2話:こじんまりとした依頼

「きみはもしかしてすごいひとなのかな?」と安賀多先輩は言ったが、しかしそれは適当ではない。


 私は事前の情報と、彼女の持ってきた情報から確率の高い答えを提示したにすぎない。

 人間など情報のカタマリだ。服を着ていれば(着ていなくても)情報は落ちるし、しゃべれば(しゃべらなくても)情報は落ちる。存在自体が情報である。

 これに驚愕するというのであれば、蕾が花開くたびに新しい信仰が生まれかねない。


「もし名前がハズれてたら探偵役として能力不足ですね。ぼくに依頼をしてくれなくていいと思うレベルの初歩的なミスだ」

「まあ、合ってるけど、なんでわかったわけ?」

「当然の帰結ですよ。わざわざ2人目と言うからには、1人目について言及しているのと変わらない」

「そんなことはないと思うし、いくぶん論理的に飛躍していると思うよ」

「ではべつのアプローチから。淡田彗星が本名と一文字も被っていないペンネームなのは誰でも知っている」

「平岡公威みたいな?」

「残念ながら、淡田彗星はそこまでの作家じゃないし、微妙に本名に由来したペンネームなので平岡公威的ではない」

「わかってるみたいだけど、娘ね、わたし」

「いや、失礼。率直な意見を述べたまでです」

「でも、それにしても飛躍があるよ」

「そのままじゃないですか。通常、この学校で天才と言えば淡田彗星とぼくだ。ぼくが功績を残すまでは、という条件はついてますけど。ぼくのことを天才とだけ形容すればいいのに、あなたはあえて2人目と言った。つまり、淡田彗星を深く意識している発言だ」

「よくわからないけど……淡田彗星については説明いらなさそうだね?」

「九生市生まれ、九生高校出身、この文芸部のもっとも有名なOB。あるいは九生高校でもっとも有名なOB。本名は安賀多あがた賢章けんしょう。離婚歴があって、娘がひとりいる。そして、そこの老年教師のオム・ファタール」

「充分そう」

「そこのおっさんが大好きですからね、淡田彗星については4万回くらい聞きました」

「そんなには言ってねえよ」

「わけ知りオーラ出しながら3万4千回くらいしか言ってないかもしれない」

「すくなくとも離婚の話はしてねえよ」

「ウィキペディア見ればわかるような情報はしばっさんが語らなくても届くんですよ」

「つまりきみはわたしのひとことと、そのの話と淡田彗星のウィキペディアからわたしが安賀多だって特定したってこと?」

「この学校に淡田彗星の娘がいる、既知。淡田彗星は学校のOB、既知。淡田彗星は本名ではない、既知。淡田彗星が大好きなおっさんの紹介で、淡田彗星を意識している女生徒が卒業間近の春休みにぼくのところになにかを話しに来た。オーケー、そいつが娘ですよ、考えてみればわかる」

「うーん、可能性の話?」

「それ以外ないじゃないですか。もっとも確率が高いことを言っただけですよ。だからハズレることもある。ぼくは神じゃないのでね」

「時期関係ある?」

「あるでしょうよ。先輩は春からもうここには来られなくなる」と私は答えたが、正直に言えばこんなところで説明をつくすのは面倒でもあった。いずれにせよ些事は些事である。「でもまあ、いまそれは問題じゃないでしょう。淡田彗星の娘の安賀多……先輩?」

「わたしの名前は出ないんかい」と安賀多先輩は笑った。

「あいにく、ここまでの人生で触れる機会のない情報だったので。いかにぼくとて、アクセスしてない情報は知り得ない」

「安賀多瀬奈せな。ご存知のとおりに淡田彗星はわたしの父親」

「まったく情報密度のない情報をありがとうございます」

「え、あったよね? 出たよね? わたしの名前が出たでしょ? ちがう?」

「現状では、ぼくがあなたのことを安賀多先輩以外に呼称しないであろうと推測されるため、やはり情報の密度はないと言わざるをえません」

「えっと……この子、いつもこんな感じなんですか?」と安賀多先輩はやや不服そうにしばっさんに尋ねる。


 この子や、いつもこんな感じ、もなかなかだが、この程度はよくあることなので気にしても仕方ない。


「おおむね。でも、悪いやつじゃないんだよ」

「いまのやりとりのどこにぼくを責めるべき点が?」

「わたしの心象が悪いでしょうねえ」

「相談はするものなんですよ、この部屋に来た段階で。知りたいことがあるとなぜかここの生徒はそのドアを開けて、文句を言いながらも聞いて帰る」

「相談の解決に自信があるわけね」

「自信というにはいささか大げさすぎる。

 たとえばここに来る依頼者は、自分の恋人の浮気相手を疑うとき、なにか不審なことが続くとき、家族や生徒や教師やバイト先の人間に原因があるのではないかとそもそも疑っている。

