3話:現れたとき謎は解けている

「どうもー荒野ですー。ちゃんと依頼になったみたいなのでいちおう出てきましたー」


 目の前に依頼者がいるときに出てくるのは私への挑戦である。


「そうは言ってもいつもそうですよ」

「そうそう」と荒野のそばにいるやつが言った。

「はい、今日も謎の方々が来ていますので」と荒野が言った。「ひとりずつ紹介していきますねえ」


 いらないだろ。

 名前はそいつらの顔に貼ってある。

 たとえばいま「そうそう」などと呑気なことを言っているやつの額にはデカデカとゴチック調で「教師の隠しごと」と書いた紙がはってある。

 このような児戯で私に謎などと名乗るのはいかなることか。私は激怒していた。

 私の荒野にかのような愚人は繰り返し訪れるが、いかにもな風貌をしている者は数少ない。たいていはこいつらのように明示された名を恥ずかしげもなくおのれの肉体に掲示している。

 私の荒野に謎を持ち込むと大言壮語するのであれば、せめて名を隠せ、名を!


「予はこの荒野に謎を示すもの、かの四賢人のひとりである。名は――」


 まさか指摘を無視するとは思いもよらなかった。思ったよりもアホウである。

 教師の隠しごとであろうが愚か者。貴様のその愚にもつかない風貌で賢人を名乗るとは笑止。きさまらなど愚人だ! と私は叫びかけたが止した。

 ここで叫んでは、私は安賀多先輩としばっさんの前で突如叫んだだけの危うい人物と化す。

 いかな私とは言え、この屈辱には耐えられまい。


「賢明ですねえ」と荒野はにやつきながら言った。「健気とすら言えるかもしれない」


 顔はシルエットで見えないのに、にやついていることはわかる、不快な友人である。


「ええーじゃあ、ぼく消えますか? 進行役いなくなりますけど?」


 この荒野の自信は歯がゆいものではあるが、もっともだ。やつは消えない。

 この「教師の隠しごと」のような謎とすら言えない謎はいずれ消えるが、荒野は消えない。

 なにしろこの荒野そのものなのである。私の世界であり、私の思考であり、私そのもの……は言い過ぎだが、私の一部であることは間違いがない。


「だからぼくはあなたの唯一の友人なわけでね」


 クソみたいな満足をしているようで嬉しいよ、マイフレンド。

 しかして、私はその荒野への憤りを八つ当たりするように、異物を切り刻まなければならない。


「すでに荒野のぬしたる住春さまはご存知でしょうけど、いちおう4体ご紹介しておきますねー」と荒野はわざとらしいマヌケさをアピールする。


 いらん! いかな色のない荒野を生きていようと、そのようなわかりやすすぎるやつらが自身を謎と呼称するのは許さぬ!


「しかし、荒野は寂しかろう?」とまだ名を読まれていない2人目がしたり顔で言う。


 いかに寂しくともだ! そも、寂しさを紛らわす気があるのなら、せめて賑やかせ!

 これは私の愛すべき荒野に対する侮辱である。

 謎だと主張しながら謎がないではないか。エビの入っていない海老天、それはしっぽところもである。これは海老天ではない。ただのころもだ。

 そもそもだ、4などと呼称するわりに3ではないか。と私は3人目と4人目の文字を額から剥ぎ取る。


「あああああああああ! ごむたいな!」と3人目。

「ひええええええええ! ご容赦を!」と4人目。


 それぞれ元の名は「父親の黙秘」と「母親の選択の違和感」であった。

 統合され、2体だったものは1体になり、「捨てた」という名になった。

 果たして、私の荒野に来た四愚人はもはや三愚人である。由々しい。まことに由々しい事態である。ただたんに数が多いほうが謎らしかろう? 難しかろう? という児戯である。

