、安賀多先輩はどのくらい時間あるんですか?」

「今日はだいじょうぶだけど、今日わかるの?」

「まずまちがいなく」

「まあ、父のことは詳しそうだもんね、どちらかというとに立っているようにも見える」

「ぼくはフラットですし、そもそもさして詳しくはない」

「父の作品は読んでるの?」

「ひととおり。おもにそこのおっさんのせいですが」

「ひととおり。わたしじつは全部は読んでないんだよね。意外とファンなのかね?」

「いや、あまり淡田彗星は好きじゃないですね。エンタメ小説は嫌いじゃないけど、淡田彗星はあまり好きじゃない」

「じゃあ、わたしは?」

「すごい質問ですね。結構自信があるようだ」

「そんなこともないけど、嫌われてるのかな、って」

「嫌うほど感情はないですね。さっき会ったばかりですし」

「2年は同じ学校いたよね?」

「スカーフと上履きと名札の色でしか認識させないようにしている学校側の戦略的統制の弊害ですね」

「そんなことはないと思うよ」

「まあ、ぼくには区別がつきません。ただ話したら忘れないので、安賀多先輩はちゃんと認識されました」

「わたし、ロボットと話してる?」

「あまりに発展した科学はときに魔法のように見えるというのはわからないでもないですが、残念ながらぼくは科学全体を代表するほどの知力は持ち合わせていない」

「うーん、わかった」と安賀多先輩は言った。「きみは愉快で生意気でもしかしたら探偵として優秀かもしれないが、依頼者への対応には難がありそうだ」

「そこはだいじょうぶだ」と私が抗議する前にしばっさんが言った。「さっきも言ったが鴫沼は悪いやつじゃないし、さすがにそろそろ潤滑油がくる」

「潤滑油?」

「通訳、フィルター、手綱。鴫沼にとって必要不可欠なものだ」

「失敬な。ぼくはぼくとして完成している」

「完成している姿が社会と軋轢を生むんだよ」

「そうですよ!」と開きかけていたドアを勢いよく完全に開けて、女生徒がひとり入ってきた。


 彼女は制服だった。スカーフが青く、名札の上にも青いラインが入っている。青はいまの1年生に割り当てられている色だが、私はその指摘はもちろんしない。なぜなら既知だから。

 彼女は文芸部の後輩である。


「いつからいた、宮田」と私は言った。

「シデ先輩がこうしてこうしてこうな顔してドヤってたところからすね!」


 ちなみにこの「シデ先輩」という呼称は、宮田が私の名字をしばらく正確に読めなかったことに起因する。


「してない。いちいち語尾にエクスクラメーションマークつけたようなしゃべり方しやがって」

「やっぱり、どこからいたかわからんな」としばっさんが笑って冷静に言う。

「すいません、たったいま来ました! ジャストナウ! だから25分くらい遅刻ですね!」と宮田は元気に笑った。


 時計は9時半をとっくに回り、10時手前である。


「春休みの私が9時台に部室に来たことをむしろ褒めるべきです! ね!」

「清々しいな」としばっさん。「というわけでこれで今回の話の役者は揃った」

「宮田は必要とは言いがたいし、まだいるでしょう。すくなくとももうひとり出てくることは確定している」

「ふつうは確定しねえよ」としばっさんがややあきれて言った。「どういう回路してんだよ」

「いや、先生、待ってください! そのまえが納得行かない! シデ先輩と言えば私、私と言えばシデ先輩ですよ。この1年どれだけの難事件を解決してきたコンビだと思ってるんですか!」


 賑やかな自称ワトソンはそう主張するが、しばっさんさえあまりそれには同調できない様子である。

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