 それが依頼主の思うままのこともあるし、そうでないこともあるが、その認識の差異はぼくには問題ではない。

 高校生が依頼主である限り、原因は依頼者近辺に集中するわけです。

 当人にとっては特殊に思えるかもしれないが、たいてい分類できる程度のものでしかない。経験なんてさしたる価値はないんですよ、客観的に見れば。

 ここに来るひとたちが明日の株価を相談してきたことは一度もない。必ずみんな自分のこじんまりとした話をする」

「長いよ」と安賀多先輩はまたも不服を述べる。不服の多いひとである。「そういうもんなのね、経験則的に」

「要するにそういうものです。とくに今回はおそらくそこのおじさんが、たいへんなキーパーソンなんでしょうから、もっと単純な構造になってしまっていて残念ですが」

「柴田先生が?」

「ええ。その仲介者は、今日はすこしざわついています」

「さっきも言ってたけど、そんなこともないつもりなんだけどな」としばっさんがとても控え目に抗議するが、当然私にはとるに足りない抗議である。

「まあ、いまはそういうことじゃないことにしておきましょう。どうせあとでわかることですし」

「でも、きみの言うとおりだとすると柴田先生に訊けばいいって話じゃないの?」

「ぼくの言うとおりなら、しばっさんは自分では話せないからここにあなたを連れてきた。よって、あなたに直接話すことはほぼないですよ。だからぼくを介するのが最適の手順です。依頼の内容がなんであれ、ね」


「心象はどうだ、安賀多」としばっさんが安賀多先輩に笑って尋ねた。

「さっきも言ったし、予想してると思いますけど最悪ですね。最悪を深堀りしています」


 いや、それは私にとって不服がある。

 この完璧な流れのどこに不服があるというのか。不服を述べたいのはもちろん私に決まっている。


「よく言われます。よくある感情ですが、ぼくにとっては不服ですね。ぼくが解決できなかったことなんて、これまでなにもないですよ。しばっさんはここにあなたを連れて来たのも、これまですべてをぼくが解決しているから。だから、あなたの疑問の解決装置としてぼくを選んだ」

「柴田先生は自分の隠しごとをきみに暴かせるためにわたしをここに連れて来たって聞こえるけど」

「そう言いました」

「それについては、いまのところはなんとも言えねえな」としばっさんは苦笑いしているが、私からするとこのあと依頼が進むほどに彼にとってはろくでもない展開があることは明白である。

「いまのところは、ね?」と安賀多先輩はいたずらっぽくしばっさんを問い詰める。


 これに関してはじつにいい趣味である。

 私も一定の共感を示さざるをえない。


「まあ、俺に言えるのは、こいつの頭脳はたしかだよってことだけだ。安賀多が話すか話さないかは決めることだよ」

「鴫沼住春の頭脳を疑うひとはこの学校にはひとりもいないのでは」

「こいつはそれじゃ褒めてるようには受け取らないぞ」としばっさんが当たり前のことを言うので、

「そりゃそうでしょう。事実の陳述は称賛じゃない」と私は言った。

「ほら、こういうやつだ」

「だいたい理解できました」


 じつにこの私に対して気に入らない評価をされている気はするが、しかしこれも経験としてはよくある話だ。

 いちいち些事を気にしていては話はいつまでも終わらない。

 正直に言えば、依頼の内容などはどうせ彼女の父親・淡田彗星絡みであろうと私には推測できている。

 しばっさんと出会って2年になるが、そのあいだ淡田彗星について語るとき、要所要所で得も言われぬ秘密の気配をちらつかせることがあった。

 しばっさんにとって淡田彗星はオム・ファタールであると同時に自身の開示しきれない感情の源泉であろうことは疑問ですらない。

 安賀多先輩の卒業前にそれらしき依頼が来ることは明白どころのさわぎではない。


 私は窓辺ボイラーのそばの椅子から立ち上がり、持ったままだった村上春樹の小説をそこに置いて、部室の中央にある長机に座り直す。

 行儀は悪いかもしれないが、言うなればここから仕事のはじまりである。多少の無作法不躾には目を瞑るべきだ。


「さて。では、そろそろ依頼内容をお伺いしましょうか、安賀多先輩」


「わたしは」と、控え目な声で安賀多先輩は言った。「父親が母を捨てた理由が知りたい」


 ほら、こじんまりとした家庭に関する謎だ、と私は思ったがもちろん言わなかった。

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