 そしてあっさり間引きされるのだ。アホウにもほどがある。


「なんじぇ、なんじぇですかぁ……」と統合された「捨てた」が泣いている。


 どこにも父親の黙秘と母親の選択の違和感が出ていないと言いたいのだろう。そもそも安賀多先輩の「捨てた」という発言から分割して認識したのは私自身ではないかという抗議も籠もっているだろう。

 ただ、この荒野は私がルールである。

 たしかに瞬時に分割はしたが、分割するほどの謎ではなかったということだ。


「安賀多先輩が東京出身だって確認もしてないのにあんまりじぇ……」と捨てたは恨み言を述べている。


 そんなものは訊けばすむ話だ。

 だいたい状況からして当然である。

 淡田彗星はデビューから東京が拠点だ。その娘も当然東京出身だ。

 それがわざわざ九生にいるのだ。これは離婚後の保護者である母親の選択であるだろうが、そこには聞いても聞かなくても些事であるドラマがあるのだろう。

 そして、安賀多先輩自身が、父が自分たちを捨てた理由を尋ねているからには、父親はさして離婚について語っていないと考えられる。

「捨てた」という発言から、この2コに分化されるのは当たり前のことだが、この荒野に謎然として現れるには重要なトピックではない。

 つまり、私がたしかに理解のためにわけたが、おまえらなど登場枠としてはひとつで充分だ。


「邪智、邪智暴虐なのじぇ……」と捨てたは相変わらず泣き続ける。


 そこで、


「なにか言ったほうがいい?」と安賀多先輩が言った。


 なるほどたしかに、私はいま黙っていた。

 いや、やかましく謎を主張する正体明白な輩と会話はしていたが、安賀多先輩から見れば不思議な沈黙だっただろう。

 しばっさんはよくあることだと言わんばかりに眺めているだけだ。

 私の扱いに関して、しばっさんは比較的心得ている。


「いえ、すこし整理をね。依頼内容について確認をしていいですか?」

「いくらでも」と安賀多先輩は言った。「でも、てっきり、ほらありきたりな家庭問題の謎だ、とか言われるかと思ったよ」

「思いましたが言ってません」

「そのくらいの分別はある?」

「先輩はぼくのことをなにか得体のしれないものと思ってますか?」

「社会性はないのは明白だと思うけど」と安賀多先輩は容赦がないが、「ただそうだね……。きみは自分の自己肯定感が強いと思う?」


 安賀多先輩はこれまでの依頼者よりは閾値をすこし越えたことを言ってきた。

 なるほど、質問の意図は? と尋ねる可能性もあったが、私にあるいささかの社会性がそれを咎めた。


「正確な現状の認識はしているという自負はありますよ」

「その上で、個人の特性と主観ってものがあるでしょ」

「なかなか不快な質問ですね。ご推察の通り、その意味では比較的ぼくは自己肯定感が低いほうに分類されることでしょう」

「そう。そんな気がしたよ、なんとなくだけど。だから、というのも変だけど、わたしに対してはあまり気を使わなくていいよ。この話が、そもそもわたしの中での折り合い、の問題だという自覚はある。きみがわたしにどう伝わるかを考える必要はあまりない……かもしれない」

「それは離婚の理由をオブラートに包んで提供しようが、そのままぶつけようが先輩の心象は同じ、という意味で言ってますか?」

「ちょっとちがうような気もするけど」

「正確な言語化の必要はないですから、かまいませんよ。ただ――いや、これはいいです」と私は思いついた質問をしなかった。


 それは先輩は、母親の行動についてどう思いますかというたぐいのものだが、まだこれを訊くのは早すぎる。


「確認は1点。先輩の捨てたということばについてですが、そのことばは父親と母親の態度から推察した結果でそう発言したと捉えていいですか?」

「父は詳しくは話してないけど、母の態度はそうかもね。どうあれ結論として捨ててはいるでしょ? とも思うけど」


 なるほど想定通りの回答ではあったが、これを言うことも私は止した。

 言わないほうがいいことが世の中にあるということは、すでに学習済みである。

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